『浦飯くんに会えて、すごくよかった。すごく楽しかったし、すごくいい思い出ができた』


 こんなにも面と向かって自分の気持ちを向けられたのは、戦いとか、魔界霊界いろんなことを抜きにして、人間界で、しかも取り立てて何かをしてやったわけでもない人生の中で初めてな気がする。に感謝されるようなことはオレは何もしていないのに、だ。続けて、『だから、ありがとう』なんて普通は言えねーだろ?いや、…それぐれぇ卒業式っつーのは色んなヤツにとって普通じゃないってことなんだな…。そう一人ゴチて、オレはベランダで缶酎ハイ片手に夜風に当たる。
 もう聞けることのない別れの言葉に、照れ臭さとは別の感情が渦巻いていた。




 「なぁ蔵馬ー」

 クラスの打ち上げとやらには参加しなかった。人見知りする性格ではないけど、集まりにテメェから突っ込んでいくタイプでもない。話せるヤツもいたけど、ババァのコネで入ったような高校は、元々行くつもりがなかったのも手伝って気紛れでしか行った覚えがなかった。そんな連中との打ち上げなんて、今まで広がらなかった関係がここにきてさらに広がるなんて考えらんねーしな。別に誰が悪いわけじゃない。でも、輪を広めたいわけでも交流を深めたいわけでもない。それなのに。

 (よりによって、なんでアイツなんだよ…)

 オレは、人より自分の世界を確立するのが少し早かったように思う。戦いに身を置き、そこに自分の価値みてえな…求めてたもんがあったような発見を知ってしまった。勉強嫌いにしてみりゃ嬉しい誤算だ。でもそれが良いか悪いかはオレにもわからねえ。もし、万が一、百歩譲っての話、高校に真面目に通ってれば、それはそれでおもしれえことに遭遇できた可能性だってないわけじゃあない。そんな自分を想像すらできねーけど、少なくとも、そこに何もなかったなんて言い切れない自分がいることをオレは今日、確認した。しかも、よりにもよってあのに気付かされた。いくらなんでも相手が悪りぃ。きっちり割り切れるっつーなら、オレは今、こんなにももやもやとした感情を抱くはずがない。
 だからこそ、こういうときはワトソン君に聞くに限る。


 「幽助、祝いの日にベランダで一人酒ですか?」
 「だってよー酒も飲めねえ打ち上げなんかつまんねぇだろー」


 それに今日オレの家で卒業祝いだとかぬかしたのは蔵馬たちだろーが。悪態吐くと、部屋でどんちゃん騒ぐ桑原たちを尻目に蔵馬は苦笑しながらオレの横に立った。からからと戸の閉まる音が中と外の空気を隔てる一枚の壁みてぇだ。珍しく空なんか見て黄昏れるオレに違和感を感じたのか、蔵馬はオレを一瞥することもなく同じように空を見上げた。

 「センチメンタルってやつですか?」
 「うわーオレ無理だわー」
 「できればオレも、幽助と二人では御免ですけどね」
 「…酒が入っても減らねー口だな、オイ」
 「褒め言葉として受け取っておきます」

 笑って一口酎ハイを飲む。悪態で返してもいつだってかわされる。そんなやりとりをもう何度してきただろう。だから、要は、蔵馬に感謝されたりしたりするのはわかる話だ。それをお互い言葉にしないだけで、思い返せないほどの時間をこいつらと過ごしてきたわけで。あんま行ってもない高校に、オレは、に何を残して来たんだ?残す?んー…どの言葉もしっくりこねえ。だから、それは、なぜだ。
 夜空で一番光を放つ星を…確か、一等星っつったけなー。表向きそんな言葉で誤魔化しながら、内心は、さっきの、の言葉が離れねぇでいる。


 「何かありました?」
 「んー」
 「…ひょっとして告白されたとか」
 「ぶっ」

 蔵馬は、沈黙に爆弾を投下するのが上手い。口を付けかけた缶酎ハイを思いきり噴き出しそうになる。絶対ェこいつタイミング見計らってたな?

 「あのなぁ…」
 「卒業式のベタな展開を挙げてみただけなんですけど…当たっちゃいました?」
 「…べっつにー。告白っつーほどでもねえし。…多分だが」
 「じゃあ相手に困ったとか?」

 …見てたとしか思えねぇ。視線だけを蔵馬に寄越しながら睨んでやった。でもこんなもん、所詮はささやかな抵抗でしかない。蔵馬はわかってるくせに「あ、当たりですか?」と微笑んでやがる。バツの悪い顔で今度こそ酎ハイに口を付けると、蔵馬は「幽助が悩むくらいですから、相手はさんですね」と続けた。コイツ、エスパー決定。

 「…なんでわかんだよ」
 「螢子ちゃん以外で幽助がこんなに悩む人、他にいないじゃないですか」
 「わっかんねーじゃねーか!相手は男かもしれねえだろ!」

 オレの一言に蔵馬が一瞬虚をつかれたような顔をする。少し固まった後「それは考えてもみなかったな…」なんていけしゃあしゃあと言ってのけるから、オレは自分の言葉に自分が一番ムキにならねーといけなくなった。

 「信じんじゃねーよ!」
 「いやぁ、そういう世界もあるんだなぁって」

 幽助が進みたいなら応援しますよ?オレは呆れて物も言えなくなって、あーハイハイとだけ返事をする。蔵馬はそれを見るなり満足したように微笑んでごめんごめんと詫びを入れた。


