未知の領域に足を踏み入れるのは結構度胸がいることだ。それに伴って腹の底を擽る妙な浮遊感みたいな恐怖も感じる。けれども頭の中にある好奇心だけは急かすようにまだ知識の中にない不透明な事実を知ろうともがくように求める。押さえ込んでも溢れ出すそれにかなわなくて、結局わけのわからないものに手を伸ばそうとするのだ。
 今、この瞬間こそ、おそらくそれはわたしに起こっていることだと思う。わけもわからないものに片足を突っ込んでいることに戸惑いを感じつつも、この先にあるものが一体なんなのかわかりそうで、それを求める感情が高ぶる。いや高ぶっているのはそんな可愛らしいものだけではないかもしれない。

「何ぼーっとしてんだよ」

 不意に思考に外部から声が割り込んできた。驚いて考えることを中断し、数度瞬きをしてから声の主を捜した。意外とその人は物凄く自分と近い位置にいて、顔の距離なんて5センチ程度。お互いのどちらかが頭を動かせば簡単にキスできる。妙に熱のこもった呼吸を繰り返している幽助に間抜けな表情を浮かべたまま緩慢な速さで唇を動かした。

「あ…ごめん」
「おめー余裕あんなァ。こんな時だっつーのに」
「いや、ないよ。余裕なんか」
「嘘つけよ。考え事でもしてたんだろ」

 たやすく事実を見抜かれてしまいわたしは思わず口を噤んだ。そうすれば目の前にいる彼はやっぱり、と確信めいた表情をする。
 確かに幽助の言うとおり考え事はしていた、けどわたしの中に余裕という二文字は一切存在しない。むしろ焦りと興奮と若干の恐怖、そしてそれ以外の複雑に絡み合った感情がわたしをがんがんと揺さぶっているのだ。ここに余裕なんてものが入り込む隙などない。それにわたしからしたら遥かに幽助の方が余裕に見える。

「…幽助の方が、余裕じゃん」
「そりゃおめー日頃から夜鍛えてますから」
「何を」
「お前それオレに言わせる気?」
「あーもういい、いーです。大体予想ついた」
「…何予想したんだよ」
「………」
「おまえな!そこで黙んじゃねーよ!なんかオレが恥ずかしいだろーが!」
「あっ、ちょ…う、うごかな、い、でっ」

 突然電撃のように腰に走った鈍い痛みに耐えられず身体の下に広がった安っぽい白いシーツを鷲掴みにした。わたしの様子に幽助も少し驚いたみたいだったけれど、すぐに表情を元に戻し「あー、大丈夫だって」とどこか投げやり気な声でわたしの耳元に囁き腰に回した手に力を込めた。
 適当な幽助の声だというのにわたしは何故かその声を聞くたび酷く安堵する。一瞬痛みで強張った身体もすっと力が抜け、わたしは母親に甘える子供のように幽助の首に回した片手を引き、幽助の顔を自分の方に近づけた。幽助もわかっていたのか、すんなりとわたしの方に引き寄せられてどちらからともなく互いの唇を合わせる。もう幾度となく繰り返してきた口付けだというのに未だ慣れないものがあった。ぬるりとした幽助の舌がわたしのそれと絡んでは離れ、また直ぐにくっつく。あまりにも深いその行為をしている私達はもう、人間というより本能を剥き出しにした獣だった。
 実際私達の下半身は既にただの動物同然で、卑猥な水音を立てたまま繋がっている。身体も産まれたまんまの裸体でお互いの素肌を晒したまま、わたしの上に幽助がまたがっているのだ。

「キツいか?」
「う…なんか生まれそう」
「オイオイオイオレちゃんとゴムつけたぞ、17才の父親とか笑えねーよ」
「わたしだって母親なんてまだ無理だよ!しかも初めてなのに…セックスってこんなに痛いもんなの?」
「オラァ女じゃねーから知らねーけど、そういうのって最初だけなんじゃねーの」
「えぇー…そんなぁ…」
「だから次ヤりゃ気持ち良いってことだろ」
「え、またやるの?」
「え、何言ってんのちゃん。あたりめーだろー。ていうかまだこれだって終わってもいねーよ」
「だってこれ、痛いよ」
「だから言ってんだろーが、慣れりゃ気持ち良くなるって」
「で、でも幽助の、おっきくって…」
「………」
「え、ちょっと、なんでそこで黙るの」
「……あー…」

 不意にひとり目を泳がせた幽助は何かを誤魔化すように再びわたしの唇を奪った。唐突に訪れたそれにわたしは驚きつつもあまり抵抗せずに受け止める。唇と唇が重なり合って、合間には離れるたびに唾液でできた銀色の糸が引いた。幽助が額をわたしのそれにくっつけてきて、普段は上げている前髪がはらりと肌をくすぐった。
 目を細めながらわたしはその髪に幽助の首に置いていた手の指を絡ませる。黒髪のそれは洗い立てのせいかふわふわとした感触で、触っていて気持ちが良かった。

「まだ無理か」
「うーん…どうだろ。わかんない…」
「わかんないってなァ、テメーのことだっつーのに何言ってんだよ」
「だ、だって初めてなんだよ!しょうがないじゃん!」
「…ンなこと言われてもな、オレだってそろそろ限界なんですけど」
「………」
「大丈夫だっつーの、ゆっくりやっから。怖くねーって」
「…………」

 唇を軽く合わせつつ、普段はあまり聞くことのない柔らかい幽助の声に促されるままわたしは恐怖が未だ体をじんわりと支配しているというのに、小さく頷いた。
 汗ばんだお互いの皮膚が触れ合う中で幽助のそれが私の中でゆっくりと動き出したのを感じる。時折ぐちぐちと微細な痛みが子宮を突いてくるけれど、それよりも今は波のように次第に大きくなっていく快感の方が勝っていた。丁寧にしかし荒く子宮の奥を突いてくる幽助のそれは、既に破裂しそうなほどわたしの中で膨張している。浅く呼吸を繰り返し快感の波に呑まれるまま、わたしは幽助と密着しようと体を合わせた。幽助はやはりただただわたしに応えた。

 おそらくあと数秒の時間を経た後にわたしも幽助も絶頂を迎えるだろう。それはわたしにとっても幽助にとっても未知であまりにも卑猥で拙い行為。しかしそれでも受け入れるのは好奇心と微量の恐怖が急かすからだ。知らないものを知りたいという欲求が渦巻く中で、わたしはその先のものを手に入れようと指先を伸ばす。あまりにも卑猥であまりにもつたない行為だというのに、わたしはそれを幸せだと感じているのだ。
 そうして私たちはもうすぐ、未知の領域に足を踏み入れる。





浮遊する領域  2009/08/06