その日に必要なぶんの数冊のノートと、提出期限過ぎてるのに半分しか終わってないプリント数枚、それから少しのお菓子が放り込まれたかばんを胸に抱えて、わたしは一人ぼっちで木陰にうずくまっていた。これからどうしよう。…どうしようもないなあ。まさか自分が授業をサボる日が来ようとは夢にも思わなかった。


 厚い雲のあいだから差し込む弱々しい光を見上げると、冬らしいといえば冬らしい薄曇の空が当たり前なように憂鬱な顔でそこにあった。
こんないやらしい曇りの日だから、当然のように朝から寒かった。寒い朝は布団から出たくなくなる。あと五分、あと二分、…いざとなったらわたしの姿を見かけないのに気づいて誰か声をかけてくれるだろう、そしたら起きれば良いや…と甘いことを考えていたのがまずかった。
 次に目を覚ましたときには、走ったって、むしろ瞬間移動を使ったって間に合いっこないような時間になっていた。具体的に言えば1時間目の終わりごろ……。理不尽なことに、目を覚ましていちばん最初に呟いたわたしの口からこぼれた言葉は、「誰か起こしてよ」だった。我ながら呆れる。
 寝ぼけた頭で、理不尽な怒りを抱きながら登校するうちに、眠さと怒りも手伝って、わたしはなんだか一通りどうでもよくなってしまって、「教室行くの、やーめた」と道の途中で教室棟へ向かうのをやめたのだった。木陰に隠れ、少し落ち着いた頃に「これってサボりってやつ?」とやっと気づいたときにはすでに2時間目は始まっていた。

 それから10分も経たないうちに浦飯に見つかっちゃってるんだから、わたしのばかさ加減もいよいよ筋金入りだと、思うわけですよ。


じゃねーか。何やってんだこんなとこで」


 と、むちゃくちゃ軽く言って浦飯が差し出してきたのは、最近よくCMを見る新発売の缶コーヒーだった。
 こんな時間に裏門付近の木陰に隠れるようにしてたたずんでいるごくごく一般の(あくまでも不良の類ではない)わたしを捕まえて「何やってんだ」はないだろう、とものすごく釈然としない気持ちを抱えながらも素直にそれを受け取っておくことにする。アルミだかスチールだかの缶特有のつめたさが指先に触れたけど、買ってしばらく経っているようで、特に熱くも冷たくも無かった。
 先生に見つかるよりも浦飯に見つかったのは本気で運が無い。これでは2時間目はもちろん事によっては3・4時間目もサボることになるかもしれない。わたしは今日何回目になるかわからないため息をついた。
 缶コーヒーのふたを開けるために指先をプルトップに引っ掛けようとかしかしと缶を掻いた。こんなことなら、夕べ爪なんか切らなきゃよかった。全然引っかからないんだから。
 
 
「そーいう浦飯くんこそ何やってたの。アンタが出てきたのって裏門の方向じゃんか」
 
 
 普段呼び捨ている彼を、わたしは少し皮肉って「くん」付けで呼んでみた。他のたくさんの同級生には何の違和感もなくぴたりと当てはまるその言葉が、浦飯に掛かると途端に薄っぺらになるのだから不思議だ。…言い過ぎ?
 浦飯は遠慮無しにわたしの隣にどっかと腰を下ろして、うーんと唸った。煙草の匂いがここまで漂ってくる。
 
 
「オレか?オレはサボり」
「…うわ、当然のような顔で…」
 
 
 当たり前じゃないかとでもいうように。わたしは唖然として、思わず手に持っていた缶コーヒーを取り落としてしまった。熱くも冷たくも無い缶が、わたしの足の上をすこしだけ転がって、草むらにごろんと転がる。プルトップが開いていなくてよかった。


「提出期限がもういつだったか覚えてねーよーなプリントが机から大量に出てきやがってよー…どーすんだよ、あれ。なァ、どうする?」
「わたしに助けを求められても」
「ちっ、使えねーなお前」
 
