さんに偽の想い人を演じてもらった日の帰り、俺は彼女に呼び止められた。

 『あの……念のため噂が広まる前に、今日のこと、若王寺くんにだけはちゃんと事情を伝えてほしい』

 それだけは譲れないと強い意志を持った瞳が気に入らなかった。その一言がやけに面白くなくて、早速目の前の花を踏み躙りそうになる。

 『悪い、委員会あるから急がないと』

 学園の鐘が鳴ったのを言いことに、俺は上げた片手を振ってその場から去った。



   



 翌日の夕刻、夜の実習が始まる前に教室で勘兵衛と向き合う。案の定勘兵衛はさんの就職初日のことを覚えていなかった。
 さんは勘兵衛に惚れているけど、とりあえず俺はそのさんを気に入ってる。好きかどうかはまだ確信できなくても、勘兵衛と彼女がうまくいくよう応援する気もなくて、抱く思いはむしろ逆だ。まずはさんが自発的に勘兵衛への気持ちを捨てるように促したい。

 一通り説明すると、勘兵衛に呆れた顔で頭を抱えられてしまう。

 「相っ変わらずだな清右衛門…」
 「純粋と言ってもらえるか」
 「…俺はお前が怖いよ」

 やれやれとため息を吐く勘兵衛に、俺は机に片手をついて顎を乗せた。


 「とにかく。お前には慕う女がいるってことで話を合わせてくれ。頼むよ」


 勘兵衛の前に一枚の一覧表を置く。

 「タダで言うことを聞けとは言わない。勘兵衛好みの茶屋の娘一覧、ちゃんと調べておいた」
 「本気かよ」

 同級生や後輩たちの中でよく話に上がる、可愛い看板娘が働いていると評判の茶屋を見繕うことも忘れてはいけない。忍の三禁破りではなく、あくまでこれは情報収集の練習だ。
 食いついた勘兵衛が一覧を眺めながら、しょうがねえなと呟いたので無事交渉が成立した。男同士の友情は硬い。




 「さん」

 図書室に向かうと、そわそわと落ち着かない様子で本の整理をしているさんがいた。心なしか化粧や小袖にも気合が入っているように見える。こんなにも勘兵衛が好きなのかと、どす黒い気持ちが現れそうになるけど、この先に起こることを考えたら今はそれぐらい許してあげられる。

 「…こんにちは」

 さんが駆け寄り、俺の隣から顔を出した勘兵衛を見て、彼女は思いっきり顔を赤くした。

 「な、若王寺くん…!」
 「こんにちは。って、俺達委員会で時々会ってるけどな」
 「そうですね!でも…、図書委員の皆さんに引継ぎをしたらわたしは帰ってしまうので」
 「ゆっくり話す機会はあまり無いんだよね」

 勘兵衛は調子よく笑っている。さんも嬉しそうだ。
 少しだけ申し訳ないと思う。今日はわざわざ、傷ついてもらうために呼んだわけで、彼女はそれを知らない。
 勘兵衛がさんに着席をすすめ、さんは本当にすごくすごく嬉しそうだった。好きな男の前だと女は全然違う顔になるっていうのは本当だ。その実例を今までいくつも見せられてきたはずだ。なぜかさんの場合は際立って見える。そんなに長い付き合いではないけど、俺が見て来たさんは、もっと落ち着いていた。


 「えーっと…そう言えばさん、清右衛門と付き合ってるって」


 さんは虚を突かれた顔をして、勢い良く俺を見た。『話が違う』と言いたいらしい。そりゃそうだ。でも俺は気づかないふりをしてさんが自分の口でそれを否定する前に勘兵衛の話に持って行く。


 「それより、勘兵衛はどうだ?」
 「ん?俺?」
 「まだ相手はできない?」
 「やー…ええっと、それが、つい最近できて…」
 「そうか、おめでとう…可愛い茶屋の娘さんがいるって、いっつも惚気てたもんな」
 「照れるなぁ。あははは」


 さんを横目で見た。彼女は笑顔だった。正しくは、笑顔を作ることに成功していた。

 「…おめでとうございます。若王寺くん」
 「ありがとう。別れないように大事にしないとな」
 「そうだね…」
 「さんも、清右衛門のこと頼むな。こいつ意外と寂しがり屋なとこがあるから」

 当たっているのかもしれない。
 だからあの日、勘兵衛に注がれる気持ちの濃さをさんの言葉から感じて、それを自分のものにしたいと思った。
 今も思っている。さん自身を好きなわけじゃなく、気持ちを俺に向けてみてほしいだけだ。咲き続ける花のような、割れないガラスのような、触れることのできる虹みたいに貴重なものがずっと傍にあったら、それは素晴らしいことに思える。

 さんは用事を思い出したと言って図書室を出て行った。俺は追いかけなかった。とりあえず勘兵衛への恋慕の情は壊せたはずだ。

 「はぁ……。おい清右衛門」
 「ん?」
 「二度は御免だからな」
 「んー、多分平気」

 さすがにさん本人を前に後ろめたさを感じたらしい勘兵衛。俺は曖昧な返事をして、夜の実習の準備のために部屋に戻った。



   



 翌日、昼休みに図書室に行くことにした。あと数歩で着く直前、ちょうど図書室の障子が開きさんが出てくるところだった。さんは弁当が入っているらしい包みを胸に抱えて、俺に気付くなり、こちらに歩いてくる。

 「…こんにちは」
 「昨日は災難だったね。大丈夫?」

 さんは目線を俺から逃がしただけで、否定も肯定もしなかった。目も泣きはらした様子はないし、落ち込んでる風でもない。
 正直残念だ。失恋に傷ついてどれくらい気落ちしているかで、さんの、惚れた相手への気持ちの深さが確認できると思ったし、慰める甲斐があると思っていた。この様子だと…全然しぶとい。勘兵衛への気持ちも、つまり単なる憧れだったらしい。
 あてが外れた、期待が外れた、希望が潰れた。
 最低な言い分だけど、俺はさんに失望に近い気持ちを感じてしまう。さんは俺を見上げた。

 「桜木くん、もうお昼ご飯食べた?」
 「いや、まだ…」
 「あの、差し支えなければ」

 俺の言葉を遮って、さんが言う。


 「これ、わたしの代わりに食べてもらえると…助かります」


 さんは持っていた弁当の包みを示す。

 「食堂のおばちゃんが作ってくれたんだけど食べられなくて。でも、捨てられないから」
 「…えっと、それって」
 「わたしこれからお遣いに行くので、お願いします」

 さんは俺に弁当を押し付けて歩きだした。俺はさんの後ろについていく。


 「ねえ、もしかして食欲ないのって」
 「…明日には戻れると思う。そんなにか細い神経じゃないから」


 俺を見ないで、早口にさんは言った。いつもより少し無愛想だし…そう言えば声も暗い。安心した。わかりやすい傷つき方をする奴は、周囲へ主張する余裕があるだけ傷も浅いし治りも早い。さんは、わかりにくい方だ。

 よかった。ちゃんとしっかり、傷ついてる。
 あとは残りの欠片を俺が粉々に踏んでやればいい。そうして新しく再生する。

 俺は受け取った弁当の包みを持ち直しながら、外出するさんの背中を見送った。






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