「五条くんってすごく綺麗」


 そう言ったのは、俺を真正面から見つめるさんだ。

 「…よく言われる」
 「あ、やっぱりみんなも気づくか」

 綺麗と言われることには慣れている。カッコいいと言われることも、俺自身の評価は別として、俺の事をそう言う人は多い。
 今は美術の時間だ。隣の席の人と向き合って、お互いをクロッキーで描くという課題の最中。美術室の中はざわついている。デッサンよりも無駄話をしている奴の方が断然多い。
 まだ、スケッチブックに俺は何も描いていない。なのに指先は木炭を持っているだけで黒く汚れている。チャコールペンならよかった。触れただけで伝染するのは、ちょっと病気に似ていると思う。

 「人の、綺麗なものに対する共通の感じ方って不思議だよね。どこで捉えるんだろう」
 「そこは人によるんじゃね?輪郭だったり、眉毛だったり、唇だったり」
 「はー、なるほど…」
 「見た目じゃなくて、仕草の場合もあるし」
 「五条くんはきっと、誰にどこを切り抜かれても綺麗って思われる形なんだろうね」

 羨ましいなあ。さんが目を輝かせながら言う。
 他の人間はどうでもいい。さんなら、俺のどこを切り抜くんだろう。

 「うーむ…」

 木炭を俺の前に翳して、さんが俺を睨む。デッサンのために観察しているらしい。
 さんは制服のスカートに隠れた膝と、白いソックスの脚をしっかり閉じて、スケッチブックを膝の上に立てている。うちの女子制服はもっと着こなしが自由なはずなのに、さんにはこだわりがないようだった。スカートの丈が膝にかかると、もう破滅的に野暮ったくなる。でも俺はその野暮ったいのが嫌いじゃない。

 「こうかな……」

 見えない部分があるということは『こいつは何かを隠してる。もう少し時間が経ったら、俺に何を見せてくれるだろう』と、そんな期待を感じたりする。
 蝶に生まれ変わる前の幼虫みたいなもんだ。蝶はどうして最初から蝶の形に生まれないのか。それは最初から蝶だったら、すぐに狩られて死んでしまうからだ。

 白状する。そんなことばかり考えて、さんをデッサンするのを忘れていた。


 「できた…。うーん、さすが五条くんだ…うんうん」

 さんは肩を下げて長く息を吐き出した。スケッチブックを机の上に置く。満足そうに目を細めて、両手を組んで頭上に伸ばした。
 俺は少し身を乗り出して、さんの机の上に手を伸ばす。

 「見して」
 「え、あ、うん…」

 さんのスケッチブックを引き寄せた。さんが俺の方へ体を寄せて、俺と一緒にスケッチブックを覗き込む。

 「ここまで描けたらわたし、大満足」
 「…綺麗って、顔のことかと」

 そこには目だけが描かれていた。左右の目だけが、白い紙の中央にある。こすれば消えてしまいそうな薄い筆圧で、長い睫毛が描かれている曲線的な目だった。

 「俺って目だけ人間かよ」
 「デッサンは心が見たままを描くの。だからこれでいいんです」

 言いながらさんは俺の手元からスケッチブックを取り上げた。俺の『目』だけが描かれたページをスケッチブックから慎重に破りとった。それを自分の机の中へしまう。
 俺の一部分を、さんは自分の手で捕まえた。そうして、自分だけのものにしてしまった。俺は、まったく悪い気がしなかった。
 俺に向き直ったさんは、少しだけ照れたように笑って言う。

 「ごめん。先生への提出用に、もう1枚普通のデッサン描かせて」
 「さっきのは出さねえの?」
 「……うーん。綺麗なものを、ちゃんと綺麗に描けた気がするから、他の人に見せたくない。自分で描いといて何だけど」
 「それって」

 俺を好きなんじゃね?

 訊こうと思ったけど、もったいないので言わなかった。
 俺が黙っていると、さんは少し眉を寄せながら右足のソックスを引き上げた。指についていたクロッキーの黒い粉が白いソックスについてしまう。さんはスケッチブックの新しいページに、木炭を走らせながら言った。

 「五条くんもさ、そろそろ書き上げないと時間やばそうだよ」
 「まあボチボチ」

 日差しが白いカーテンを越えて、さんの右側を光で照らす。
 彼女の白いブラウスと白いソックスは、彼女の呼吸に沿って上下する。まるで生き物みたいだ。さんの体を包む1枚の生き物。そこに、今まで口にしたこともないような卑猥な言葉や侮蔑の言葉で、幾何学模様を描き殴ってみたくなった。彼女はどんな反応をするだろう。
 ブラウスから首筋へ視線を移動させる。白い。細い。たとえば俺がそこへ、力いっぱい木炭を押し付ける。さんの体には落ちない汚れがつく。彼女は驚いて、俺を睨むかもしれない。睨んで、それから…

 今のさんに感じた感情を、なにかに記録しておきたくなった。終わりの5分くらいで描き終えようと思ってたけど、やめた。予定変更だ。
 俺は唇を舐めてから、正直に彼女に伝える。

 「俺のは、放課後じっくり描かせてほしい」
 「え?」

 さんが肩を一瞬ゆらして、目を見開く。

 「え、わたしも五条くんのデッサンの続きが」
 「それは今描き上げて。俺が描くさんの絵は、放課後に別枠ちょうだい」

 本来クロッキーは時間をかけるものじゃない。長くても10分くらいで形を写し取る練習として行う。それなのにそんなことを言ってみる。
 俺からの無茶難題に、さんの持っていた木炭の先端がボキリと音を立てて折れた。





愛を宿すための余白