今から目の前で何が起こるのか、俺にはわかっていた。
 馴染みになりつつあるこの光景に、面白くも無いのに笑いが込み上げる。こんな男、自分でも嫌な奴だと思う。でも、これまで何度も経験してきたからわかるのだ。自分がこれから、目の前の相手に何を言われるのか。

 「桜木先輩、その、…お慕いしております…」

 そうしてそれ・・の答え合わせが終わった瞬間、自分なりの最善を計算した結果、目の端に映った人物に声を掛けていた。

 「さん」
 「え?あ、桜木く……」

 手招きをする。呼びかけられたさんが走り寄る。けれど、思わぬ光景が目に入り驚いた様子を見せると、さんはすぐに口を噤んだ。バツが悪そうに俺を見つめる。気付かない振りをしてその肩を引き寄せながら、俺の隣に彼女を立たせた。
 指定された図書室裏には俺を呼び出した本人と、隣に別の女が二人いる。名前は知らないので、用心棒甲と乙にしておこう。相手側は計三人体勢だ。たまたま視界の端に図書室周辺の掃除をしていたさんがいてくれて心底良かったと思う。


 「えっと…桜木先輩、どうして司書のさんを?」


 用心棒乙が言う。探る目つきでさんを見ていた。

 「ああ、付き合い始めたんだ」
 「え?」
 「え?」
 「え?」
 「えっ」

 相手側の三人と、誰よりも驚いた様子でさんが声を上げる。ちょっと面白い。

 「嘘…」
 「本当」
 「だって…」

 用心棒乙が振り返って、俺に告白した奴を見た。そいつはいきなり泣きそうな顔になって、そうして数秒もおかないうちに本当に泣き出した。用心棒甲が立ちはだかるように一歩進み出る。


 「いつから、桜木先輩と付き合ってるんですか…」


 俺じゃなく、さんに問いかけている。さんは俺の横に立ったまま、目を見開いて返事をしない。できないみたいだ。それはそうだ、付き合ってもいない上にただ巻き込まれただけなんだから。

 「いつからですか?」
 「…ひと月前くらいかな」
 「桜木先輩は黙っててください!」

 用心棒甲が泣き出した奴を庇うように怒りを携えた声音を俺に向けた。横目でさんを見る。彼女は視線をまっすぐ前に向けて、相手方三人を凝視していた。やっと口を開きかけて、何か言おうとして、息を吸って、止まる。目だけ動かして俺を見たけど、すぐ前を見つめ直した。
 付け焼き刃の想い人だとバレてしまう。俺はさんに少し体を寄せて、小声で耳打ちする。

 「巻き込んでごめんね。困ってるから助けてほしい」

 さんは動かない。思考停止か?仕方がないので切り札を出す。


 「ほら。俺のこと、勘兵衛だと思って何か言ってみて」


 たったそれだけの言葉が効いたんだと思う。さんが片手で俺の腕をつかんだ。後から思えば、そんな設定で言わせたりしなければ良かったんだけど。
 さんを細川さんを仮の想い人に指名したのは、協力を仰いでもらった場合に一番面倒がないと判断したからだ。
 さんに接するのは気楽だった。やりとりは必要最低限。同い年の司書として忍術学園に勤め、生徒でも教師でもない。小松田くんのような存在。大前提としてさんは勘兵衛に惚れている。


 「……ひと月前に、わたしからお伝えしたんです」


 さんは口を開いた。


 「…桜木くんのことが好きです。いつも、すごく」


 俺はさんを凝視してしまった。
 いつも、すごく好き。
 瓶の中で囁かれたみたいに胸が震えた。言葉が熱を持って聴こえたのは気のせいだろう。さんの唇から聞こえた声が聞き慣れなくて、俺は驚いただけだと思う。多分、きっとそうだ。
 さんは俺の片腕を掴んだまま、俺を見ていない。
 用心棒乙は俺を呼び出し告白した本人の泣いている背中をさすりながらさんに言った。


 「いっ、いつから先輩のこと好きだったんですか」
 「ええと、その…就職した、最初の日から」
 「いつです?」
 「去年の…卯月です」
 「そんなに最近?この子なんか一年のときからずっとですよ!?」


 どっちが早いかと言いたいらしい。それは問題の根本が違うだろう。さんが俺の腕を掴む手に力を込めるせいで、俺は自分が緊張したような状態になっていくのがわかった。全くもって落ち着かない。
 知る由もないさんは言葉を紡いでいく。

