14 - 1:苦さだけを舌に乗せて
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 お昼のピーク時間を乗り越え、お供えしている仏飯のお下がりを自分のお茶碗に移すと、ようやく遅めの昼食が取れる。台座は仏壇と呼べるほど立派なものではなく、小さな棚のスペースにお花を飾ったり、明かりを灯したり、ご先祖様や食の恵みに感謝するため簡易的に作ったものだ。何かを食べるときにいただきますを言うことと変わらない。こういうのは気持ちが大事だと和尚様にも言われたことがある。仏道を強制されたことは無かったが、一応お寺が家代わりだったわたしにとって神棚よりは身近だ。久しぶりにこのルーティンを取り入れようと思ったのはつい最近のことだった。

 自分用のお昼ご飯を用意して誰もいなくなった食堂のボックス席に腰掛ける。気持ちのいい空が広がる午後だった。食堂の入口が勢いよく開き、バタバタと複数の足音が近づく。背を向けていたわたしが肩を竦めて振り返ると、ニコニコとわざとらしい笑顔を浮かべ、つい先日の乙骨くんとのファーストコンタクトに興味津々といった様子の2年生がいた。

 「どうだった?」
 「仲良くなれたか?憂太と」
 「高菜?」

 あいつスゲー背伸びてたわ。髪型もかっこつけてたな。久しぶりの再会を果たした級友の変化にキャッキャと喜ぶパンダくんと狗巻くんと真希ちゃん。乾麺の蕎麦で作ったかけそばをすする直前、気付くと3人に囲まれていた。その有無を言わせない圧力に縮こまり、思わず白旗を上げる。

 「大ミスを犯しました…」
 「…は?」

 目は口ほどにものを言うなと思う。予想外の返答。驚きを隠さない3人の視線がそう言っていた。そんな2年生を尻目に、一口分の蕎麦を箸で持ち上げる。しんとした空間にずるずると蕎麦をすする音が響く。最近は乾麺でも美味しいお蕎麦があるなぁなんて元蕎麦屋らしからぬことを思う。やっぱりお蕎麦は出汁が大事だ。出汁が美味しいとお店じゃなくてもそれなりのクオリティーにはなる。かけそばのおつゆを蓮華ですくって息を吹きかけると、わたしのそんな現実逃避を知ってか知らずか、そんなことより話すことがあるだろう、と無言が話の続きをせがんでいた。

 乙骨くんが初めて食堂を訪れた日、とてつもなくおどろおどろしい気を感じたこと、みんなの紹介で乙骨くんが来てくれたこと、その隣にいるリカさんが視えたこと、何も知らないわたしは呑気に二人分のお料理を出してしまったこと、けれど乙骨くんは厚かましくないと言ってくれたこと。一呼吸置いてから、数日前乙骨くんが食堂に来てくれた日のことを順に話し始める。

 「いや、その対応なら正解じゃね?」

 わたしの話を聴いていた真希ちゃんが首を傾げながら顎に手を当てる。何か問題あるか?と言わんばかりだ。

 「実際食堂から戻ってきた憂太嬉しそうだったし」

 真希ちゃんの言葉にパンダくんも、憂太はそういう人からの優しさに気付ける奴だしなと続けた。しゃけしゃけと狗巻くんも賛同している。乙骨くんのことをよく知る3人にそう言ってもらえて、わたしの心が少しだけ軽くなる。
 けれど、問題はその後だった。

 「…実は、それ以降は挨拶も返してもらえなくて…」
 「え」

 狗巻くんがおにぎりの具以外の言葉を漏らしたのを初めて聞いた。それだけ珍しかったんだろう、慌てて両手で口を押えている。真希ちゃんとパンダくんも二つの意味で驚いていた。
 あの日以降、乙骨くんは何度か食堂に来てくれた。けれど、食券を渡される前に先日のお詫びを伝えようとするわたしに、乙骨くんは素っ気なく会釈をしてそのまま席に着いてしまうのだ。きっと他の誰かならそういう日もあるだろうなと然して気にも留めなかった。相手が相手なだけに、申し訳なさからわたしが大げさに気にしている可能性もある。それでも、初めて話をしたあの日の乙骨くんとはまるで別人のようなその態度に、わたしが感じた違和感は誤解じゃないと言い切れる。

 「廊下ですれ違った時も、同じような感じだったんだよね」

 その後、たまたま校内ですれ違った時も、わたしに気付くなり彼は足早に立ち去ってしまった。
 やっぱり怒らせてしまったんだと思う。乙骨くんは自分自身を戒められる人だから、あの場ではわたしに御礼を伝えてあんな風に優しく対応をしてくれただけで、部屋に戻ってからか、朝目が覚めてからか、タイミングはわからないけど、思い返してみたらきっと不快な気持ちが込み上げたのかもしれない。もう一度謝りたかったけど、なかなか取り合ってもらうまでいかなかった。

 「憂太のやつ何考えてんだか…」

 は悪くないぞと真希ちゃんが優しく頭を撫でてくれる。いつもなら子供扱いして!とつっこみを入れるところだけど、今はその優しさがただただ胸に沁みていく。同時に、乙骨くんのことでこんなにも落ち込んでいる自分に気付いた。

 「なぁ、って元々視えるんだっけ?」

 唐突なパンダくんからの質問。乙骨くんの行動の真相を探ろうと、まるで謎解きのために探偵が証拠集めしているようだ。

 「…みんなほどじゃないけど、ゼロではないかなぁ。リカさんははっきりわかったよ」

 あの日のことを正直に伝える。わたしに敵意を向ける可愛い女の子。優しそうな顔立ち。黒髪でネイビーのワンピースを着ていた。禍々しい空気がまさか彼女から発せられているとは思いもせず、誰もが見える存在だと信じて疑わなかった、あの時までは。