 
 浦飯は眉間に皺を寄せてそう忌々しそうに呟いて、わたしが取り落とした缶コーヒーを拾うと、親切にもふたを開けてからまたわたしの手に渡してくれた。それをぼんやりと受け取って、わたしはとりあえず一口飲んだ。
 微糖と銘打ってある割りには濃すぎる甘さは確かにコーヒーのものなのに、隣に座る自称サボり男の発する匂いのせいで、なんだか煙草の煙を飲んでいるような気分になる。
 
 
「で、はなんでサボったんだ」
「…理由なんかないよ。何となく」
 
 
 諸々の間抜けな理由を並べるのもむなしかったので、わたしは深刻そうな表情を作って、適当なことを言ってやった。屁理屈を捏ねるならあながち間違っているとも言い切れないし。
 浦飯はわたしの横顔をちらりと眺めて、そして次の瞬間人差し指で強烈にわたしのこめかみを打ってきた。鈍い痛みがこめかみを走る。
 
 
「いたッ!」
「どーせ寝坊かなんかだろ」
「…ええー!?なんでわかるかなぁ!?」
「なんでじゃねーよ、頭に寝癖つけたままで居るくせによく言うぜ」
「うそッ!?」
「嘘だよバーカ!な?嘘はこーやってつくんだよ、勉強になったろ」
「…浦飯の口から勉強の二文字が出るなんて…!」
 
 
 わたしはあと少し残っているコーヒーを、口の中に広がるコーヒーではない苦いなにかと一緒に無理やり飲み下した。ひゅう、と風が吹いて、剥き出しのわたしの足を撫でていく。…せめてこの缶コーヒーが、まともに温かかったらよかったのに。貰ったものなのだからこの際口に出しては言わないけどね。
 浦飯はさっきまで不機嫌丸出しな顔をしていたくせに、わたしをまんまと騙せて気分が晴れたのか、ニヤニヤしながら立ち上がって、ついでに無理やりわたしの腕を引っ張ってわたしも立たせた。何、と口に出そうとするのを遮って浦飯は嬉しそうに言う。
 
 
「よっしゃ。じゃもっと快適にサボれるとこへ連れてってやろーか」
「ごめん、ちょっと確認しておきたいんだけど、わたしは不良じゃないよね?」
「サボったくれーで真面目か不良かなんか決まるわけねーだろ!オレに全部任せとけッ」
 
 
 浦飯はそう言うなりわたしの足元に置いてあるかばんを取り上げた。偶然できた道連れであるわたしを逃がす気は無いらしい。かばんを持ってくれるのはありがたいけど、乱暴に揺らして、中のお菓子がつぶれないかだけが心配だ。

 あ、それから不安がもうひとつ。
 
 
「ねえ、まさか職員室とかじゃない…よね」
「誰が行くかあんなとこ」
 
 
 わたしを振り返りもせずには浦飯は言った。そういえば、手をつけてないプリントが出てきてどーするみたいなこと言ってたっけ。
 わたしは浦飯に奪われたかばんのなかに入っている半分くらい白いままのプリントを思って、何だかんだ言ってわたしも浦飯も似ている部分があるんじゃないかと考えてしまった。同類項っていうか。…例えが間違ってるかな。
 
 
「できれば、あったかいとこがいい」
「そんくれぇは保障できる。ベッドあるし」
 
 
 ああ、行き先は保健室か…。
 今日はそこに匿ってもらう気なんだな、とわたしは直感した。確かにあそこならあったかいしベッドはあるし、最高だろう。もしかしたら二度寝とか、できちゃうかもしれない。
 
 
 「わたし、浦飯と仲良くてよかったなーって、今はじめて思ったよ」
 「オレにもを手懐けておいてよかったなーって思うような恩返しをしろよ」
 
 
 あたたかい寝床を思い浮かべて、わたしがうっとりと言うと、浦飯は嫌味ったらしい笑顔でわたしを見下ろした。それに少しの間を置いて、2時間目の終了のチャイムが鳴り響く。手懐けられたつもりはないけど、いつか一度くらいは浦飯を喜ばせてあげたいなぁと思う。





ちいさなせかいのすべて  20091125