「あ、オイあの女!あの時浦飯にビンタかましてた…」
「先輩、あいつ浦飯と繋がりのある女っすよ!」
「あ?」


青い空の下、街が日々こんなにも動いていることを改めて知った。普段学校という限られた空間しか知らないわたしにとって、平日の昼間に、しかも学校指定のジャージ姿のまま街に飛び込むことは生まれて初めての経験だ。委員長という呼び名どおり、わたしにはサボるとか早退するとか、自分に息抜きを与える時だって他人の目を気にしてしまうから、縛られない生き方が容易くできない。もしも今、自分で自分の殻を破ってここに立っているのなら最高にドキドキしたと思う。先生や親の顔色を気にせずこんなことができる自分に感動さえ覚えただろう。でも、全てがどうでもよくなるくらい、ここに立つ理想と現実は大きい。


「おい、待てコラ」
「きゃっ…」


30分前、学校を抜け出して、どこに行けばいいのかわからないまま途方に暮れていたら、お友達とゲームセンターの前にいた桑原くんに出くわした。桑原くんは驚いたように目を見開いて「委員長!?おめ、何サボって…」と言っていたけど、桑原くんに抱かれているだろうイメージに相反する行動を取っている自分がなんだか不思議でしょうがなかった。生憎、浦飯くんの日頃の行動パターンを知り尽くしているわけじゃない。それどころか彼のお家さえわからなくて、わたしは浦飯くんと仲のいい桑原くんに彼の居場所を尋ねることにした。すると桑原くんは「オレも今日はわかんねーなぁ」と言う。眉根を寄せたわたしに、桑原くんが浦飯くんのお家の住所とよく行くパチンコ屋さんの名前を教えてくれたのだ。

そうして今、わたしは電飾がピカピカと光るパチンコ屋さんを前にピンチと鉢合わせてしまった。


「オメーんとこの馬鹿か?オレの可愛い後輩こんな姿にしてくれたのは」
「痛い……は、離して下さい!」
「質問に答えろ」
「おいアマ、しらばっくれても無駄だぜ」
「先輩、確かにこの女っすよ!意識ぶっ飛びそうだったけど、こいつの顔も声も覚えてます!」


リーダー格の男に捲し立てるように告げた彼の頭や首、耳や手には包帯が巻かれている。痛々しい姿。よく見ると、他の数人も目が腫れたり頬に傷が残っている。わたしは昨日浦飯くんが手を出した他校生の顔までじっくり確認していない。けれど、生々しい傷跡が彼らがあの時の当事者であることを物語るには充分だった。思わず目を逸らす。その一瞬の仕草をリーダーの男が見逃すはずがなかった。ぐいっと思いきり掴まれた腕がひしゃげる。痛みで顔が歪む。でも、元はと言えば彼らにだって原因はある。


「っ…離して…」
「わかんねー女だなぁ?」
「ジャージ姿でうろうろしやがって…絶好のカモだっつーの」
「……あなたたちだって…」
「あ?」
「と、徒党を組まなきゃ、浦飯くんに立ち向かえないくせに!」


浦飯くんは彼らに売られた喧嘩を買わなかった。ううん、買うつもりだったのかも知れない。でもあの日。浦飯くんと会話を交わした2日前の放課後。浦飯くんは気が逸れたと言って彼らとの喧嘩の場所には向かわなかった。代わりにわたしをラーメン屋さんへと誘ってくれた。少なくともそれがあの時の浦飯くんの答えだった。男の約束だとか、不良の暗黙のルールはわからない。でも浦飯くんに固執して学校まで足を運ぶなんて馬鹿げてる。そう思ったら、ありったけの気持ちを彼らにぶつけずにはいられなかった。これは八つ当たりなのかな。理解が足りなかったのはわたしなのに…そんな考えに及ぶより早く、場の空気が一変する。沈黙が重く圧し掛かった。


「…いい度胸だ。来い」
「や…っ!」
「オメーをダシにして、浦飯を誘き出してやるよ」
「!」
「目の前でボコボコにしてやる。それまで付き合ってもらうぜ」
「っ……誰か……離して!触らないで!」


