昨日より一段と気合いの入る声は、暑さ凌ぎのせいだけじゃない。
の作った朝食を済ませてからしばらく、それじゃあ始めるかと呟く鈴木の声を皮切りに全員が本堂へと向かった。さすがに食べたばかりの身体に本堂内の暑さは響く。
まずは引き戸を全開にしながら準備を整えて、少しでも密度を減らそうと陣と凍矢のペアだけが縁側を出て、残る二組が室内での練習を開始した。


「うりゃあっ!!昨日の借りは返すぜ酎!!」
「ははーん!や〜れるもんならやってみろや!」


挑発しあいながらもその声はどこか楽しそうだ。
本堂の入り口の壁に寄りかかりながらその姿を見ていると、昨日もここでコエンマとこうしていたことを思い出した。不意に朝の出来事がリフレインされる。


白の割烹着を身に着けたに呼ばれてキッチンへ向かうと、すぐに味噌汁の香りが鼻をくすぐった。
研究員時代から様々な料理が作れたは、慣れない人間界でもその腕を充分に発揮できるようだった。そういえば彼女はもともと料理が得意だ。

炊き立ての白米にダシ巻き卵、焼き魚とほうれん草の和え物、そして豆腐の味噌汁。
何度か人間界に来ている6人も日本の食事には慣れているだろうが、こうも典型的なものは逆に珍しいかもしれない。実際に6人とも目を輝かせて食事にありついていたし、オレ自身も戸惑いを覚えつつ、やはり素直に美味いと感じていた。


「お味はどうですか?」
「うっめぇ!料理上手いな!!」
「本当だべな。オレお替り」
「あっ、オレも」
「良かった。まだあるので沢山食べて下さいね」


溶けそうな笑顔を向けてはそれぞれの茶碗を受け取ると、並々と白米や料理を注ぎ足していく。6人の中では比較的少食な死々若丸でさえ、納得するような声を上げていた。和服のせいかとても似合う光景だ。

「蔵馬さんは、お替りいかがですか?」
「…頂きます」
「はい。お茶碗預かります」

降ってきた声にいつも通りの振りをしながら答えた。はとても嬉しそうにオレの差し出した茶碗を受け取る。瞬間、ほんの少しオレたちの指が触れ合って、逸らそうと思っていた視線を外すことが出来なくなってしまった。

人肌の体温。

そんな思いが過ぎる。は生きているのだから、当然だ。炊き立ての白米が炊飯器から湯気を出す。しゃもじでかき混ぜながら程よく盛られた茶碗をハイどうぞ、そう言ってに手渡された。どうも。そんなぶっきらぼうな言葉しか思いつかない。
朝の、キッチンと共同の食堂には、みんなの話し声だとか食器がぶつかり合う音が聞こえている。この場から早く立ち去りたかった。それでも、普段どおりの食欲が恨めしい。




寄りかかっていた壁からゆっくりと身体を戻して、縁側の外で組み手をする陣と凍矢の様子を見つめる。すると、庭の外れから門内を掃除するの姿が目に入って、視線は自然とそちらに向けられた。

先程の割烹着を脱いで今度は白い三角巾を頭に被っている。
燦々と照りつける太陽との間には日陰一つ見当たらない。暑さのせいで流れ落ちる汗を時折手の甲で拭いているのが見えた。それでも箒を持つ手は一定のリズムで動かされ、ざっざっと小さな砂利や落ち葉を掃いていく音を繰り返している。


朝食が終わった時点で帰ろうとしていたを引き止めたのは鈴駒だった。


が良かったら、昼食も作ってくれよう。
そう甘えた声で頼まれて、それでもはじめは困ったように笑っていたものの、鈴駒に促されるままオレが了承の返事をするなり、はそれならと遠慮がちに呟いて頷いた。

結局断りきれなかったはそれまでの時間潰しとして掃除を選択したのだろう。その一連のやりとりは目の前で見ていたから、の姿が見えてもまだいたのかとは思わなかった。
思っても、きっと言葉にすることはないだろうけど。


不意に、箒を持ったと目が合う。

オレは目を細めたが、口元に笑みは浮かばなかった。は箒を両手で持ったまま、それでも小さく口の端を上げて会釈している。
もしも6人の存在がなければ、オレもも懐かしむような話をするのだろうか。そう考えたが、何か違う気がした。誰がいようといまいと変わらない気がする。はばかることもないはずなのに、こうも言葉少なになる理由は一体何か。目を、合わせたくない理由は。

