「姪?」


訝しげな顔をしていたかも知れない。
目の前のこいつにそういう存在がいても特段不思議なことではなかった。

「そうよ。はあたしの姪。亡くなった姉の子供なの」

新しい薬草を見つけたとかなんとかで、研究所の診察室が午前で終わった日だった。
フラスコ片手に老眼鏡をかけた冥花が口の端を上げてそう呟いた。
庭の緑に水をまくの姿を横目で見つめながら、冥花の言うように子供と呼ぶには少し遅い気がした。確かに冥花やオレにすれば小娘に映る年齢ではあったが、学習能力がある点を考慮すればもう充分成人に片足を突っ込んでいる。

の生い立ちや関係性についてあまり深く詮索はしなかったが、亡くなった姉の子供ということは、今現在冥花が育ての親なんだろうということは察しがついた。そんなこと、魔界では珍しいことでもなんでもない。身売りされて面白おかしく調教されて育つよりは幾分マシな環境だと言える。


「あら、蔵馬くん。のことが気になるの?」
「何?」


それはまるでオレの様子を伺うかのような物言いだ。
何故そんな考えに及ぶのか。予想だにしない冥花の一言にピクリと両耳が傾く。


「だっていつもならあたしの一言になんて耳もくれないじゃない」
「見かけないヤツがいると疑問を抱いただけだろう」
「そうかしら?よく目が追いかけてるわ。の不慣れな姿が可愛くて仕方がないって顔してる」
「…オレを伺っている暇があるなら仕事をしろ」
「そんな目で見ないでよ。ただ貴方が何かに興味を持つなんて珍しいなぁって」


って本当に可愛いのよ。そう呟くこいつの耳にオレの意見なんか通っていないように思う。ちっと舌打ちをしてもなお、冥花はうふふと気味の悪い笑顔を貼り付けて止めない。

白衣を着て研究に勤しむ姿は評価できるのに、こいつは口が減らなくていけない。
表面には出さずそんなことを考えながら、もう一度庭の方へと視線を戻した。一方ので、ただの水やり一つをとってもいつも満足そうな顔をしている。
庭には花や実をつけるものから観葉植物、さらに奥では獰猛な魔界特性のラフレシアで溢れていた。ふいに目に留まった垣根を見て、オレは静かに口を開く。


「薔薇か」
「え?あぁ、そうなの。よくわかったわね。薔薇が好きなの?」
「好みで考えたことはないが…愛用している武器はどれも植物だ」
「そういえばそうだったわね!実は最近魔界で新種の薔薇が発見されたのよ」


実験器具を変えながら冥花が言った。無言は知っていることの肯定と捉えられたらしい。


「薔薇って育てるのが難しいでしょう。棘もあるし…あまり得意じゃないのよね」
「魔界屈指の植物研究員が聞いて呆れるな」
「もう失礼しちゃうわね。あたしだってスーパーマンじゃないのよ?」


出来上がった薬をそっと小瓶に移すと、空気に触れた液体は一気に透明になった。
逐一反応を返す冥花がオレの予想通りで愉快だ。


しかしながらこいつの言うことは一理ある。

どの植物も育てるコツがあり、育てる側はいくつか気をつけなければいけないことがある。花を持ってからも特有の魅力を放つ薔薇は美しい代わりに扱いが大変だ。
に丁寧に水遣りされる薔薇の苗を見つめて、確かにあの花には、人を惹きつける力と妖しく光る何かが備わっている。


「でも、ってすごいのよ!あの垣根は去年作ったんだけど、ってば薔薇の育つ環境をすぐさま理解したの」


真紅の美しい花を咲かす魔界の薔薇は人間界の花以上に膨大な肥料を要して開花する。
害虫駆除にも植物病にもとても敏感で繊細な上、適していない気候とわかれば決して自らを誇示しない。
冥花のいう「薔薇の育つ環境」というのは、おそらくそのことを指しているのだろう。育てる側の愛情云々というよりは、いかに自分を美しく咲かせてくれるかを計測し、その望みを叶えたものに褒美を与えるといった感じだ。

けれど、そのなんともいえない誇り高さがオレもなかなかに気に入っていた。
元より今使用している植物のどれもが一発ないし未使用で終わることも多い。これからの為にもここで主要となる武器を決めておくのも悪くないと思った。


