高校3年生という身分からしたら、今この時期バレンタインどころじゃないんだけどもわたしに受験は関係ない訳で。 世間の波に流されてちょっと浮かれてみたりする訳だ。 もっとも、用意してある『とっておき』はチョコではないんだけど。 「…遅いなー」 食器を洗う手を止めて時計をチラリと見ると11時過ぎ。 今朝、凍矢は「今夜は少し遅くなるかもしれないから先に夕飯食べていてくれ」とは言ってたけど。 「少し?…どこが。」 少しだったら待っててもいいや、なんて思ってたけど10時を過ぎたあたりで諦めて1人で夕飯を済ませた。 1人じゃゴハンは美味しくないのに。 それに、今日はバレンタインだし。 話したい事もあるし。 自分の食べた食器を洗ってたらなんだか寂しくなってきた。 「もー、早く帰って来てよー…」 食器を拭いた布巾をポイッとシンクに投げ付けてソファーに寝転んだ。 早く会いたい、とか、早く帰って来て、とか思うから余計に独り待つ時間が長く感じられるんだ、きっと。 凍矢の誕生日のときもそうだった。 実際には普段定時で上がってくるより少し帰りが遅くなっただけなのに、 ものすごく待たされたように感じて、ちょっとむくれて「おかえり」って言ったっけ。 だけど今日はそんなの比じゃないんだよ。 お願い、早く帰って来て。 会いたい。 「…携帯に電話でもしてやろうかな…」 焦れて現在地を確認しようとした所で、物音に過敏になっていたわたしの耳が「チャリ」という微かな金属音を捕らえた。 ドアの向こうだというのに我ながら大したものだと思う。 条件反射のようにソファーからガバッと起き上がり玄関へ向かった。 「おかえり!」 「…た、ただいま」 満面の笑みを浮かべるわたしに反して凍矢は驚いたんだか何だか、微妙に引き攣った表情で。 その原因は、すぐに分かった。 凍矢の左手の紙袋。 A4の書類が入るサイズ、だけど中身は書類じゃない。 「…大漁ですこと」 「受け取らないのも悪いだろ」 袋の中身は色とりどりの包装紙でラッピングされたチョコの山。 凍矢の勤める大手IT会社には年上から年下までの綺麗なお姉さんが山程いて、凍矢はどの層にも受けが良いし。 特に母親くらいの年齢のおばさまが「お世話になってるから」なんて差し出してきたら凍矢が受け取らない筈がない。 そんな事できないでしょ。 そんなの、分かってるけど。 「まさか帰りが遅くなったのって…」 「バカ、それとコレは関係ない。残業だ残業」 「やり手の係長はおモテになりますからね〜」 やっぱり妬けてしまう。 こういう時ホント、凍矢には『サラリーマン』ってお仕事を辞めて欲しいとか思っちゃう。 分かってる、これはわたしのヤキモチで、ワガママ。 「懸命に仕事して帰ってきてそれかよ」 あ、マズイ。 機嫌損ねちゃったかも。 ボソッと吐き出された一言は、決して怒鳴り付けるような調子ではないのに心の奥を抉るように感じられる。 胸が痛い。 …ああもう、なんでわたしって一言多いんだろ。 どすん、とちょっと不機嫌そうに椅子に座った凍矢の目の前に暖め直した料理の皿を並べる。 だけど凍矢は無言で箸もとらない。 「あの、そのー…お仕事お疲れ様です。」 「…………っ…ぷ…!」 何か喋らなきゃ、と必死になって言葉を選んで口にしたのに、凍矢はそれを聞いた途端噴き出して大笑い。 なんなのよ、もう。 呆気にとられてぽかんと立ち尽くすわたしに「悪い悪い」と涙目にまでなって。 「予想通りの反応するから」 「…なにそれ!怒ってたフリ?!」 「いや、コレ持って帰ったらどういう反応するかなー、とは考えてたけど」 わたしが妬いて、むくれるのを見越したお芝居だったって訳ですか。 