叫んだ声音に道行く人が何人か振り返るけど、関わるまいと誰もがそのまま通り過ぎて行く。浦飯くんを誘き出す。その言葉に最悪な想像をしてしまう。もしも浦飯くんが来てしまったら…。幾ら最強の名を欲しい侭にしてきた彼でも、不利な状況では勝ち目なんかない。わたしのせいで浦飯くんに怪我をさせてしまったら一生後悔する。その時初めて恐怖が襲ってくるのが分かった。どうしよう。どうしたら…。ぎゅっと瞑った両目を開いた。その時だった。

向かいの歩道に、見慣れた姿。かち合った瞳。紛れもない、浦飯くんだった。


「おいおい、ビビッて声も出なくなったか?」
「安心しろよ。浦飯が来るまでたっぷり可愛がってやるからよ」
「ははは!これじゃあリベンジ大成功っすね」


彼らの言葉が遠く響く。わたしの前に立ち塞がる彼らの位置からは恐らく浦飯くんは見えていない。走り出した浦飯くん。何の為に、誰の為にそんなに必死になってくれるのか。わかりきった答えが、気付けばわたしの目から涙を零れさせていた。



「手ェ離せよ、糞野郎」



息一つ切らさずに、わたしの腕を掴んでいた男の肩を振り払うと、浦飯くんはすぐにわたしを隠すように前へ立った。途端に空気が険悪になる。突然の渦中の人物の登場に気を取られていた彼らも、間を置いてすぐに臨戦態勢に入った。合図はない。男たちの中の一人が飛び掛かる。浦飯くんがやり返そうとした瞬間、色んな思いが渦巻いて、わたしは思わず声を上げていた。


「ダメーー!!!!」
「なっ!?」


わたしの声に浦飯くんが一瞬気を取られて振り返る。けれどすぐに相手の蹴りにも反応して避けきる。間一髪だ。


「委員長!急にデカい声出すなっつーの!」
「だ、だめだよ浦飯くん!手出さないで!喧嘩しないで!」
「はぁ?こんなときに何言って…」
「ダメだから!ま、また怪我させたら、今度こそ浦飯くんなんか知らない!」
「……本気かよ」
「本気だもん!…喧嘩してほしくない。お願いだから、暴力はやめて…」
「委員長…」


そう告げたわたしと目の前の他校生を一瞥して、浦飯くんはちっと舌打ちをしながら出しかけた拳をそっと下ろした。また聞き入れてもらえなかったらどうしようと不安が過ったけど、浦飯くんの行動にホッと胸を撫でおろす。昨日とは違うんだって、そう言ってくれてるみたいだった。浦飯くんは一度俯いて、すっと前を向く。真っ直ぐな背中越しに強さが伝わってくる。


「おいおい、ふざけてんのか?」
「約束すっぽかすだけすっぽかして喧嘩しねえとは、随分いい身分だなぁ浦飯」
「あーそうですかって帰るとでも思ってんのかよ…あぁ!?」
「…悪い」
「あ?……ぐふっ!!!!!」


突然リーダー格の男が呻き声を上げた。そのまま崩れ落ちる彼を、他の数人が腕を伸ばして支える。先輩!?と心配そうに声をかける彼ら。一体何が起きたのかわからなかった。既に小規模のギャラリーができかけた往来の真ん中。野次馬の中からありゃ痛い、なんて男の人たちの声が上がる。そのときようやく状況を把握した。浦飯くんの軽く上げられた片足、リーダー格の男が両手で押さえるその箇所…浦飯くんが、相手の股間を蹴り上げたのだ。


「う、浦飯テメェ!!!!!」
「悪ぃな!手は上げちゃいけねーっつーからよ。ほら行くぜ委員長!」
「えっ、は、はいっ!」


手を上げちゃいけない=足はいい。浦飯くんの中のイコールは何にでも結びついてしまうんじゃないだろうか。怒る気も起きなかった。でもきっとそれはわたしが女で、目の前で浅い呼吸を繰り返すリーダー格の男の痛みがわからないからだろう。男の人にしたら大変な痛み。これだって望まない暴力のはずなのに、やられた相手が間抜けに見えてしまう。呆れる間もなく浦飯くんに手を取られた。わたしの手首に絡みつく浦飯くんの大きな手。こんな時なのに、浦飯くんの表情がとても嬉しそうなのはどうしてだろう。「待てコラァ!」そう叫ぶ彼らの声を背に受け、浦飯くんに引っ張られながら無我夢中で走った。







(秘密のクラスメート 5 2012/08/13)