この時期は万年自分の身体の中に巣食っている冷え性が悪化する。 どんなに防寒を万全にしても、どんなに暖かい室内で過ごしても、決してわたしの身体の先端が長時間熱を持っていることは非常に稀な事だ。お風呂上りや起床時も、必ず一時間もすれば手足は色素を失くすように白く変色し、体温は死人のもののように消失する。幼い頃から長年経験してきて、もうこの歳になるといい加減この冷え冷えとする身体にも愛想が尽き、今では何を今更と、冷える手足のことをあまり考えないようにしていた。しかし周りからはまた手が冷たいだの、女が身体を冷やすもんじゃないだのと母親のような説教をくらい、結局わたしは冷え性対策に頭を悩ませる。それがここ数年の冬の過ごし方の一環となっていた。 そして今年も、冬は寒い。枯葉がかさりと朽ち、落ちていく音が遠くのほうで聞こえたような気がした。けれどもそれはなんとなく、というだけで実際に聞こえたわけではない。ただ本当に外を唸るように寒風が通り、窓の隅から隙間風となって小さく高い音を立てたのは耳に届いた。きっとあの風は落ち葉を攫ったのだろう。そう考えてあの音を聞くと、いっそう寒さが身に沁みる。すると背筋が突然ぞっとして、わたしは小さく身体を震わせた。思わず言葉が口をついて出る。 「さっむぃ・・・」 「それ以上言うんじゃねー。よけい寒くなる」 わたしの言葉にすかさず隣で毛布に包まりながらテレビのチャンネルをリモコンでぱちぱちと変えている幽助が突っ込んだ。そんなことを言われても寒いものは寒い、と口には出さないもののわたしは胸中で反論する。現に幽助だって、たった今わたしと同じように身震いをしたじゃないか。 現在、浦飯幽助という男の一人暮らしの家に暖房という文明機器は全く存在していない。夏は冷房という機器が存在していないのと同じで、幽助の部屋は常に寒さと暑さがピークになる頃とても不便で過ごしにくい空間と化していた。いや、前までは全くなかったという状態までには至っていなかったのだ。けれども一週間前、唯一の救世主であった長年この部屋を温めてくれる炬燵が何らかの事故によって破壊された。一体何がどうなれば炬燵があんな杜撰な状態と化すまで壊されてしまうのかわからないが(詳しいことは教えてくれなかった)、とにかくその救世主は星になったそうだ、蔵馬さん曰く。 そんなわけで今、ここに暖房器具というものは一切ない。星になった炬燵の後を引き継ぐ新たな炬燵は収入が得られるまで買い換えるのは叶わないのだそうだ、幽助曰く。つまり、それがこの家にやってくるまで幽助は厚着で防寒しなければならず、かくいうわたしも結果的に厚着で防寒しなければならない。というわけで、今は幽助と一緒にソファ兼用のベットに座り込み毛布に包まってテレビを見ている、という状況なのだった。 「ゆーすけ、さむーい」 「だーかーら、言うなっつってんだろ。口に出したらもっと寒くなった感じがするじゃねェか」 「でも寒いもんは寒いよ。おかしい、室内なのに」 「この家には暖房なんつー小洒落たモンはねェの。ちったァ我慢しやがれ」 「我慢しろって・・・・一応わたしお客さんみたいなもんでしょ」 「あ?誰が客だって?誰が」 「・・・・・もういいです」 とぼける気まんまんの幽助にこれ以上何を言っても無駄なので、わたしは溜息を吐いてから喋る事を諦めた。代わりに幽助の手の中に納まっているリモコンを抜き取ってチャンネルを変える。その途端幽助が何か不服そうな声を上げたが気にしないことした。テレビに映るのは時間帯が時間帯なのでサスペンスか昼ドラ、もしくは生放送のお昼のバラエティーくらいしかやっていない。どれもあまり興味を引くような話題や企画をやっているわけでもなく、ただただわたしは適当にチャンネルを回し続けた。すると黙って様子を見ていたらしい幽助が「貸せって」とわたしの手からリモコンを取り上げようとした。わたしは反射的に抵抗する。 「え、ちょ、な何でっ」 「お前別に見たいもんねーんだろ」 「無いけど・・・・あ、今の」 「は?コレ?」 「そう、ソレ」 幽助と小さな攻防を繰り広げた末にテレビ画面に映りこんだのは、最近人気が出てきた若手俳優主演の再放送ドラマだった。時計へ視線を投げれば時刻は丁度二時。だらだらと過ごしてはいたが、いつのまにかこんな時間になっているとは。 画面の中に映りこんだ若手俳優は爽やかな笑顔を浮かべてどこぞの綺麗な女優と会話を楽しんでいる。どういうドラマだったか、ストーリーはよくわからないがとにかく結構な高視聴率を稼いでいるドラマだったような気がする。