 「冗談です。でも、さんしかいないっていうのは本当」
 「冗談に聞こえないから怖いんだよ、オメーは…」
 「まぁ、もういいじゃないですか。ほら、それより本題があるんでしょう」
 「…本題って…んー……よーわかんねーけど」


 リーゼントを梳いた頭を掻きながら、オレは今日の出来事を蔵馬に一つひとつ話し始める。いきさつや表情、制服の裾を掴むの手が震えていたこと。自分でも女々しいくらいにあの場面を思い返せることに呆れそうだ。でも、オレはこういうことが不得手に育ってきちまったもんだから、このすっきりしない感情の名前を誰かに教えてほしかったのかも知れない。
 が進学してここを離れる話はたまたま誰かから聞いた話だ。本人に聞くのも今更妙だし、必要があれば向こうからオレに伝えるだろうと思っていたから。「幽ちゃんちょっと寂しいかも?」なんて、おどけた反応しか見せらんねー自分が情けねぇ。でも、とにかく今は思ったことを手当たり次第に蔵馬に話す。蔵馬はさっきとは打って変わって真面目な面持ちでオレの話を聞いていた。話し終えると、オレの苦手な神妙な雰囲気が漂う。一本目の酎ハイは気付けば空になっていて、オレはそれを握りつぶすと、ベランダから放り投げた。誰もいない地面にカコンと空き缶特有の音が響き渡ると、エアコンの除湿機の上に置いていた少しだけ温まった缶ビールに手をかけた。プルトップを思いきり上げる。
 音を立てたそれと同時に、そういえば蔵馬だけがのことを知っていた事実を改めて考えみた。

 あれはいつだったか。珍しく高校に行ったときの、何気ないとの話をした。こんな風貌のオレに後輩の女でもないのに気軽に話しかけてくる態度とか、そういった分け隔てなさを感じてからは見かけるたび自然に目が追っかけるとか。そんなとき調子が悪いあいつを保健室まで運んだことだとか。登校時に起きた何気ないことを蔵馬に話したっけな。蔵馬にしてみりゃ、おそらく、オレが螢子以外の他の女の話をすること自体不思議だったに違いない。の名前を覚えていたことが何よりの証拠だった。


 「オレから、一つだけ」
 「…おう」

 沈黙に爆弾投下。覚悟は、出来てる。
 この雰囲気を打破してくれるなら、なんでも来い。見上げると、さっきは何の気なしに呟いた一等星は本当に強い光で夜空に 輝いていた。


 「選択を誤ってるんじゃないのか、それは」
 「選択だぁ?」
 「もしくは、傍にあるもののせいで盲目的になってるか…」


 蔵馬は、一呼吸置いて言葉を続ける。


 「幽助に迷いが生じてるように思う。君の中の螢子ちゃんの存在が絶対過ぎて、他が大きく育っていることに気付けていないんじゃないかな。それが善いか悪いかはわからないが…いつか、今日の日を思い出したとき、幽助、君はきっと後悔する。やり残してることがあり過ぎる。…例えば今、オレたちとここにいることとか」


 オレに迷い?それはこのもやもやとした感情と向き合っていることがか?頭の中で、螢子との姿を思い浮かべる。やり残してること。オウム返しみてえに蔵馬の言葉を繰り返す。すると不思議なくらい、すぐさま螢子の姿は消えた。
 これってもしかして、…オレは―


 「…少なくとも、ここにいちゃいけねーな」


 オレの一言に蔵馬は困ったように笑って「えぇ、少なくとも。センチメンタルに浸っていてはね」と告げた。正解はわからねえ。が、やるべきことはまだ、ある。
 髪も服もそのままに、オレはおもむろにベランダの戸を開いた。室内では陽気な桑原や無理やり飲まされた飛影、ババァに桑原の姉ちゃんにぼたんやコエンマが盛り上がっている。簡単にその場を潜り抜けて、オレは走った。マンションに面した道路に出ると、ふいに頭に何かが当たる。そのすぐ後で空き缶が足元に転がった。

 「痛てぇなクソ!誰が…って、蔵馬!」

 振り返りベランダを見上げると、そこにはさっきまでオレといた場所に蔵馬は一人で立っていた。

 「何しやがんだちくしょう!」
 「缶の気持ちです。その言葉、そのままお返しします」
 「あ?」

 何のことだと考える。すると、蔵馬はオレの少し後ろを指差した。そこにあったのは、さっきオレがポイ捨てしたはずの缶酎ハイの空き缶だ。蔵馬の言いたいことがわかると、オレは足元に転がっている缶ごと拾い上げて近くのゴミ箱に捨てる。上からその様子を見ていた蔵馬はやっぱり満足そうに笑って「それでこそ幽助」と言った。…なんだかなぁ。照れ臭いことは得意じゃねえ。それに多分、…いや、絶対、蔵馬はわかっていてそんな言葉を投げかけた。洗礼のつもりか?
 オレは礼のつもりで片手を上げて、ひたすら目的地までを急いだ。






宵の日に星屑は


 大切なことに変わりはねえ。螢子が居ても、離れても。大決断だとわかっていても、やっぱりオレは

  を、追う。