「もしも蔵馬くんが薔薇博士になりたかったらに尋ねることをオススメするわ」
「…お墨付きというわけか」
「あ、今親馬鹿とか思わなかった?」
「今だけじゃないから安心しろ」
「いいじゃない。蔵馬くんもと接点持てるチャンスなんだし」
「そんなものは必要ない。持つ必要があれば幾らでもオレ自身で作る」
「それはそれは大変失礼致しました」


本当にこの女は。減らない口を塞いでやりたかった。
腕組みをしながら睨むような視線を送ると、冥花はおぉ怖いと、然して感じていない恐怖に怯えた振りをする。いつまでも構っているだけ時間の無駄なので、オレは無視をして視界に庭だけを映した。

すると、ちょうど水やりを終えたが室内に戻ってくる。
扉の閉まる音に耳が反応してついつい視線が合う。無表情なオレとは対照的に、は一瞬だけ不思議そうな顔をして、それからすぐに照れくさそうに会釈をしたが、オレはそれに優しく返せるほど気安くはなかった。


「水撒き終わりました」
「あら、。ご苦労さま。ちょうどいいわ、そこの器具片付けてくれる?」
「はい。他に何か手伝えるお仕事はありますか?」
「うーん、そうねえ……あっ」


かち合いたくない冥花との視線がぶつかった。顔には意味深な笑みを浮かべていて、それだけで 相当性質が悪いことが伝わってくる。


「蔵馬くんがね、薔薇のこと知りたいんだって」
「…おい」
「そ、そうなんですか?」
「そう。あたしよりの得意分野だから、それ終わったら教えてあげてくれる?」


冥花の一言に、おそらく目の前のは「頼まれた仕事」という認識があって断れないだろう。
たじろいで、自分なんかに教えられるだろうかという戸惑いを見せてからしばらく、は沈黙を破るようにオレを見つめる。


「あの、…すぐに終わらせるのでもう少し待っていて下さい!」


予想通り。赤らんだ頬に気付けないほど鈍感ならよかった。
だが、そんなことでは他人の考えを何手先も読むことに特化していなかったはずだ。


それが初めてのとの会話だった。
面と向かい合うとこんな声で喋るのか。オレはそんなことさえ知らなかった。
けれど当然といえば当然で、普段のこいつは仕事に追われて余裕がないから、話す時間が無かったと表現する方が正しい。

とにかく、オレとはそれまでほとんど喋ったことがなかった。
笑い声も知らないし、思えばまともに挨拶ひとつ返したことがない。








「ん…」


暑さで目が覚めた。身体が水分を欲していて、喉がカラカラに渇く。閉められたカーテンの向こうでは蝉が活発に鳴き始めている。夏にはよくあることだった。

夢を見ていた気がする。遠い昔、自分がまだ妖狐だった頃の懐かしい記憶。
同時に、もしかしたら昨日コエンマが訪れたことも夢だったのではないかと思った。だが天井は見慣れた家のものではなく、布団の下からは和室特有の畳の匂いがした。きっとここは玄海師範の寺の一室だろう。

だらしなく起き上がりながら、やけに鮮明だった当時の記憶に苦笑した。
忘れたと思っていたつもりが、昨日から今日にかけて一気に思い起こされる。それもそのはず、記憶のどれもがただ自分の奥へ奥へと閉じ込めていただけのことだった。


本当は、を失って以来、ずっと無意識に考えていたことなのだ。


他人の夢をのぞいたような感覚のまま顔を洗いに洗面台の前に立つと、鏡越しに陣や凍矢が挨拶をする。
同じ時間帯に起きる理由はやはりこの暑さが原因のようで、しばらく考えてから今日は夕方からの特訓でもいいと提案した。けれど、二人とも漲るやる気を抑えられない様子で首を横に振った。すぐにでも始めたいと意気込んで。

「にしても暑いべ」
「そうか?」
「凍矢は氷使いだから暑さも半減するんじゃないか?」

そんな些細な言葉のやりとりに笑い合った。こういう瞬間を迎えると、やはり昨日の出来事は夢だったんじゃないかと思わずにはいられない。
そのまま話を拡大していく二人をよそに、が生きていた事実を夢だと思う自分には特別驚かなかった。むしろ驚いたのは、彼女の生きている事実を知った昨日だ。