生まれ変わる前の月日を入れれば、あれからもう、何年経ったのだろう。沸騰しそうな頭の中、いつもより働かない思考で、オレは再び過去の記憶を振り返っていた。







「薔薇の花がお好きなんですか?」

器具の片付けを終えるなり、二人きりの研究室では言った。
わずかに居心地悪そうな表情を浮かべて、にこりともしないオレの様子を伺うような声音だった。何を言おうか迷っていたがようやく紡げたといったところか。

冥花にしてやられた感は否めないが、決してに腹立てているつもりはなかった。
一呼吸置いてからあぁとだけ答えると、はパッと安心したように笑う。日が照るような、花が開いたような、そんな笑顔だ。

「あの垣根、お前が作ったんだろう」
「え、あ、はい!まだ苗ですが…」
「育つ見込みはあるのか」
「一応蕾も付いたので、時期的にはもうすぐかと思います」
「そうか」

頭の中での言葉を繰り返す。
新種の薔薇は丈夫な分、手入れも棘も厄介だと聞いたことがある。その苗をあそこまで育て上げ、あまつさえ蕾を付けるとは大したものだ。素直にそう思った。


「ちょうど主要の武器を必要としていたところだ」
「武器?」
「あぁ。遠距離型の武器に薔薇の蔓はちょうどいい」


そう言うと、は蔓ですか、と呟いて何か考えるように目を垣根に向けた。どうやらオレが薔薇を武器として扱う姿でも想像しているらしい。

普段あたふたと忙しないくせに、物事を考える様はなかなかだ。冥花に叱咤されながら傍に置かれるだけのことはある。想像を存分に張り巡らせることは出来たのだろうか。の視線を追うように庭を見つめていると、決心したようなの声にオレの両耳が反応した。


「あの、蔵馬さん」


初めてに呼ばれた名前。あまりに自然過ぎて、オレの名前を知っていたことにも自分だけに向けられていることにも疑問を持たなかった。いや、持てなかった。視線を庭からに移しながら尋ねると、は頬を染めながら俯いていたのだ。その姿に、目を見開くことしか出来なかった。

しばらくの間を置いて、がか細い声で呟く。


「い、一生懸命育てます!なので、もし…もし、花が咲いたら、見に来て頂けますか?」


振り絞るように紡がれた言葉だった。呆気にとられ、オレは幾分背丈の低いを見つめる。着ている白衣の裾をぎゅっと掴む手が白んでいて、小刻みに震えていることを見逃さなかった。

「構わない」

オレの返事を聞くなり大きく顔を上げた
途端、崩れたように笑った顔は、他の誰でもない、オレだけを見つめていた。



それからというもの、は今まで以上に薔薇の苗木に熱心に向き合っていた。

冥花曰く、朝は早く、やることを済ませるや否や診察開始のギリギリまで改良すべき点を見つけ、診察終了と同時に再び垣根のある庭へと向かう。それは夜中にまで達することもあるという。
なぜかと問えば顔を真っ赤にしながら「秘密です」それだけしか答えない。「蔵馬くん、何か心当たりある?」と冥花に訊ねられたときは、ただ表情もそのままに「さぁな」と答えることしかできなかった。


が、そこまでして育て上げたい気持ちに拍車をかけているものが何か。


オレは心の中で気付いていながら見ない振りをしていた。
核心に迫れば、きっと自分自身が厄介な意識をする羽目になる。構わないと言ったのはオレなのに、なんとも手前勝手だと自嘲した。
だから気付かなければいいと願ったのだ。話すたび、耳まで赤らめる彼女の表情に。


ある日の午後、たまたまのぞいた研究所にはの姿しか見当たらなかった。なんでも冥花は近くの村での回診がてら必要な器具と植物の調達に外出したらしい。
本日休館と書かれた札を気にすることなく、いつもどおりに扉を開けたはいいが、はじめはの姿さえ診察室には見当たらなかった。

不思議に思いながらふと庭先を見つめる。
すると、室内へと戻ってきたとはたりと視線がかち合って、はオレを見るなり一気に頬を綻ばせながら居てもたってもいられないといった様子で駆け寄って来た。

