あの日からの自分の分かり易さと言ったらない。帰るなり長屋中を掃除して、小袖はすべて綺麗に洗濯し、今まで以上に畑仕事と香の物作りに精を出した。
 まず朝起きることがすごく楽しみになった。顔を洗い、髪を整え忍術学園に持って行く野菜を風呂敷に詰めて背負う。小袖や前掛けに皴がないか、紫足袋の先や下駄に土が付着していないかを細かく確認した。町の女性たちほど流行にも乗れずお洒落も得意ではないけれど、自分なりに整えられる最大限の身なりで忍術学園へと向かう。

 利吉さんに会えるだろうか。門前に着くなり辺りを見渡す。当然こんな邪な気持ちを引っ提げたわたしの思い通りにいくはずもない。そんなことはわかってますよーと、誰に告げるでもなく心の中で悪態をつきながら潜り戸を抜ける。でも、もしかしたらもしかするかもと、念のため潜った戸を今一度振り返ってみたものの、やはり利吉さんどころか人の気配すらなかった。


 「…そう簡単に再会なんてできないよね」
 「山田利吉待ち?」
 「うわぁっ!」


 突然かけられた声に驚き、思わず間抜けな声を上げる。気配もなく背後に現れたのは六年生だった。肩を叩いた立花くんがわかりやすいなと笑っている。つられるように食満くんがにやにやと、善法寺くんが困ったように笑い、潮江くんと中在家くんは興味なさそうに、七松くんが唯一状況が飲み込めないといった顔でわたしを見つめていた。これから早朝の野外授業だろうか、6人揃って外出用の黒い首巻を巻いている。


 「見込みのない恋への意気込みをどうぞ」


 …立花くん、それはどういう意味でしょう。
 一体いつからわたしが利吉さんに、こ、恋をしていることになったのか。


 「小松田さんに聞いたぞ。随分利吉さんのことが気になってたそうじゃないか」


 小松田くん。数日前初めて利吉さんに会った日に確かに彼のことをどんな人かと聞きはした。けれどそれが恋に直結するなんていくらなんでも話が飛び過ぎだと思う。


 「す、素敵だなと思っただけで、そんなんじゃ…」
 「あぁ皆まで言うな。女子の誰もが通る道なんだよ。土井先生、利吉さん、私…」
 「…そこで自分を並べられるお前が怖いぞ俺は」


 立花くんが芝居がかった手つきでわたしの話の腰を折る。潮江くんのつっこみにも意を介さない。この様子からおそらく小松田くんは先日の一コマをそのまま伝えただけだろう。それを六年生がわたしをからかう種にと歪曲して受け取ったに違いない。


 「で、どこがいい?器量か?」
 「さすがに利吉さんは無謀もいいとこだな。なんせ売れっ子忍者だし」


 立花くんに続いて食満くんまで好き勝手言い出す始末だった。学園の生徒と外部の人間という立場であっても彼らが知った口なのは、年齢が二つしか変わらないせいだ。今年入園したばかりの一年生や他の学年の子たちと違って、六年生(特に立花くん)はわたしを呆れたように扱う節がある。二つもお姉さんなのに!と少し前なら反論していたけど、上手く返されて丸めこまれてしまうのがオチだった。忍術学園の最上級生というだけあってそれぞれが各分野でできる子ばかりだし、卵といえど忍者の勘は鋭い。それを学んでいるから、立場や態度はまるで逆転してしまい、妹役がわたしの常だ。わたしのわかりやすさを拾い上げては突っついたり毒づくから、まったくもって侮れない。


 「悪いことは言わないよ」
 「利吉さんだけはやめとけ」
 「もう、みんなして…わたしは別に、まだ何も…!」
 「"まだ"ねえ?」


 利吉さんの存在を聞いて知るたび、住む世界の違う遠い人だと気付かされる。相変わらずどこか冷めた六年生の言葉を一応心に受け止めて、思い出したように彼らを追い出した。


 「ほら、課外授業遅れるよ!早く行った行った!」


 急かすわたしにやれやれといった態度で門を出て行く6人。去り際に立花くんが「せいぜい頑張れ」と耳打ちする。全くもって可愛げのない口調だ。余計なお世話ですー!と手で振り払う仕草をすると、立花くんは素早い動作で5人の後を追いかけた。





