『以下のものを五日間の謹慎処分に処する。   3年B組 浦飯幽助』


「浦飯くん自宅謹慎だってよ。義務教育でそれって相当じゃない?」
「名目上は自宅謹慎処分だけど、要は停学と一緒だろ」
「竹中先生は抗議したらしいけど、今回ばかりは認められなかったみたい」
「やだ怖いわね。でも先生たちはきっと手がつけられなかったから嬉しいんじゃない?」
「今頃職員室はルンルンなんでしょうね。授業とかあからさまに機嫌よさそう」
「浦飯さまさまってやつだよな」


翌朝、いつもどおりに学校へ来てみると昇降口に繋がる1階のロビーの掲示板前に人だかりが出来ていた。横目で見つめながら通り抜けるつもりが、ひそひそと聞こえてくる特定の人物の名前に耳が自然と傾いて、わたしは立ち止まってすぐに、掲示板に貼られているA4サイズの紙の上を小さく目で追った。そこに書かれた文章がやけに機械的に刻まれていて、自分とはまるで関係ないような錯覚を覚える。たった一行の文字からは、昨日起きた一連の出来事が思い出された。無理やり記憶をこじ開けられるような感覚に眉根を寄せるけど、わたしに気付くひとなんて誰もいない。みんな他人事のように好き勝手呟いてはそれぞれのクラスへと戻っていった。


(・・・・・・当然、だもん)


自分に言い聞かせるように呟く。まぶたの裏に焼きついている昨日のやりとりが今の今まで夢の中の出来事だと思っていた。けれど、薄っぺらな紙きれ一枚がそれを現実であると知らせている。わたしには互いに承知の上とはいえ、殴り合いで何かが解決するなんて思えなくて、もしも浦飯くんが喧嘩をするたびに彼らしくないあの冷たい表情を浮かべているんだとしたら、それこそ今よりもっともっと遠い存在になって、いつかはどこかへ消えてしまう気がした。


(これで良かったんだ・・・・)


気付いてほしいなんておこがましいかも知れない。それでも、わたしの意図をわかってほしくて躍起になってしまう。掲示板の前から離れて職員室の前を通ると、ちょうど前の扉から同じクラスの鎌田くんが「失礼しました」と言って出てくるのが見えた。歩きながらその様子を見つめていると、わたしに気付いた鎌田くんが口をあの字に開けてしばらく、苦笑するように微笑む。


「おはよう
「おはよう鎌田くん」
「これから教室?」
「うん」
「オレまだ部活のミーティングあるから先に行くな」
「そうなんだ。朝練お疲れさま。ホームルーム遅れないようにね」
「お、さすが委員長」
「やだ、からかわないでよ」
「ははっ。じゃあまたあとで」
「うん。・・・・あ、鎌田くん!」
「ん?」


バスケ部の待つ体育館に戻る鎌田くんの背中を見送るつもりが、そういえばと思い出して引き止めてしまう。


「昨日・・・あの、・・・・植木の片付けありがとう」
「え?・・・・・あ、あぁ。いや・・・」
「?」
「いや、どうしてが礼を言うんだろうと思って・・・・」


鎌田くんは不思議そうにわたしを見つめると、小さく呟いた。あぁそうか、クラスではあの植木を育てているのがわたしだって浦飯くんしか知らないんだ。自分の中で突然出てきた彼の名前に胸がズキンと痛む。すると浦飯くんの頬を思いきり叩いてしまった左手にも一瞬痛みが走った気がした。もう痛くなんかないのに。まるで心と連動してるみたいだ。


「あの植木、わたしが育てていたの」


でも頼まれてやってたわけじゃないから気にしないでね。そう苦笑すると、鎌田くんは呆然とするように大きく目を見開いた。わたしは驚いて、あ、でもわたしの物でもないのにありがとうなんてえらそうだよねと必死に言葉を紡ぐと、鎌田くんはハッと我に返って「あ、いや」と口元に手を運んだ。…どうしたんだろう。疑問に思いながら少しだけ沈黙に身を任せた。すると、タイミングよく鳴ったチャイムの音がわたしたちの間を流れていく。


「やばい!とりあえず部活戻るわ」
「あ、うんごめんね引き止めて!」


またあとでーと小さく手を振りながら鎌田くんと別れると、わたしも急いで教室に向かう。途中他のクラスの前を通ると、何人かの生徒が浦飯くんの処分について話している声が聞こえたけど、わたしはなるべく考えないようにとかぶりを振った。教室に着くなり、いつもなら3年B組の後ろの扉を開いてすぐ目に入る植木たちも、今日はただ空白を残すだけだった。