 「気持ちの深さと好きな時間の長さは比例することもあるし、しないこともあるし…」
 「…意味がわかりませんけど」
 「…すみません」

 謝らなくてもいいのに。そもそも相手は年下だ。さんは深く息を吸い込んだ。俺は司書らしい言葉だと感心する。


 「あの…わたしが桜木くんと付き合っているのは、駄目なことなんでしょうか」


 用心棒甲乙含め、相手は誰も返事をしない。そっと俺の腕から彼女の手が離れてしまう。さんは言葉を続けた。


 「配属初日、緊張して、貧血みたいになりました。そうしたら若王…桜木くんが声をかけてくれて」


 絶対に今、さんは勘兵衛の名前を言おうとした。別にいいけど。


 「学園まで一緒に歩いてくれました。途中飲み物も分けてくれて『緊張する気持ちはわかる』って話してくれて…笑うと…すごく優しい顔になりますよね。笑ってなくても一向に素敵ですけど」


 響きで嘘の言葉じゃないとわかる。でも違う。俺のことじゃない。


 「動作の一つひとつが格好良くて、忘れられなくて。多分彼にしてみたら、何でもないことだったと思います。でも、あれからずっと桜木くんは、わたしにとって特別な人です。すごくお慕いしてるんです」


 全部勘兵衛へ向けられた気持ちだ。名前だけ俺に貼りかえて、彼女は勘兵衛について話している。嘘ではないけど、本当でもない。もしも本当だったら…


 「桜木くんがわたしと付き合ってくれてるのは、気まぐれが大半だと思います。ずっと長くとか、そういうんじゃないと思います。でも、いいんです。学業の邪魔も委員会の邪魔もしません。桜木くんのことを好きな人たちにも、不愉快な気持ちをさせないよう気をつけます。だから…」


 さんは頭を下げた。


 「…なこ……さ、桜木くんと付き合ってるのを認めてください。お願いします」


 また「若王寺」と言いかける。そんなに勘兵衛なのか、と思う。
 さんが頭を下げているのは俺のためではないし、言ったことも全部俺のことじゃない。むしろ俺は、彼女にここまでやってもらって感謝しないといけない。全部ちゃんとわかってるのに、胸の中で何かが蠢く。
 さんの言葉全てが、俺に向けられたものだったらと思ってしまう。


 「…お願いします。土下座しろっていうなら、します」


 用心棒甲乙は顔を見合わせた。

 「もういいです…」
 「行こ行こ」

 泣いている子を間に挟んで、用心棒は俺を睨んでから歩いていった。
 俺もさんもしばらく黙ったままその場から動かない。まだ昼休みの校庭から、楽しそうに遊び回る後輩たちの声が遠くに聞こえる。

 「…あの、立ち入ったことを聞くけど」
 「相手は五年生のくノ一」

 沈黙を破ったのはさんだった。俺の返事にさんは眉を下げて溜息をついた。

 「…でも、とりあえず引いてくれたね」
 「頭まで下げさせてしまって…すまなかった」
 「ううん、それは大丈夫」

 さんが背伸びをした。でも横顔は硬い表情のままだ。


 「前に桜木くんが『モテるのも困る』って言ってた意味、少しわかった気がするよ」
 「…ん、ありがとう」
 「確かにきついね。断るたびにこの空気…でもなんだかわたし、いろいろ喋りすぎてしまって」


 彼女の顔が赤くなっていた。誰のことを考えていたか簡単にわかる。
 そうして自分の心の動きもよくわかった。認めてしまえば、何もかもがあっけない。だから今はよくわからないことにしておこう。
 一時的なものかもしれないし、気持ちに名前をつけて限定すると歯止めが効かない。


 「戻ろうか、まだ昼休みも残ってるし」
 「あ、うん。そうだね」
 「ところでさん、放課後って予定ある?」
 「ん?いや、ないけ、ど……あ、でも今日は早く家に帰ろうと思って!ええと…用事があるので!」


 さんは返事をしかけてすぐに表情を硬く引き締めた。露骨な警戒体勢で距離をとろうとしている。


 「…なら明日でいい。授業終わりに図書室にいてくれる?」
 「それは……なぜ」
 「今日のお礼がしたい。勘兵衛も連れて行くよ」
 「え、あ、…それなら、今日でも」
 「だめ。明日」


 主導権は絶対に握っておきたい。軽く笑ってみせた。


 「明日だよ。いいね?」
 「あ、うん…了解です。じゃあ、明日」
 「うん、いい子だ」


 さんの頭に手を置いた。柔らかそうな髪を撫でてみる。さんは疑心で眉をしかめていた。

 嫌がられると面白い。
 いくつもの花を踏みながら歩いているようだ。彼女を踏みつぶさないよう気をつけるべきだし、俺ならそうできるだろう。
 でも、逃げて行くかもしれないなら、針で止めておかないと。






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