「付き合ってほしいんだけど」
 「………」

 頭の中が真っ白になった。そんな台詞は小説の中か、自分とは関係ない世界のことだと思っていた。
 冬の名残を感じさせる高校2年の春休み。もうじき新学期が迫る3年生の手前でとある公園に呼び出された。相手は1年生の頃に同じクラスになったことがある三浦くんという男の子だった。遠い記憶の中では二言、三言交わしたくらいの会話しか覚えていない。すごくマメで学年の女の子たちから評判がいいと聞いたことがあるけど、わたし自身誰かを好きになったり好かれることなんて考えたこともなかった。

 「…急でごめんな」
 「………」

 両親たっての希望で小学校から今まで公立校に通ってきたけど、声のないわたしが誰かの恋愛対象になることは夢のような御伽噺のような感覚に似ていた。言葉はあるのに伝える手段が限られるわたしに対して、やさしい人もいれば関わりを持たない人もいる。ほとんどが後者だった。だから、告白だとか異性に好かれるだとか、そういう対象になれないことには慣れていた。それなのに。

 「彼女とも別れた。のこと、ずっと気になってたから気持ちに嘘がつけなくて」
 「!」

 三浦くんが照れくさそうに告げた。それだけでも心臓が飛び出しそうだったのに「はオレのこと嫌い?」とまで尋ねてくる。あまりの衝撃に立っているのがやっとだった。巻いていたマフラーに鼻を埋める。耳から入ってくる言葉はわたしが都合よく脳内で変換してるだけなんじゃないだろうかとか、これはきっと何かの賭けに負けたバツゲームなんだろうと疑ってしまう卑屈な自分が恥ずかしい。誰かに面と向かってぶつけられる気持ちは疑心暗鬼になるほど力強いんだ。ただ、三浦くんのことは嫌いでもなければ好きでもない。そう感じるほど話したことがなかったから、仕方のないことだけど。
 すっと息を吸って彼を見つめた。「ごめんなさい」と音のない口元で告げる。勢いよく頭を下げた。三浦くんは今、どんな気持ちなんだろう。
 けれど、この告白が後々とあるキッカケになるなんて、このときのわたしは想像さえしていなかった。




 三浦くんからの告白を断って二日が経った。
 約二週間ほどあった春休みを終えて、いよいよ最終学年の始業式が始まる。式の前にはクラス発表もある。1年ぶりのクラス替えに少しの期待と不安も混じった。正門をくぐって昇降口に向かう途中、大きな掲示板に張り出されていた藁半紙の前に人だかりができていた。

 「各自クラスを確認後、教室で指示を待つように」

 ボードの横に立っていた先生が生徒たちに喚起する。心の中で…と呟きながら、7クラスのどこかに振り分けられただろう自分の名前を探した。すると、見慣れた『』の文字を見つける。3年6組だった。教室は3階の角部屋。2年で同じクラスだった友達の名前も探したけど、どうやら同じクラスにはなれなかったらしい。溜め息を吐いてもう一度クラス表を見直す。すると、男の子の名前が並ぶその中に「浦飯幽助」の文字が目に入った。

 (…同じクラスなんだ)

 噂でしか話を聞いたことはない。本人を見かけたのは廊下ですれ違ったり、わたしが校庭で体育の授業中堂々と早退しているところを目撃してしまったり、あとは職員室や生徒指導室から悪びれない表情で出てきたのを何回か目にしたくらいだ。実際に会って目を見て話すほどの仲じゃなかった。そもそも向こうはわたしの存在さえ知らないような不良の男の子だ。それなのに、こうして名前があれば見入ってしまう浦飯くんには、何かすごいパワーのある人に思えた。
 浦飯くんの名前を見つけてからしばらくそんなことを考えて、再び視線を同じクラスになる男の子たちの名前に移した。自惚れるわけじゃないけど、二日前に告白してくれた三浦浩介の文字も探してしまう。自分がすごく浅ましい人間になった気がした。心の中に彼の気持ちに断りを入れたくせにと自重を促すわたしと、好奇心のような感情に打ち勝てないわたしがいる。