「蕾が膨らんだんです!」

囲まれた緑の中、ただただ嬉しそうにそう告げる。ぱん、とついた両手には手当てがされていることに気付いて、顔や額にも小さく赤い線のようなものが見て取れた。


「その傷はどうした」
「あっ、これはその、薔薇の棘で…」


切ってしまいました。でも、大丈夫です。申し訳なさそうに眉根を寄せながら笑う。あくまで自分自身の不注意だと強調するように呟いて、恥ずかしそうに両手を擦り合わせた。
その瞬間、あの日から今日までの一週間、殊更大事に薔薇を育て上げるの姿が浮かんでは消えた。
それはまるでの記憶がオレの中を駆け巡るような不思議な感覚で、傷付きながらも決して花を咲かせることを諦めないの苦労が他人事とは思えないほど伝わってくるのだ。
時には上手くいかない結果に悩みながら、薔薇に話しかけながら、泣いた日もあったのだろうか。

手の甲をそっと掴む。
細い腕から手首に繋がるちいさな手だった。触れられて戸惑いを隠せないといった表情のを見下すように見つめながら、静かにその指に唇を近づける。

「く…!蔵馬さん!?」

オレらしくないと充分に承知していたが、考えより先に身体が動いていた。
指に唇が触れた瞬間、びくりとが肩を竦めるのがわかる。あ、とか、う、などと言葉にならない声を上げながら、はオレにされるがままだ。
浅い感謝など幾らでも並べられそうで、そんなものを紡いだ日には二度と対等になれないことを知っている。この気持ちの行き着く先をそんな墓場のような終点で終わらせたくはないと思ったのは、オレ自身だ。

何故そうまでして、必死になれるのか。

心の中で留めるつもりの言葉は、あろうことか口を吐いて出ていた。
はオレに両手を掴まれたままぽかんと呆気に取られたような表情を浮かべている。けれど、すぐにそれは崩されてにこりと深い笑みに変わった。そうして彼女はなんの躊躇いもなく言ったのだ。


「わたし、…この花が咲いたらどうしても、蔵馬さんにお伝えしたいことがあるんです」


それは、とりとめもない事実を歌うように。
真っ直ぐにオレを見据えるその瞳が、強く煌々と輝いていたのを覚えている。







日の位置が夕刻手前を示していた。
相変わらず茹だるような暑さを携えた空も空気も、べったりと身体に絡み付いている。離れるどころか、逃がさないとついてくるように額やこめかみは薄っすらと汗ばんでいた。

昼食も朝となんら変わらない光景のまま時間だけが過ぎて行った。
変わったのはそのメニューくらいで、精力がつくようにと配慮されたうなぎの蒲焼と、小さな器には気持ち程度に冷えた素麺が盛られていた。やはり味は朝と同様、誰の舌にも合うものだった。

休憩を終えて再び訓練を開始したのが午後の一時過ぎ。
それから小休憩ないし水分補給は欠かさなかったが、これ以上は6人の身体の負担も大きいと考えて再び休憩を挟もうと考えていたときだった。

ただ指導するだけでも浮かぶ汗を、洗面所で気分転換に洗い流し終え本堂に戻ろうと思った。
すると、本堂と洗面所のある離れを繋ぐ廊下に、またも今朝とは違う格好をしたが膝をついて佇んでいるのが見える。


「あ、蔵馬さん」
「…どうしたんです?」


妖狐の頃とは違う口調。それでも、とても自然に出た疑問の言葉には恥ずかしそうに微笑んで、雑巾掛けですと短く呟いた。着物の裾と袖を捲り上げる姿は先程よりもたくましそうに見える。膝をつくそのすぐ横には使い古されたバケツが水を張って置かれていて、ザァアアと水を絞った雑巾を一度バケツの淵にかけると、は濡れていない手の甲で滴り落ちる汗を拭きあげた。

「暑いですね」

困ったように笑いながら視線を落とす。それからしばらく沈黙が訪れたが、先にそれを破ったのはだ。


「あの…」
「え?」
「ずっと…長い間ご無沙汰してしまい、申し訳ありません」


落とした視線をさらに深々と下げ、は澄んだ声でそう告げるとまたもだんまりを決め込んだ。
オレの言葉を待っているのだろうか。遠くで鳴く蝉が沈黙を助長させるようだ。気まずさで居てもたってもいられなくなったオレはとりあえず「顔を上げてください」と冷静を装うのが精一杯だった。

