ぱたりと止んだ。続く残暑も秋空に居場所をなくしたのか、涼しさを含んだ風を運ぶようになった。あれだけ楽しみにしていたはずの夏休みも早々に終えて一ヶ月、彼の姿を見ることもまだかなわないでいる。

 「いい天気…最高だなー」

 朝から思っていたことを今日初めて口に出しながら屋上までの階段を上る。数歩先の窓からのぞく青。近付いて手を伸ばしたい。外へと繋がる扉を開けて外気に触れると、指先からすぐに乾いた風を感じた。少し早い制服の衣替えにも納得できるくらい、ここ数日ぐんと肌寒くなった。とはいえ、ほんの一週間前までの夏の名残と比べればの話だ。春に次いで過ごしやすい季節の到来に変わりはない。
 入道雲はどこへ消えたんだろう。4階に位置するこの屋上から空を見上げながらそんなことを思う。薄く点在する雲がゆっくりと風に流れる様子を見つめながら、わたしは扉の裏側にある給水塔まで静かに歩いた。こんな日に授業なんか受けてはいられない。空はいつにも増して青く、陽の光も気持ちがいい。

 「よいしょ、っと…」

 呟きながら梯子状の階段によじ登る。少しだけ間隔が広いため、その分足を大きく持ち上げなければ進めない。誰もいないとはいえ一応スカートの裾を気にした。一段登るたびに片手でスカートを抑える。下を向くたびにちらりと見えてしまう地面との距離に一瞬頭が真っ白になる。ただでさえ高い屋上からさらに上に登る給水塔の階段だ。恐怖を認識してしまえば足が竦んでどうしようもなくなってしまう。わたしは自分が今いる位置を頭の片隅に追いやって、とにかくこの梯子階段を登りきることだけを考えた。

 「よし、到着!って…あれ?」

 すると、最後の一段に足をかけたそのとき、目の前の景色がひらけたと思ったらそこには見覚えのある制服が寝転んでいた。

 「…浦飯くん」
 「あ?」

 両腕を後ろ頭で枕代わりにしながら空を仰ぐように煙草をくわえている。ニッカポッカのような制服のズボンを履いた足は組まれて、まるで自分の家のような寛ぎ方だ。驚くわたしに腕枕を解いて起き上がった浦飯くんが「?」と訝しげな声を上げた。

 「な、なにしてるのこんなところで」
 「それはこっちの台詞。どーせオメーはサボりに来たんだろ」
 「いやいや、それこそわたしの台詞…」

 最後に彼に会ったのは夏休みに入る前。終業式は浦飯くんが欠席していたから、本当に二ヶ月以上ぶり。浦飯くんはふんと得意げに口角を上げて、それからすぐにくわえ煙草に火をつけた。両目を瞑り、ライターを持たない方の手で火を風から守るような仕草。その手が大きくて思わずドキッとした。煙草に火をつけないで空を見つめていた浦飯くんは今まで一体何を考えていたんだろう。二ヶ月以上もの間彼が何をしていたのかなんて知る由もないように、学校での付き合い以外皆無のわたしにそんなことがわかるわけもなかった。気候も手伝ってか、それがすこしだけ寂しい。

 「浦飯くん」
 「なんだよ」
 「…ううん、なんでもない」

  言いかけてやめる。浦飯くんは「変なヤツ」とつまらなそうな声を上げたが、起きかけた身体を床に寝転ばせるとそれ以上は何も言わなかった。再び考え込むように空仰いでいる。普段からたまにこうやって大人びた表情を見せる。でもそれは密かに彼を見続けてきたわたしだからわかるんだと、に言われたことがあった。授業をサボってはいけないとか高校生なのに煙草を吸ってはいけないだとか、そんな道徳的な考えがすぐに浮かんでこないくらい、わたしは彼に夢中だった。
 でも、わたしの気持ちを当然知るはずもない浦飯くんは、また一段と子供っぽさと大人っぽさの同居する男の人になった気がした。夏休み前とは確実に変わったその雰囲気が、言いかけた言葉を飲み込ませるには充分だった。特に重要なことを伝えたかったわけではないけど、久しぶりだなんて安直な挨拶は今この場にそぐわない。行き場をなくした最後の一歩は給水塔に着地することはなかった。なんとなく引き返そうと踵を返して、わたしはそっと梯子階段を下りることにした。それなのに。

 「………う、浦飯くん」
 「今度はなんだよ!」

 浦飯くんが少し声を荒げる。無理もない。さっき名前を呼びかけて言葉をつぐんだのはこのわたしだ。きっとまたなんでもないなんて言ってしまえば、彼は今日一日口をきいてくれないと思う。でも今はそれどころじゃなかった。
 一段登って再び浦飯くんのいるてっぺんに顔を出す。

 「お、降りられなくなっちゃった…」
 「は?」

 しばらくの沈黙。今のわたしはきっと情けない顔をしているだろう。浦飯くんは呆気に取られている。
 ここへ来て突然高所への意識が大きくなった。のぞきこんではいけないとわかっていたはずなのに、足元を見ないと降りられないと今さらになって気付く。澄んだ空気のせいで余計に視界がはっきりと映る。屋上からの景色の良さが仇になるなんて。

 「…おまえ、オレに降ろせってことかそれは」
 「い、いやあの…その…」
 「なんだよ」
 「う、薄々気付いてはいたんだけどね…」
 「おう。言ってみろ」
 「…わたし、高いところ、苦手だなぁって」
 「…………」

 呆れた視線を投げかける浦飯くんに、にこっと笑って見せたけど引き攣って仕方がない。あからさまに嫌な顔をして浦飯くんは盛大な溜め息を吐いた。こ、怖い。相変わらず顰めたままの彼の眉間に、さすがに降ろしてもらうのは申し訳ないと感じたわたしは「や、やっぱり大丈夫!」とだけ言い残し、意を決して自力で降りることにした。元々はそのつもりだったのだ。
 けれど、給水塔から屋上の地面までは結構距離がある。梯子を下りようとはするものの高所恐怖症のわたしはなかなか下へと進めない。すると、そんなわたしに痺れを切らしたのか、浦飯くんは本日二回目の溜め息を吐きながら梯子で立ち往生するわたしの腕を突然掴んだ。もう一度給水塔の上に戻される。かと思えば、急にわたしの腰に手を回した。

 「やっ、わわ…う、浦飯く…」

 小さく背中が仰け反る。その反応で、浦飯くんも思わず両手をあげる。一瞬、何が起きたのかさえわからなかった。







not beautiful.

振り回される。振り回している。でも、夢じゃない。