もう夏の終わりだというのに残暑は厳しく、暑さが肌に纏わりつくようだった。コンクリートの堤防の上を、まるで映画のヒロインのようにバランスを取りながら歩く。夕暮れ時の海に反射したオレンジとも青とも似つかないような微妙な色合いが好き。髪を撫でる潮風が好き。いま見える海辺は白昼のにぎやかさなんて皆無で、ただ静けさが漂っている。でもわたしは案外こういう静けさの方が好きなのかもしれない。切ないときはより一層切なく、幸せなときはより一層幸せにしてくれる気がするのだ。今のわたしに例えると、浦飯くんが傍にいるという幸せが深まる気がするのだ。地平線に半円だけを残し輝く夕日をぼーっと見て、なんとなくそう思った。


カチ、と言う音が無音の中で響く。その後ボウ、と炎の音がしたからおそらく浦飯くんが煙草に火をつけたんだろう。この間、禁煙するって言ってなかったっけ?ゆっくりと歩いていた足を止め、浦飯くんを振り返れば、煙草を咥えたまま笑顔で「前向かないと落ちんぞ」と言った。


さっきわたしが堤防の上に登ってからどれくらい経っただろうか。最初は下を歩いていた浦飯くんも途中から堤防に登ってきて、大の大人が二人で堤防の上を歩くというほかの人から見たら若干滑稽な絵になった。浦飯くん、暇なんだろうな。だから煙草吸ってるんだ。わたしの前では極力吸わないように気をつけてくれてるのに。暇でも付き合ってくれるんだ、やっぱり優しいなあ。だけれどやめられないのだ。幼少期はよくこうやって高いところに登って遊んだものだ。遊具だったり、木だったり。そんな幼少期が蘇ってくる。もちろん今になってはしゃいだりはしないけれど。



「ねー浦飯くん?」
「んー?」
「禁煙するって言ってなかったっけ?」
「言ったけかなあ、んなこと」
「言いましたよー」
の聞き間違いだろ」
「いーえ、わたしはこの耳でしっっかりと聞きました」



はは、と笑って「なかなかやめらんねんだよ、煙草は」と言いながら煙を吐き出した。ふーん、と返してまた前を向き、止めていた足を再びゆっくりと動かす。浦飯くん、中学のときは、そりゃまあ悪いことの一つや二つ、三つ四つくらいはしてたけど(ううん、それ以上かも。)あんまり校内で煙草を吸ってるところは見たことなかったのになあ。お酒は飲んでたしパチンコもしてたし、でもずっと付き合ってるわたしでも煙草を吸っている姿はあまり見たことがない。まだ禁煙を実感する年齢なんかじゃないけれど、「赤ちゃん生まれて、大きくなったときパパが病気になったらかわいそうだよ」って言ったら「じゃあ禁煙しねえとな」って笑ってた。(ほら、やっぱ禁煙するって言ったよ!)


先程と比べるとずいぶん宵の闇に包まれていった。そのうちあっというまに辺り一帯が暗闇で覆われるだろう。この辺は街灯なんていう文明の機器はないから、数十センチ先の堤防は見えなくなるだろう。そうなる前に降りなきゃな。さっきの浦飯くんが言うように落ちちゃう。


またボウ、という音がした。そしてまたわたしは歩みを止めて浦飯くんを振り返る。手には火をつけたばかりの真新しい煙草。吸殻は数メートル下の砂浜にダイブしたのだろうか(ポイ捨て…。)「禁煙!」と叫ぶとはいはいと承諾したような表情をするくせに、煙草の火を消す素振りはまったく見せない。「赤ちゃんのために禁煙するんじゃないの」浦飯くんと向き合って拗ねたように聞くと「まだまだ先の話だろ」と呆れたようなびっくりしたような顔で笑った。そんな事ないのに。浦飯くんとならいつだって…。俯くと「子供が欲しいのかよ」と頭上から優しい声が聞こえた。かあっと顔が熱くなるのがわかる。そんなわたしとは逆に穏やかにわたしを見つめる浦飯くんにちょっとだけむかついて、くるっと彼に背を向けると、大きな声で「欲しいよ!」と叫んだ。そうしている間にも闇はどんどん侵食していく。


半円顔を出していた夕日もほぼ地平線の向こうに沈んだ。纏わりつくような暑さがすこし和らいで、少し冷たくなった潮風がデートのために買ったワンピースをひらひらと揺らす。「もう暗いから帰るか」浦飯くんに背を向けたまま言う。だけれど返事はない。無視…?



、こっち向けよ」



わたしが質問してるんだけど。仕方ないと思って振り向き浦飯くんを見上げれば、唇に温かい感触。すこし苦い。わたしから離れるとまた煙草を咥えて、煙を吐き出した。



「な、ななななな!」
「はは、今更照れる間柄じゃねえだろ」
「だ、だだっていきなり…!」
「おっかしいやつ。」
「もー笑い事じゃないってば!」
「こども」
「…え?」



とオレの子供、いつ頃欲しい?」


軽々と堤防から降りると、浦飯くんはニヤリと笑ってそう言った。







「こっち向けって。」
左手にダイヤモンドが輝くのはそう遠くない未来のはなし