「一時間目から体育って怠いよね〜」


朝のホームルームを終えて体育館へ向かう途中、クラスメートの女の子たちはみな口々に一時間目の体育について愚痴を並べる。かくいうわたしもあまり運動は得意じゃなくて、それが登校してすぐに行われるのは少しだけ気乗りしない。親友のは教室で鎌田くんと何やら神妙な面持ちで話していて、自分を待つわたしに気付くなり先に着替えててーと声をかけてきた。頷くままに先に来ちゃったけど、遅いなぁ。鎌田くんも今朝職員室の前であったとき妙に様子がおかしかったし、何かあったのだろうか。室内履きから体育館専用の運動靴に履き替えていると、不意に後ろから大きな足音が響いた。


、みんなー!!」
「あ、
「どうしたの?慌てて」
「それがさぁ、聞いてよ!!昨日の浦飯の…!」


新情報!そう息切れながら伝えるの言葉に、その場にいた女の子全員が「どうしたの!?」「なになに!?」と耳を傾ける。朝の貼り紙の次は一体何が起きたのだろうとわたしの心臓は締め付けられるように脈打っていた。


「話によると先に手を出したのは他校の人たちらしくて」
「え、そうなの?」
「らしいよ。"月曜はよくも約束すっぽかしてくれたなぁ"とか言って」
「怖いんだけど〜!だからって学校までお出迎えですか!」
「本当だよね。なんでも、うちのクラスの後ろに植木があるじゃん?」
「あぁ、昨日割れて鎌田くんが片してたやつね」
「そうあれあれ!あれをあの4人が叩き割った瞬間、浦飯が豹変したらしい」
「え!?どういうこと?あれ浦飯の植木だったの!?」
「さぁ…細かい理由はわかんないけど」
「浦飯くんがお花すきとか聞いたことないんだけど」
「いやそれはないっしょ」
「鎌田によるとそれまでは何されても全然動じなかったのに、って」


言いながら、は運動靴に履き替える。わたしはみんなの言葉を理解するのに精一杯で、その場から動けない。今、なんて言ったの?


「へぇ〜男の子の切れるとこってよくわかんないわ」
「"テメェら…やっちゃいけねえことしやがったな"とも言ってたみたい」
「やっちゃいけないこと?」
「鎌田は部活に行く前で、浦飯がそう呟いたのを確かに聞いたって」
「どうしたんだろう?やっぱり本当はお花がすきだったんじゃないの?」
「あはは言えてる。でも浦飯が喧嘩したことには変わりないしねー…って、?」
「委員長?どうしたの?顔色悪い…」

「・・・・・・うそ」

「え?あ ちょっと!!っ!?」


履き替えた運動靴のまま体育館と教室棟を繋ぐ渡り廊下を引き返した。!委員長!?みんなのわたしを呼ぶ声が背中いっぱいに降り注ぐ。ずれ落ちそうになる眼鏡もそのままに わたしはひたすら走った。昨日の委員会報告の途中、突然呼ばれて教室に戻ったあのときよりもさらにはやく。 浦飯くん、浦飯くん浦飯くん浦飯くん。頭の中はそれだけだった。浦飯くんがあの植木を壊されて怒ってくれたなんて。 どうして決め付けてしまったんだろう。


『暴力なんて最低よ』


その言葉が彼を、浦飯くんを、どれだけ傷付けたかわからない。どんな思いでわたしの平手打ちを受けたのか。考えただけでも胸の奥が痛くて苦しい。ぼやけた向こうで見えた、浦飯くんの表情。彼が喧嘩をしたいだけで奮った暴力じゃないって、どうしてあのとき気付けなかったんだろう。月曜日のやさしい彼を知っていれば、そんなこと一目瞭然だったのに。目の前のものだけを信じて、彼の真意を見抜くことが出来なかった。"約束をすっぽかした""植木を叩き割った瞬間豹変した""やっちゃいけないことをやった"その言葉のどれもが、わたしに関係なくなんかなかった。


(ごめん・・・ごめんね・・・・っ)


情けないにも程がある。泣きたいのは、あの場で言い訳一つせずにいた浦飯くんのほうだ。室内履きの入った袋を掴んだまま廊下を走ると、すれ違った先生に「靴履き替えろー!」と怒鳴られた。でもそんなことはどうでもいい。今は自分の浅はかさが何より憎い。今朝鎌田くんと会った職員室の前を通りながら、彼はきっと竹中先生に浦飯くんの無実を伝えに来たんだろうと思った。の話によれば一部始終を見ていた彼の証言はかなり信憑性が高い。元々嘘をつくような人ではないし、それを知っていたからこそ、わたしが植木を育てていた事実に驚いていたんだ。登校するなり人だかりのできていた掲示板の前には、今はもう誰もいない。代わりに無機質な紙が貼られてあって、すぐ近くの階段からはどこかのクラスの授業を受ける声が聞こえていた。


(はやく、…っ行かなくちゃ…っ!!)


自分の為に。おこがましい思いは、いつしか確証に変わる。わたしはこのとき初めて、去り際の浦飯くんの表情が忘れられない理由がわかった。







(秘密のクラスメート 3 20090824)