その声に、は不安そうに目をまばたかせながらゆっくりと顔を上げた。過去、幾度となくオレに向けられたはずの真っ直ぐな視線が今はこんなにも痛々しい。背けそうになるのを堪えて、無理やり視線を固定する。次に出た言葉は


「久しぶりですね」


なんとも今更な社交辞令のような台詞だった。
それでもは泣きそうになるのを我慢して、口元に笑みを浮かべる。本当に。そう言葉を紡ぎながら。

「24年、ですか…」
「はい」
「…冥花はその、やっぱり…」
「…はい。遺物も、骨さえ見つかりませんでした」
「そうですか…」

生活と仕事が同じ場所だった研究所に彼女たちのほとんどの所有品があった事を知っている。全焼した今となっては、そのどれもが残っているはずはない。ふと、さえ生きてはいないと思った程なら当然だ。そう思う自分がいた。
ぽつりと喋っては、また沈黙を繰り返す。頭の中では聞きたいことは沢山あるはずなのに、そのどれもが向けられない。
口に出そうか戸惑って、それでもなぜか喉の奥で突っかかって噤んでしまう。やはり6人がいなくてもこのザマだ。はばかる理由などないというのに、口元は金縛りにあったように動かない。


「…でも、貴方だけでも生き残れたんだ。冥花もきっと喜んでいますよ」


自分から発しているはずの言葉がやけに無責任に響く。気付くはずもないは今にも泣きたそうな顔でありがとうございますと下唇を噛み締めている。

本心であることに間違いはなかった。それなのに、このわだかまりのような溝はどうして。延々繰り返される自問自答が耳障りなほど脳を揺らす。
が生きていた。それだけでいいじゃないか。そう思う反面、どこかで何かが訴えかける。


何故生きているんだ?


思わずハッとした。胸の奥が音を立てて軋んでいる。
口元を覆いながら呆然と立ち尽くしていた。何故生きているかだと?理由はどうあれ、あの惨状から生き残れたからに決まっている。24年間勝手に死んだと決め付けたのはオレのほうだ。惨状を目の当たりにして、勝手に…。

何を考えているんだ。長い月日を眠っていた者に「何故生きているんだ」なんて。
そんな言葉を一瞬でも脳裏に掠めたのは本当にオレだろうか。なんて残酷に響くのだ。

そんなことを知りもしないは当然のように目の前で微笑んでいる。目には薄っすらと涙を溜めて、本当に良かったです。そう何度も呟いた。


オレの思っている全てを、に言ったらどうなるだろう。

昨日が生きていると知ったとき、夢見が悪くなるような冗談だと思ったこと。当事者のオレにさえ酷く他人事のように聞こえてしまうこと。どこかでまだ現実を受け止め切れていないこと。視界がその姿を拒むこと。同時に、オレ以外の誰かの中での存在が知られるのが気に入らないこと。

知ったら、泣き崩れるんだろうか。
そこまで考えて、いつの間にか俯いていたことに気付く。非情な言葉の数々に、オレ自身が一番驚いた。どうしてそんな言葉が過ぎってしまうのか。端々にまだ歓迎できない思いが閉じ込められている気がした。

「……蔵馬さん」

しかしは何も知らない。知らないから、そんな嬉しそうな顔をオレに向けてくる。
なんですか。その5文字の言葉を紡ぐだけで頭がひび割れそうだった。洗ったばかりのこめかみからは再び汗が流れ落ちてくる。

「その…ご迷惑じゃなければ、また明日もここへ来て構いませんか」

不意にコエンマの言葉が浮かぶ。にはお前しかいないんだ。はりつくような汗と痛み。すぐに返事が出なかった。ここへ来ることくらいいいじゃないか。戸惑っている?それはなぜだ。また今日のように食事や掃除を任せられるなら、何も問題はないはずなのに。
滴る汗を拭くことさえ忘れていた。視線はやっぱり合わせることが出来なかった。


「…え、えぇ…構いません」


ようやく搾り出した言葉はかすかに震えた。また明日、来るのか。過ぎる思いも知らないまま、その答えに微笑んでいるだろうが痛々しかった。なんとかして浮かべた笑みは美しく歪む。

「あ、ありがとうございます!」

居場所を見つけたようにはじけた。その顔が、記憶の中で初々しく話しかけると重なる。


そういえば、あのとき、が伝えたかったことは何だったんだろう。

振り返りそうになってから、オレは考えるのをやめた。







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