もしも夢であれば、当然ながらこの二人だってのことは知らないはずだ。昨日のこと?なんの話だ?そういってとぼけた顔を見せるだろう。それならオレはあぁなんだ、夢か。そう呟いていくらでも切り替えられる。再び日常に戻れる。
けれど、確認できない自分はやはりまだ半信半疑なんだろう。夢なら夢で、あれは遠い過去の記憶で終わる。問題なのはこれが夢ではないと知ったとき、オレは色々な考えが及ぶ自分自身が怖いんだ。

と向き合うことをどうやったら遠ざけられるか。
そう思ってしまいそうで。


陣たちと雑談を交わしながらブラッシングや歯を磨き終えて部屋に戻る途中だった。
昨日とはまた別の廊下で立ち止まると門の方へと視線を移す。緑豊かな長閑な境内には、蝉と木々と鳥の声が程よい割合で響いている。

すると、半分開いていた門の外から、和服を着た女が静かに足を踏み入れたのが見えた。
その瞬間飲み込んだ唾がごくりと喉を鳴らして、昨日同様に顎まで汗が流れてきた。

だった。


「ごめんください」


きっと姿を見なくても声だけでわかっただろう。彼女にしては張った声音は境内によく響く。

あぁ、夢じゃなかった。これ以上憶測で悩まなくてもいい事実と、あまりにかけ離れた現実の狭間には苛立ちと安心と不信感と猜疑心と虚無感がぐちゃぐちゃになって巡っている。
心臓は普段こんな風に音を立てているのか。そう思うほど、視界に映ったを見ると妙な緊張が走った。からはおそらく、オレの姿は見えていない。

やはりは生きていた。鴬張りの廊下に立ち尽くしていると、の訪問に気付いた酎と鈴駒が駆け寄って喜んでいる姿が目に飛び込んでくる。
それはそれで面白くなくて、居た堪れない気持ちになってオレは再び部屋に戻ろうと思った。

「おい蔵馬!」

先程と変わらない陣の声だ。廊下を渡り終えたところで振り返ると、陣は悪びれない笑顔を向けながら、あの子また来てくれたみたいだぜと言った。
指差す方向には玄関があって、酎と鈴駒に挟まれるようにしながらが歩いてくる。さらには鈴木と死々若丸まで歓迎の二文字を掲げていて、気付けばオレはいつと視線が合ってもいいようにと平然さを装っていた。


「あ、蔵馬さん…」
「………


姿形も口調だって何一つあの頃と一致しないはずなのに、はふわりと笑いおはようございますと小さくお辞儀をした。
隣に立つ酎が紙袋をオレに差し出すと、からの土産だと大きく笑った。


「なぁ蔵馬ァ!に朝飯作ってもらおうぜ!?」
「え?」


鈴駒からの突然の提案に息を呑んだ。その場にいた全員が頷いていて、はといえばオレの様子を静かに伺っているようだった。

「あ、あの…っわたし、邪魔になってしまうので今日は帰ります」
「はぁ!?帰るって…まだ来たばっかりだろ?」
「そうだよ。それにどーせオレたち飯食ったらすぐ特訓だし」
「そうそう!が良ければゆっくりしてけよ。なっ、蔵馬もいいだろ?」
「あ、あぁ…」

たどたどしい返事をしたものだと自分でも思う。思わず息を止めた。が朝食を作る?昨日から本当に信じられない事の連続だ。
誰でもないオレの返事に一番ホッとしたような表情を見せると、はしばらくして、それじゃあ邪魔にならない程度になら…そう言って頷いた。その言葉に6人はとても満足そうだった。

はにかんだ顔がわずかに赤く染まっていて、それに気付いたのはおそらくオレだけだっただろう。その表情に、辿るように見た記憶の夢を思い出した。初めてオレに言葉を向けたときも同じようには頬を染めていた。


「お台所お借りしますね。できたら皆さんお呼びします」


着物はぼたんに借りたのだろうか。涼しげな藍色が彼女の白さを一層引き立てていた。







back   next