仕事で疲れて帰って来た所を気分悪くさせちゃったかな、ってものすごく不安になったのに。 早く帰ってきて、会いたい、ってずっとずっと待ってたのに。 些細な事で妬いてるわたしも悪いけど、凍矢も充分タチが悪い。 「人が…どんな思いで…っ」 「おい、泣くなって」 「うるさい!」 勝手に涙が出てくるんだもん。 仕方ないじゃん。 普段じゃこんな事くらいで泣いたりしない筈なんだけどなぁ。 訳わかんないけど、これもアレのせい? 泣き出したわたしを凍矢が抱き締める。 「悪かった。」そう何度も繰り返してソファーに座らせて。 頭を撫でられている内にそれまで子供の癇癪みたいに取り乱していたのが嘘みたいに静まった。 まるで魔法みたいに。 落ち着いてきたら、抱き締められているのが幸せで甘えたくなってしまう。 規則正しく刻まれる心音を聞くように凍矢の胸にぴたりと寄り添った。 「…えへへ。」 「えへへ、じゃない」 何事かと思った、って溜息混じりにキスされた。 唇に、ちゅ、って触れるだけ。 …と思ったら2度目は「キスだけじゃ済まない」事を感じさせるくらい深くて。 抱き締める腕は力強くて、少し苦しいくらいのそれが堪らなく幸せ。 だけど。 「ちょ、待っ…」 「夕飯なら後でも良い。」 「そうじゃなくて」 違う、話さなきゃいけないことがあって。 だからとりあえずパジャマのボタン外そうとするのやめてくれないかな。 …って、なんかもう押し倒されてるし。 「なに?アレ?」 「違う、けど、」 「なら問題ないよな」 凍矢は一瞬手を止めたけれど、わたしの返答に問題ナシと再び覆い被さる。 首筋に口付けられわたしがビクリと反応するのを満足げに笑ったのが耳元で感じられた。 これ以上文句は言わせないとばかりに強引に唇を塞ごうとするから、寸前で叫んでやった。 「い、いるから!!」 「…は?」 これで言われた言葉の意味をすぐに理解しろ、というのは無理だろう。 だから眉間に皺を寄せて動きを止めた凍矢の反応は正しいと思う。 けどわたしだって、なんて言ったら良いのか分からなくて。 ううん、正確には、なんて言おうかずっと迷ってた。 「だから…」 どんな言葉で伝えたら、凍矢が一番驚くかな、とか。喜んでくれるかな、とか。 散々考えていたはずなのに、候補にあげていた台詞は肝心の今この時ひとつも出てこない。 言葉に詰まって黙り込んだわたしが無意識にお腹の上でキュッと手を握ったのを目に止めて凍矢の表情が変わった。 「え?、お前、ひょっとして、」 ハッと目を見開いて、わたしの想像以上に驚いているみたいだった。 まともな文章を口にすることもできずに、慌てて身体を起こしてみたりとかして。 顔は真っ赤、耳まで真っ赤。 ここまでの反応は流石に予想できなかった。 予想外で、嬉しい。 「あー……そ、か…。」 頭を掻いて、ふぅ、と一息ついたら凍矢は起き上がるわたしに手を貸して、そっと抱き締める。 まるで壊れ物を扱うみたいに、そっと。 暖かい腕の中でそっと目を閉じたら耳のすぐ近くで優しい声がする。 「…なら早く帰ってくれば良かったな。ごめん」 「ううん、電話すれば良かったのにわたしが驚かせたくて黙ってたから。」 良いの、今こうして抱き締めていてくれるのなら。 こうして、心から喜んでくれるのなら。 それだけでもう十分。 「チョコより嬉しいでしょ?」 甘い、甘い恋人達の1日。 わたしが貴方に用意したのはチョコレートじゃないけれど。 「…分かりきった事聞くな」 貴方はきっと一生この日を忘れはしないでしょ? チョコレヰト・ガール 元南国夢でしたが凍矢くんに変更しました。20100808
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