13:きみに似た茜色の哀愁


 眉根だけだと切羽詰まっているように聴こえる。
でも、実際はもっと犀利な声だ。絡まる呂律と甘えた仕草が、秋色の紅葉みたいな濃淡で雌伏を偽装する。
 誰にも審判が下せないし、誰もそんなオーソリティーを望んでいない。


 2学年には相当優秀な生徒さんがいて、パンダくんや狗巻くん、真希ちゃんたち2年生が頻繁に話題にしたり、僕を追い越す逸材になるだろうと五条さんも嬉しそうに教えてくれたことがある。アイマスク越しでも本当に慈しんでいるのが伝わるほどだ。この学校のみんなに食事を提供することが仕事であるわたしには、何をもって生徒さんを優秀と指すのかいまいちピンとこなかった。唯一わかるのは、術師の学校なのだから術師として優秀なんだろうという上辺だけだ。物差しの短さは、これまで生きてきた世界の狭さなのだから仕方がない。
 彼の名は、乙骨くんというらしい。

 昼食とも夕食とも呼べない中間の時間帯。今夜使用する食器を洗っていると食堂の入口から途轍もなくおどろおどろしい空気を感じた。思わず持っていたお皿とスポンジを落としかける。厨房のカウンターからイートインエリアを見つめると、2名の来客があることに気付いた。

 「あの、今って空いてますか?」
 「どうぞ。食券を選んだら好きなところにかけてください」

 前掛けで手を拭きながら声をかけると、片方の男子生徒が小さく会釈する。

 「ご利用初めての生徒さん…ですよね?」
 「はい。乙骨です」
 「きみが!」

 噂の本人を目の前にしまったと思うより早く心の声が出てしまった。慌てて口を押えても時既に遅し、乙骨くんは驚きを含んだ視線をわたしに投げかける。

 「あっ、えっと…皆さんが口を揃えて仰るんです。"乙骨っていう優秀な生徒がいる"って…。それで、つい…」

 言い訳がましく謝罪を述べようとするわたしに、乙骨くんはホッとした様子でそうだったんですねと笑った。緊張が見て取れた彼から笑顔を向けられ、わたしも胸を撫で下ろす。あくまでこの場所では安心してごはんをおいしく食べてほしい。それだけだ。そのためにもまずは緊張感と真逆の場所でありたかった。
 優秀と一言で表しても、虎杖くんや五条さん程の自信を纏う感じがない乙骨くんを見て、わたしの短い短い物差しは彼の優秀さを勉学のことだろうかと決め付けてしまいそうになる。眉毛のせいだろうか、困ったような笑顔がとてもやさしかった。もう一人の名前を尋ねる前に、今度は乙骨くんが口を開く。

 「あなたがさん?」
 「あ、そうです!どうして名前…」
 「みんながさんのごはんが美味しいから食べてこいって教えてくれたんです」

 儚くて胸に沁みていく声。乙骨くんは照れながら食堂に来てくれた理由を話し始める。きっと2年生の3人だ。春頃に乙骨くんの話をしていた時、わたしに彼を紹介してくれると約束してくれていた。それが今なんだと思った。
 同時に校内で食堂のことを宣伝してもらえて、こうして実際に足を運んでもらえることが嬉しかった。わたしは御礼を伝えると、彼から食券を受け取る。少しだけ触れた指は長くて骨ばった男の人そのものだ。食券に印字されたスープとパンの軽食セットの文字を確認していたら、乙骨くんたちは空いている席に荷物を置いて座った。
 厨房に戻り両手を入念に除菌する。木の籠に差していた長い紙袋からまずはバケットを取り出して専用の包丁でパンを数枚切り、少しだけトースターで焼き色をつけている間に今度はスープが入ったお鍋をコンロで温めた。チンと鳴ったオーブンから焼けたパンを取り出し、多めにお皿に盛り付ける。スープはカップに2つ用意した。

 「お待たせしました」

 トレーに載せた食事をテーブルまで運んでそう告げると、乙骨くんは目を輝かせた…が、すぐにその表情を曇らせてしまう。あれ?注文間違えてたかな?前掛けのポケットから渡された食券を取り出し再度確認する。パンとスープの軽食セットと間違いなく印字されている。

 「…さんも召し上がるんですか?」
 「え?あぁ、これは乙骨くんのお隣の、」

 女の子の。

 瞬間、カシャンと強い金属音が鳴り響く。持ったばかりのスプーンが彼の手を滑り落ちた。乙骨くんの顔がそれはそれは虚を突かれたような、大きな目、大きな口を開けたまま固まってしまった。わたしはまたも何か変なことを言ってしまったんだろうか。いやきっと言ってしまったんだろう。その隣に座る女の子も強くわたしを睨みつけていた。どうしよう…きっとものすごく怒らせて困らせてしまっている。

 「……視えるんですか?」
 「え?」
 「視えるんですね、リカが」

 リカ。もしかしなくても隣に座る女の子の名前だろう。見開いたままの迫真に迫るその瞳に怖気づいて、わたしは首を縦に振ることしかできなかった。はっと我に返った乙骨くんは一つ咳払いをしてから小さくすみませんと謝った。そうしてトレーに落としたスプーンを拾い直し、ゆっくりとスープを掬い上げる。

 「しかも、元の姿で視えてますよね」
 「も、もとの?」

 元?みえるって、視えるのほう?言葉に沿った漢字を思い浮かべてみる。でも、それだとまるで―

 「…すみません、気にしないでください」
 「いえ…あの、何か気に障るようなことを言ってたら本当にごめんなさい…乙骨くんのお隣に座ってる彼女にも召し上がってほしくて、お料理用意しただけなんです。厚かましかったら」
 「…厚かましくないです」
 「ごめ………え?」
 「厚かましくないです」

 一度目よりもはっきりとした口調。力強いのに少しだけ切なさを含んだ瞳。やっぱりその眉毛の角度は反則だ。すごくすごく幼気な少年を悲しませてしまった気分になる。乙骨くんは取り皿にパンを置き、スープの入ったカップをリカさんの前に置いた。彼女は乙骨くんにだけとびきりの嬉しそうな笑顔を向けていた。わたしに向けられたそれとは180度異なる。
 けれど、目の前のパンには口を付けた後もなければ、カップだって浮いたりしない。この空間に特に異変はない。わたしはそれを静かに見つめながら、居た堪れない気持ちになる。だって、じゃあ、リカさんは。

 乙骨くんは淡々と食事を済ませていく。綺麗な男の人の指でパンをちぎり、時々スープに付けながら口に含んだ。お腹が空いていたのだろうか、あっという間に軽食セットは無くなってしまった。

 「そんなに見つめられると緊張しますね」
 「あ、ごめんなさい!」

 お食事中のところをずっと突っ立って見つめ続けるなんて、なんて気の使えない女だろう…!深く頭を下げると、そっと肩に何かが触れた。驚いて顔を上げる。乙骨くんの左手がわたしの左肩に優しく乗っていた。

 「ご馳走様でした。美味しかったです。……それと、嬉しかったです」
 「…へ」

 思わず変な声が出る。


 「こんな風に二人分食事を用意してもらえたのはさんが初めてですから」



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