「浦飯くん…?」


 自分の声が木霊するように、こんなにも身体中に響き渡る。浦飯くん。その真剣な眼差しのワケを教えてほしい。

 「うら…」
 「さっき、裏庭で」

 浦飯くん。呟こうとした名前が、彼の言葉に遮られる。浦飯くんは、手探りで自分の気持ちに向かい合うかのようにぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


 「に言われたこと、家に着いてからもずっと考えてた」


 一緒にいるこの空間で。ぼんやりと浦飯くんは今と過去と未来を比べるように行き来している。浦飯くんがわたしの言葉を今までずっと考えてくれていた事実に、嬉しさと申し訳なさと、驚きが混じる。
 左手で軽く拳を握りながら、向かいのホームを見つめている彼の表情は、高校という枠に囚われなかった3年間の答えがある気がして、とても大人びて見えた。見据えた視線の先には何があるんだろう。浦飯くんはどんな景色を見てきたんだろう。触れたくて、でも戸惑うことしかできないわたしには、目の前の彼の言葉を噛み締めるのに手一杯だ。

 「ご、ごめん浦飯くん!そんな考えさせるつもりじゃなくって、ただ…」
 「いや…オレが考えたかっただけかもな」

 そう言ってわたしの方に顔を向けると、浦飯くんは普段の悪戯っ子な笑顔とは別の表情を浮かべていた。
 そんな彼に心臓がはねて、わたしはそれを止める術がわからない。ううん、むしろずっとこのままでいいとさえ思ってしまっている。でも、そうじゃないよ浦飯くん。考えさせちゃったのはわたし。ぶんぶんと強く否定の意を込めて首を振る。困ったような笑顔も束の間、浦飯くんは再び前を見つめて口を開いた。
 カフェオレが手のひらで温かかった。


 「お前とは一年で知り合って、女で唯一気を張らず喋れる仲っつーかよ…後輩とも、他の女とも違うヤツだなーとは漠然と思ってた。でも特別何かをしてやれた覚えはオレにはねえ。…忘れてるだけかも知んねーが、そん時そん時当然と思ったことしかオレはしてねえ。…それなのに、ロクにガッコも行ってねえオレが、お前にあんな風に感謝されるのはなんでだ?って、ずーっと考えてみたんだがよ…何より、あの言葉をオレに向けるお前に…もう、会えなくなるっつーのが無性に気に入らなかった。でもその理由がテメェでもわかんねえっつーからいい加減だなぁとは思うけど」

 「・・・・・」
 「でも、なんだ。上手く言えねーけど、…これって」


 たまにわたしたちの前を歩いていく人もいた。それでも、わたしにはこの情景が、浦飯くん以外の存在を感知していない。浦飯くんの紡ぐ言葉が、同じ今日だったはずのあの時間でのやり取りを思い出させて、彼へと向けた無鉄砲極まりないわたしの言葉を、こんなにも真剣に受け止めていてくれるなんて思いもしなかった。浦飯くんにとってのわたしは、ただの同級生で、今日交わしたあの言葉も「あんなヤツもいたなぁ」程度に思い出すくらいだろうと思っていた。それなのに、後輩とも他の女の子とも違う。そんな風に思っていてくれたなんて。
 一年生のとき、同じクラスになって初めてその存在を知った。クラスが離れてからも姿を見つけては、お互いになんでもないようなことを話し合う。後輩にも人気だった浦飯くんの背中を追いかけて、このまま学校をサボってしまいたいときだってあった。特別なことなんかされてない。でも、わたしにとって、浦飯くんのいる学校は特別な場所だった。これはすごく一方的に。


 「オレはを放っておけないってことだな」


 それなのに。そんな特別な想いを抱いてもらえるなんて、嬉しさを通り越して申し訳なさが先立ってしまう。浦飯くん、違うの。わたしが本当に勝手にあなたを好きだっただけ。考えさせたかったわけじゃない。出会えたことが奇跡だった。本当に、それだけでよかったの。言い訳がましさ。浦飯くんにはないこういう迷いが大嫌いだ。でも、気持ちに嘘はない。同時に浦飯くんを悪者に仕立て上げてしまうような罪悪感を感じてしまうのは、きっと。

 「螢子がいるのによ」

 螢子ちゃん。その存在の大きさを知っている。だから、わたしは…この気持ちを知られちゃいけなかった。知られたところで、これはわたしだけの問題じゃなくなってしまう。浦飯くんには螢子ちゃんがいて、わたしには計り知れない時間や思い出を一緒に過ごしてきたはずで。優しい浦飯くんの守るべき人。わたしの気持ちが、その関係を崩すことは絶対にあっちゃいけない。
 わたしは一呼吸置いて、浦飯くん、と力強く名前を呼んだ。彼は驚いたようにわたしの方に振り返る。


 「すごく、嬉しいよ。ほんとに…。ありがとう。わたし、自分が想像してた以上の言葉をもらった気がする」
 「…」
 「でも」

 浦飯くんは黙っていた。わたしも、思ったことだけを彼に伝える。すると、ちょうど間もなく到着する電車のアナウンスがホームに流れ始めた。電車が来るまでの20分。神様がくれた彼との最後の時間。いつもなら長く感じた待ち時間がたまらなく短く感じる。

 「でも…浦飯くんと螢子ちゃんをどうこうしたいわけじゃないの」
 「…」
 「本当だよ?わたし…多分もう…バ、バレバレだろうから言うけど、片想いでよかったの」

 片想い。3年間の気持ち。3年目の答え。叶わないことは百も承知で恋をした。学校という小さな、けれどそれだけが全ての世界だったわたし。見知らぬ大きな世界を旅しているような浦飯くん。そんな彼にとっての螢子ちゃんの存在も、充分わかっていた。