曖昧なストーリーとちぐはぐな出演者の顔の記憶をなんとなく掘り出しつつ、そのドラマに見入っていると、 プツンッ 「あっ」 画面がブラックアウトした。 幽助を見れば案の定、奴は手にしたリモコンを画面に向けて明らかに電源ボタンを押している。 「なんで消すの」 「オラァ仁義なき闘いの再放送が見たかったんだよ」 「え?あのヤクザがいっぱいの?もう、あんな怖いやつやだよー」 「ふざけんな。あの作品は永久不滅だ、文太さんなめんな」 「・・・・ていうか、どうでもいいけどテレビ」 「文太さんがどうでもいいだと!?」 「もう幽助うるさい」 「うるさいって・・・ココボクのお家なんですけどー?」 「でもってわたしはここのお客さんなんですけどー」 じと目でリモコンを見つめ、それから幽助を睨みやる。特別たじろぐような素振りは見せないものの、ただ少しどうしようかと考えあぐねているような表情が幽助の顔に浮かんだ。 「・・・・・・」 「ん、」 「そんなにさっきのテレビに出てた奴・・・俳優か。そいつのこと、好きだったのか」 「え・・・・え?」 いまいち話がずれているような気がする。別にそんなことはない。あのドラマの俳優が好きだとかそういうのでは決してない、それは少なからず断言できる。しかし、あのドラマ自体は見たかったなぁ、という気持ちはあってそれを途中で消されてしまったことに不満だったのはあった。 「別に俳優は好きじゃないけど」 「じゃあいいじゃねェか」 「でもあのドラマは見たかった」 「んだソレ。矛盾してね?」 「そうかな」 「オレは文太さんも仁義なき闘いも好きだぜ」 「・・・・幽助、趣味悪い」 「そういう好きじゃねーよ!」 つーか文太さんは男だろーが!!慌ててそう付け加えた幽助は見ていてなんだかおもしろかった。そんなに必死にならなくてもいいのに。わたしは笑いながら、はいはいと適当な相槌を返す。それにまた不満をぶり返したのか、幽助は笑ってんじゃねーよとわたしの額にデコピンを食らわせた。 「いった!な、何すんの?!」 「笑ったから仕返しィー」 「あんた子供ですか」 「うるせーな、オレはいつだって少年幽ちゃんなんだよ。悪戯心で満ち溢れてんだワリィか」 「十分悪いよ、早く大人になりなさい」 「オイなんだその目は」 「いえ、なにもー」 幽助の言葉はどことなく変に厭らしいものを含んでいるような感じがしてならないと、時々思う。本人はそれに気づいているのかいないのかよくわからないが、いつも掴み所が無いのは確かだ。そしてこうして中身の無い会話は幽助のそういうところによってどんどん形を変えているのもまた事実だ。 それにしても寒い。テレビの音声が消えた室内は一層静けさを増す。同時に冷え冷えとした空気が静寂に煽られて寒さが深く身を切るように感じた。いくら厚着に毛布とはいえ、流石にこの寒さに耐えるのもつらくなってきた。何か暖かくしてくれるものはないのか。視線を巡らせて部屋の中を見回すも、やはり身体を温めてくれそうなものは見当たらない。 ふとそこで幽助を見た。幽助はわたしの視線に気づき、ンだよと心持ち眠たげな目でわたしの視線に応えた。 「幽助」 「だから何だっつの」 「だっこ」 「は?」 「だっこして」 手を伸ばしてわたしは幽助に小さな子供みたいにそうせがむ。そう、そうだよ。ここに幽助が居る。なら幽助の人肌で温めてもらえば良いじゃないか。わたしの意図を察したのか、幽助は目を一瞬輝かせて(何故だ)、あのニヤッとした不適な笑みを満面に浮かべた。 あ、やっぱり止めた方がいいかも。頭の中を素早くそんな言葉が駆け巡ったが時既に遅しというべきか、わたしの身体は幽助の力強い腕により素早く引き込まれ、あっという間にわたしの鼻は幽助の胸板にぶつかった。 「いやー、今日はやけに積極的ですねーちゃん」 「そ、そんなんじゃないって。寒いから、」 「そんなに暖かくなりてェなら早く言えよ。つかお前冷たすぎ」 「だから寒いって言ってんじゃん、最初から!」 「あーあー女がこんな身体冷やしてんじゃねェよ」 「(微妙にスルーした!)好きで冷やしてないよ」 わたしの母親と全く同じことを口にした幽助は、わたしの冷えた身体を毛布と自分の身体で全部包み込んだ。じわじわとぬくもりで温められていくのを感じながらわたしは軽く眼を閉じる。わたしの腰の辺りに回っていた幽助の片方の手がわたしの手を掴んで擦った。 寒々とした空気は未だ室内を満たしている。遠くの方ではやはり寒風の通る音がする。しかし、それでも今は心地よい体温がわたしをつつんでいて、やがてそれはいつしか、思考を侵食し始めていた。 冷たさを撫でる手 2009/11/25 |