   




 「おはようございまーす!」
 「あらちゃん、おはようさん」

 今朝も元気だねえ。食堂の裏口から声を掛けると、ちょうどおばちゃんが窯の火を竹筒で吹き火加減を調整していた。その後ろを通り、失礼しますと一声かけて厨房にお邪魔する。いつもどおり作業台に風呂敷を広げ、運んできた野菜と香の物を並べていく。


 「今日のおすすめは蕪と南瓜と、あ、そら豆も…」
 「っ…」
 「…おばちゃん?」


 屈んで作業をしていたおばちゃんが立ち上がり様よろけそうになる。間一髪でその体を支え事なきを得たが、火を扱う厨房には危険が沢山あった。大丈夫ですか?と労わりながら厨房のさらに奥にある休憩室まで肩を貸すと、おばちゃんの呼吸が少し浅くなっていることに気付いた。

 「やあね。年取ると立ち眩みが酷くて」
 「顔色も悪いです。無理せず横になりましょう?火はわたしが見ておきますから」
 「すまないねちゃん」

 隅に積み上げられていた座布団を二畳ほどの小上がりの休憩室に敷き詰めて、ひとまずその上におばちゃんを寝かせる。下駄を履いて厨房に戻ると、すぐにお湯呑みに水を入れて休憩室の円卓に置いた。
 その間にも食堂のおばちゃんの呼吸がどんどん苦しそうなものへと変わっていく。わたしの心臓がドクドクドクと嫌な音を立てた。目の前の現実に混乱して手や膝が震え始める。誰か人を呼びに行かなくちゃ。保険医の新野先生が一番いい。けれど朝早く医務室にはいなさそうだ。新野先生のお部屋の場所もわからない。


 「おばちゃん!今どなたか先生を呼んできます!」
 「っ、はぁ、…」
 「すぐに戻りますから!大丈夫ですからね!」


 おばちゃんがコクコクと頷く。声すら出せないなんて余程苦しい証拠だ。震える膝になんとか力を込めて、わたしはお釜の火を消して食堂を飛び出した。おばちゃん自身のことも心配だったが、わたしがあの場にいても寄り添う以外にできることが無い。裏口から庭を駆けて事務棟を目指す。目に浮かぶ涙もそのままにただひたすら走った。
 途中地面から頭を出した小石に躓き膝を擦りむいたけれど、今はそれどころではなかった。もしも食堂のおばちゃんが病気か何かだったらどうしよう。今頃意識を失っていたら―最悪の事態まで頭を過り、竦む足に鞭を打つ。脱げた下駄を持ち、もう片方は自ら脱いで再び走り出す。事務棟なら小松田くんや事務のおばちゃんが確実に起きている。今朝も入門票を書いたときに挨拶をしたばかりだ。
 息も絶え絶えに事務所棟に辿り着く。するとそのとき、運良く事務室から出てくる人影が目に入った。



 「…利吉さん…っ!」



 まさかだった。わたしの叫びにも似た呼びかけに彼が顔を向ける。


 「きみは…」
 「助けて、くださ…っ、食堂のおばちゃんが…倒れて、…っ、苦しそうで…」


 下駄を抱え満身創痍のわたしの言葉に利吉さんが目を見開く。呼吸を整えようと胸に手を当てるわたしの肩に、そっと手を置いて状況を尋ねる利吉さん。その手の温かさに一時の安堵が押し寄せる。


 「今も食堂か?」
 「は、い…っ、厨房の…休憩室に…」
 「わかった。きみは小松田くんに声を掛けて、すぐに新野先生を呼んでくれ」


 それだけ確認すると利吉さんは全てを察しすぐに食堂へと向かった。助けを呼べたことで今にも溢れそうだった涙がぽろぽろと零れ落ちる。わたしは涙を拭い、目の前の事務所にいる小松田くんに急いで声を掛けた。小袖の裾から血を流し、涙で顔がぐちゃぐちゃのわたしの様子に小松田くんもすぐに事態を察知して、慌てて新野先生の部屋まで駆け出して行った。






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