 「前に、子供たちの職業体験の話をしたの覚えてる?」
 「ん?あぁ、蕎麦屋の時の」
 「そうそう。わたしにとって、その子たちと変わらないように見えたんだよね」

 纏う雰囲気は重くても、視界が映した彼女の濃度やフォーカスは他の人たちと同じ生身の人間そのものだ。けれど、2年生いわくみんなが主に視えている彼女の姿形とわたしの視え方は少し違っているようだ。

 「あいつも色々あって…」

 わたしはそこで初めてパンダくんたちから乙骨くんとリカさんの生い立ち、二人の関係について知ることになった。リカさんの存在について確信はなかった。けれど察しはついていた。覗いてはいけない宝箱を開けてしまったような、乙骨くん以外の人から聞いてはいけなかったような罪悪感に襲われる。
 同時に浮かんだのは、いつもどおりの夕暮れの中、肩を落として途方に暮れる乙骨くんの後姿だった。ゴールが見えなくても続く道を歩かなければいけない、それはすごく残酷なことだ。小さくなった彼の背中に手を伸ばしたくても届かない。圧し潰されそうな心が涙に変わって流れていくのがわかった。

 「ほ、本、とに、失礼なことしちゃ…」
 「あああ泣くなよ!この場合の無知は罪じゃねえって」
 「……あの"嬉しかったです"も、無理して…」

 落ち込む。気の遣えない自分自身に。わたしの嘆きにも似た呟きに、2年生たちが首を傾げた。

 「嬉しかったって、憂太が?」
 「う、うん…そのときはそう言ってはくれたけど…」
 「なんだ、じゃあ嬉しかったんじゃんやっぱり。怒ってないだろ」

 腰に手を当てて真希ちゃんが確信したように呟く。

 「…それってさぁ」
 「…すじこ」

 するとパンダくんと狗巻くんが顔を見合わせてから、ある仮説を立て始めた。


 「のことスゲー好きになりそうだから予防線張ってんじゃねえ?」


 ふともへともならない声が口を出る。思ってもみない角度の迷推理に思わず涙も引っ込んだ。俺たちには憂太の気持ちわかるよな。しゃーけ!そうパンダくんと狗巻くんが肩を組み頷き合っている。真希ちゃんとわたしは間の抜けた顔をしてお互い見つめ合いながら、一応冗談で言ってるわけではなさそうな男性陣2人に視線を戻す。

 「だってオマエら人間って、守んなきゃいけない存在ができると生きることに執着するじゃん。そしたらちょっと判断鈍ったり隙が出来たり、弱くなるだろ」
 「明太子!」
 「だから大事な存在になる前に自分の気持ちに蓋をするっていうか」

 パンダくんと狗巻くんの熱弁に完全に語彙力を失ったわたしは頭を抱えてしまう。わからないことだらけだ。


 「つまり、の気遣いに惚れたに一票」


 有り得ない言葉の連続に、頭の整理が追い付かない。初対面だった乙骨くんに、そんな風に思ってもらえるような大それたことはしていないし、そんな雰囲気もまるでなかった。仮にパンダくんの仮説が正しいとして、いや、好きかどうかも置いておくとしてだ。疑問に思うのは、嫌いなわけではない相手に冷たい態度を取る意味はなんだろう。乙骨くんにとってわたしはこの3人と同じ態度ではダメなんだろうか。そこまで高望みしなくても、普通に挨拶を交わせるくらいの仲にはなりたかった。
 それでもパンダくんは、男心の詳細な動きまでは女にはわかんねーだろうなぁと鼻を擦って得意げだ。外見はぬいぐるみなのに、ボヤく姿は人間そのものだ。そんなこと男でも女でもわかるわけがない。もうほとんど伸びきってしまったかけそばに箸をくぐらせる。


 「すごいやパンダくん、ご名答」


 突然降ってきた第三勢力の声に全員が一斉に視線を向けた。

 「…乙骨、くん…」

 そこに立っていたのは、今まさに、話題の―
 狗巻くんがすじこ…と小さく言いながら一歩後退る。パンダくんは絶句して、誰よりも早く我に返った真希ちゃんが、いつからそこにいたんだよ!と本人に尋ねた。

 「さんが蕎麦をすすったときくらいからかな…それより、日下部先生が僕たちのこと呼んでるよ」

 それもうほとんど全部です…。どの部分を聞かれていても恥ずかしさは消えない。まさか自分のいないところで、こんな話をされて、勝手に泣かれて、乙骨くんはどう思っただろう。
 乙骨くんの言葉と日下部さんの名前に2年生の3人はハッとして気持ちを切り替えると、悪い、行ってくる!と言って食堂を出て行ってしまった。みんなを呼びに来た乙骨くんとわたしだけがイートインスペースに取り残される。

 「乙、骨く…」

 ごめんなさい。そう伝えなきゃいけないのに。3人の背中を見つめていた乙骨くんはわたしに視線を戻すと、一歩ずつ近づいてボックス席の隣に立った。わたしの顔に彼の影がかかる。決して悪口を言っていたわけじゃないのに妙に気まずい。乙骨くんは伏し目がちにポケットに入れていた手を出す。殴られると思った。

 「…そういうわけなんで、さんは悪くないですから」

 きゅっと閉じた目をおそるおそる開く。テーブルに置かれていたのはポケットティッシュだった。少し困ったように笑って、乙骨くんは静かに食堂を出て行った。


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