 「考えさせちゃってごめんね」

 ホームに光が入り込む。一定の大きな音を立てて到着した電車が私たちの前で止まると、息を吐くように扉が開いた。これに乗って帰ろう。これ以上一緒にいたら、自分の気持ちを飲み込めなくなってしまう。ゆっくりと一度まばたきをして開いた扉から降りる人を確認しながら、わたしはふいに立ち上がる。浦飯くんは何も言わずにわたしを見つめていた。

 「ありがとう浦飯くん。大学でも頑張るから…それじゃあ」
 「!」

 彼の声が響く。浦飯くんに買ってもらったカフェオレのペットボトル、飲み終わっても大切にしよう。そんなことが頭を過ぎった時だった。


 「え…」

 ひしゃげるくらいに強く腕を引っ張られた。その瞬間、目の前が真っ暗になる。浦飯くんの匂いに包まれる。力強い感覚。後ろにつんのめりそうになったわたしの身体を浦飯くんはいとも簡単に抱きかかえた。わたしがわけがわからず固まっていると、「扉が閉まります、ご注意下さい」とアナウンスが他人事のようにホームに響いて、すぐ後ろでは機械音を立てて再び扉の閉まる音が聞こえた。え、あの、これ…。

 「浦飯く…」
 「話はまだ終わってねえ」
 「話って…だって…」

 やばい、泣きそう。これじゃあ式の後と変わらない。さっきはなんとかスカートの端を握り締めて立っていたけど、今度は、ごまかせない。浦飯くんの胸に自然と顔を埋める形で会話している。こんな予想もつかないこと、どうして浦飯くんは堂々とやってのけるんだろう。

 「浦飯くん…わかってるの?…螢子ちゃんが……それに」
 「それに?」
 「わたし、浦飯くんを悪者にしたいわけじゃない…それなのに、一緒にいたら…もっともっと…」


 もっと、もっともっと。今以上に、もっと。


 「浦飯くんのこと、…好きに…」
 「…上等」


 呟くと、わたしを離すどころかますます力強く抱きすくめられた。ぽんぽんと大きな手が背中を叩く。乗り遅れてしまった電車。本当は、乗り込んでこの気持ちごと彼と決別するつもりでいたのに。…夢みたい。
 堰を切ったようにはらはらと零れ落ちる涙に、浦飯くんは気付いているのだろうか。バツが悪そうに「あー…」と言葉にならない声を上げている。おかしくて、少しだけ笑ったら「こんなときに何笑ってやがる」とふざけたように呟いた。

 「大体よ、なんでオレがを好きだと悪者なんだよ」
 「だって…浦飯くんには大切な大切な螢子ちゃんがいるじゃない…」

 わたしの言葉に、浦飯くんは「幼馴染なんだから当然だろ」と言った。


 「螢子に気遣っての存在を否定すればするほど、自分に嘘ついてるよーな気になんだよ」


 突然振ってきた言葉に驚いて顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃなわたしの顔に、浦飯くんははぁ、とひとつ溜め息を吐くと、すぐに意を決したように言葉を続ける。


 「オレは気付かねえ振りしてただけだ。お前と、自分の気持ちにな」


 自分で決め付けて、勝手に他でデカくなっていく部分を認めなかった。そう呟く浦飯くんはいつもより少し雄弁だった。言葉よりも態度や行動で先に示す浦飯くん。こんなにも不得手そうに、わたしに向き合ってくれている。鼻をすすると、浦飯くんは腕の中のわたしを気恥ずかしそうに見つめる。

 「―てえのが、ワトソン君と謎解いた結果だな」
 「ワトソン君?」
 「…気の置けない仲ってやつ?」

 横目な浦飯くんがおどけて見せる。すごい名前…!浦飯くんにそんなお友達がいるとは思いもしなかった。わたしが微笑むと泣くのか笑うのかどっちだよ!と鼻をつままれた。

 「そいつがよ…"オレが悩むときはのことしかねえだろ"っつーんだよ」
 「わ、わたし…?」
 「ひょっとしてオレってわかりやすいのかぁ?」

 自分の気持ちにいっぱいいっぱいであれだけど、思えばさっきから、わたしはものすごい爆弾発言を沢山聞いてるんじゃないだろうか。わたしなんかの話を、浦飯くんがお友達に話したり、悩んだりしていてくれたなんて…。台詞臭く感じる言葉も、浦飯くんだと当然のように沁み込んでいく。見せてくれる表情も、普段とは違う場所、違う時間だけのせいではない気がした。
 ぶつぶつと不貞腐れたように呟きながら、浦飯くんはすでに冷めかけているおしるこの缶をごみ箱に投げ捨てた。命中したそれが、既に捨てられていた缶とぶつかり合う。ようやく離れた身体。夜は寒かった。

 「4月になったら迎えに行く」

 唐突な言葉に浦飯くんを見つめる。4月になったら迎えに―わたしはうんと頷くので精一杯だった。その答えに満足そうに笑う浦飯くんはわたしが3年間好きだった彼そのもので。吐く息の白さが、これを現実だと知らせてくれていた。
 浦飯くんの覚悟。今、初めてその気持ちを知った。









実る日に花蕾は


 言葉の重みを誰よりも知っている。有言実行―そんな彼だから、こんなにも心で根付いていくんだろうか。

 わたしにも、貴方のために何かをさせてよ。一人で待つのはもう充分。