 (あ、2組だ)

 見つけた彼の名前になぜかホッと胸を撫で下ろしてしまう。でも告白されたときほどの罪悪感はなかった。2組の教室と6組の教室は棟は同じでも階数が違う。これならこの一年間は、きっとすれ違うくらいだろう。そう思いながら新しい教室へ向かおうとしたとき、ふと2組の藁半紙が張られている掲示板の前に三浦くんが立っていた。わたしに気付き一瞬驚いたように目を見開く。けれどすぐに微笑んで、軽く手を上げていた。ど、どうしよう。早速予想通りにはいかないなんて。心臓がやけにバクバクした。
 二日前の出来事が甦る。恥ずかしくていっきに頬が熱を帯びていく。恋をしてきた誰もがこんな気持ちを経験してきたのなら、辞書や参考書がいかに役立たずかよくわかる。そんな思いをひた隠すように、わたしは急いでその場から離れた。




 『それでは、新学年・新学期も気持ちのいいスタートが切れるように』

 体育館に集められると、校長先生のお話と共に無事に始業式が終わる。同時にそれは卒業した3年生のあとをわたしたちが、昨日まで1年生だった後輩が2年生になった瞬間でもある。入学式を迎えていない1年生だけがくり抜かれた体育館はいつもより少しだけ広く感じて、新しいクラスで整列する緊張感もとても新鮮だった。
 7組から順に体育館を出る。喧騒が戻って、待機している生徒たちが各々喋り合っている。わたしは、まだ誰も知らない自分のクラスに並びながら室内履きに履き替える準備をしていた。この後は確か新担任との親睦会と席替えだ。自己紹介なんて余計なことをしない担任だといいのに。声がないことはこういうときに不便だったりする。

 「あの子じゃない?」
 「えー?」

 決まったわけでもない自己紹介に憂鬱な気持ちになっていたその時、不意に列の後ろから数人の女の子たちの話し声が聞こえた。

 「ほらほら、あのこ」
 「うそー!ほんとにあの子?」
 「同じクラスじゃん!」

 おそらくわたしのことを指しているんだろう。視線もばっちりわたしと合っている。でも、彼女たちとの面識が皆無に等しかった。自分と対照的なくらいお洒落で短いスカートが似合っている。きっと高校生活の中で廊下ですれ違ったことがあるくらいの同級生だと思う。あまりジロジロ見つめるのも失礼だったので、特に気にせずわたしは室内履きに履き替えた。今までも、口がきけないだとか声が無いだとか物珍しそうに見られたことはある。でもそんなことにいちいち反応をしていては自分自身が持たないことを知っていた。

 (早く戻ろう…)

 あまりいい気がしないまま新しい教室までの道のりを足早に歩く。途中トイレに寄ろうとドアノブに手をかけた瞬間、ぽんと肩を叩かれた。

 「!」
 「ねえ、アンタが?」

 そこにいたのは、さっきまでわたしと視線が合っていた4人の女の子と、その中心にもう一人見慣れない女の子が。突然肩を叩かれた驚きと、まるでわたしの後をついてきたようなタイミングの良さに目を見開く。「どうなの?」とわたしの返事を催促しながら、真ん中の女の子は不服そうに腕を組んでいた。その圧力にたじろぎながらもなんとか頷く。
 すると、5人の表情が暗に曇り出したのがわかった。やっぱり…とまで呟いている。な、何が起きたんだろう。でも、目の前の彼女たちに良く思われていないことだけは確かだ。わたしは恐る恐る首を傾げた。


 「あんたが浩介たぶらかしたことはわかってんのよ」


 浩介。たぶらかす。頭で繰り返される無縁な文字列に耳鳴りがした。








ラビュー・ラビュー

何がどうしてどうなったのか。様々な憶測が次から次へと流れては消えていく。