|
19:夜が白銀色に染まる前に 加湿器と空調のファンの音だけが静かに聴こえている。 外では吹雪が強まっているように思えた。弱そうに見える雪の粒は予想しないパワーを持ってる。それは目の前の彼女も同じだ。 精一杯力を込めて立っていないと、眠りの中へ引き倒されてしまう。帰るべき灯りに目を凝らしていないと、簡単に見失う。 「さーん、オレ大盛りね!」 軽食スペースくらいでしか使われていなかった食堂がガラリとその雰囲気を変えたのは、たった一人の管理栄養士によるものだ。 。七海さんが夜蛾学長に推薦して引っ張り上げてきた即戦力と言うから、どんな化物呪術師が来るんだろうと当時高専内は皆がソワソワしていた。一級クラスの呪霊とやり合えるか?はたまた真希さんみたいな呪具使い?巧みな体術の使い手か?けれど、蓋を開けてみればなんてことない多少呪力を察知できるレベルのごく普通の女性だった。 俺たちが即戦力の意味を理解したのは、彼女の作る料理を初めて口にした時だ。 「虎杖くんお疲れさま。A定食の大盛り了解だよ」 「いくらのごはんが美味いからって調子に乗るとデブるわよ」 「野薔薇ちゃんもお疲れさま!B定食ライス小盛り、野菜多めにしておくね」 「さっすがさん!年頃の女子をよくわかってるわ!」 釘崎別に太ってねーじゃん。例に漏れず余計な一言のせいで、虎杖は釘崎からあんたの基準じゃなくて私の美意識が基準なの!とクリティカルヒットをお見舞いされている。食堂だろうがどこだろうがこいつらはいつも騒がしい。 「お疲れさまです」 「伏黒くんお疲れさま。二人とも今日も仲良しだね」 「うるさくてすみません…」 先を行く虎杖と釘崎に溜息を吐くと、さんはくつくつと笑っている。 「B定食の…今日はどうする?」 「…大盛りで」 大体いつも会話の流れが決まっている。食券をカウンターに置いてから虎杖が大盛り、釘崎が肉か魚で言えば魚を選んで飯は小盛り、野菜やおかずを多め、俺がその日の気分を伝える。さんが俺だけに訊く今日はどうする?がたまらなく好きだった。 「二部の終わり際で定食まだ選べてよかったー」 「ほんと。昼のこの時間で売り切れてなかったのラッキーだったわね」 二部制の食堂。昼夜メニューは日替わりのA定食とB定食で大体肉と魚に分かれていて、同じ皿にサラダが盛り付けされている。ニ、三種類の小鉢には煮物や納豆、こちらも日によってレパートリーは変わる。ごはんと味噌汁はセットで付いてくるのでありがたい。C定食は必ずカレー。朝の食堂は、A定食が和食セット、B定食が洋食セット。それ以外の時間もリクエストをすれば何かしら準備してくれるので、さんはほぼ毎日食堂で忙しなく動き回っていた。一部につき多くても30人しか収まりきらない広さとはいえ、一人での切り盛りだ。よく似合う割烹着を外している姿を俺はほとんど見たことがない。何故こんなにも食堂に詳しくなってしまうのか、高専のヤツなら誰もがわかるはずだ。 「なんせさんの作る飯は美味いから」 決まったいつもの席まで歩きながら、虎杖と釘崎が同じセリフを呟いて頷き合う。俺も異論はない。呪術高専の教員及び生徒全員が毎日食堂を使うわけじゃないとしても、これだけの食数とクオリティーを常に考えながら、いつでも美味い飯が食えることに感謝しかなかった。 さんはいつも言う。ごはんを普通に食べられることがどれほど幸せなことか。食べられないことで苦しむ人もいれば、食べることで苦しむ人もいる、と。それを思えば自分の料理を楽しみにしてくれる人がいることは何物にも代えがたい喜びであると。 「お待たせしました」 声をかけたのはさんだった。いつもは自分で取りに行くシステムなのに、さん自らトレーを運んでくる。まずは虎杖のA定食が運ばれる。鶏もも肉のチーズ焼き。その匂いに俺たち3人の腹が鳴るのも無理はなかった。さんは笑いながらすぐに2人の分も持ってくるねーと踵を返すと小走りでカウンターに向かった。俺はその小さな背中を追いかける。 「手伝います」 「あ、伏黒くん!ごめんね、お願いしてもいい?」 「はい。俺と釘崎のですよね」 「うん。トレーが重くてなかなか二つ以上運べなくて」 嫌になっちゃうよね。さんが困ったように笑う。その口調や仕草が可愛くて、じっくり顔を見ることができない。定食が乗った二つのトレーを持っただけなのに、さんはさすが男の子だねと言った。こんなことは俺じゃなくても容易いことだ。さんが微力なだけで。 「できることは手伝うんで」 「ありがとう」 屈託なく笑うさんに、俺は何も返せなかった。笑うと目がなくなるんだ。 「うっま」 「ちょっと、私たちの分が来るのくらい待ちなさいよ虎杖!」 「無理無理無理。さんの作った飯を前に待つとかぜってー無理」 それには俺も同意できる。コイツらの前で口には出さないけど。 どうしても食堂に行けない時、虎杖や釘崎が俺の分の夜食や部屋食をさんに依頼してくれることがある。そこまではいつも本当に感謝してる。でも、さんの作ってくれた飯が部屋まで無事にたどり着いたためしがない。量が減ってたり、皿に対してはじめ絶対その個数じゃなかっただろと、届けしなで見え透いたつまみ食いをしやがるからだ。 いつだったかその話をさんに話したら、彼女は腹を抱えて笑いながら俺に言った。 『伏黒くんのために愛情込めて作ってるのにね』 冬の太陽にガラスをかざして光をみたことがある。それを思い出させる笑顔だった。違和感も疑問も後回しにできるほど、圧倒的に白い感情が見える気がするような。気付いたら目を奪われていた。 愛情を形にできる。だから俺はさんに、こんなにも惹かれてしまうんだろう。 “諸事情により、しばらく食堂をお休みします。 ご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします” 読みやすい整った手書きの文字でガラス扉に張り紙されていたのは、12月下旬の夜だった。 風呂上がりにさんの作る夕食を楽しみに食堂へ向かうと、人影はおろか厨房さえ灯り一つ点いていなかったのだ。こんなことはさんが高専に来て以来初めてで、数人が食堂前で首を傾げて戸惑っている。 久しぶりに店屋物か。自分でも驚くほどの落胆ぶりに苦笑しながら部屋まで戻ろうしたまさにその時だ。目の前の職員室から失礼しましたと頭を下げて出てきた人物。さんだった。薄暗い廊下とは対照的な職員室の明かりが、さんの輪郭や表情をはっきりと映す。 「さ…」 俺に気付いて視線がかち合う。その頬に涙の跡があった。 |