とりあえずバナナどう、まぁえんりょせず。
なんて、わたしが気を遣って話しかけてあげているのに、死々若丸は依然不機嫌なままで取り付く島もない。

「ほらバナナ」
「目の前にバナナを出すな。オレはサルか。バナナで喜ぶとでも思ってんのかおまえ」

わたしは『ほらバナナ』とたった2つの言葉でしか話しかけなかったのに、死々若丸は一息でそう言い切った。

「甘いものはイライラを緩和させるといいます」
「おまえのへんな雑学はいらない」
「わたしの名前はおまえなんかじゃありません」
「揚げ足取るならもう帰れ」

 死々若丸が目を細めてわたしを睨んだ。



「まぁそう怒らないで。ね?」
「…」

 死々若丸の目の前に差し出していたバナナを机の上に置くと、死々若丸は眉間にシワを寄せたまま不機嫌そうに黙った。ふたりっきりの空間で彼もわたしも黙ったままなので、沈黙で耳が痛い。キーンと、聞こえるはずのない微かな機械音が聞こえるような気がする。今、わたしと死々若丸がいるのはみんなが帰った教室で、誰かがあそこのドアを開けてくれないかなぁと思ったけれど、こういうときに限って誰も来ない。いつもなら酎が寝ていたり陣が漫画を読んでいたりするのに。
 まいったな…とわたしは頭の後ろを掻きつつ、なんだか手持ち無沙汰になったのでバナナを食べることにした。

「…お前、オレに散々勧めておいて自分で食うのかよ」

 そう呟いた死々若丸の顔は、納得いかないような呆れたような感じだった。「まだあるよ食べる?あーバナナじゃなくて肉まんもある」と購買で買ってきた肉まんと残りのバナナを、ビニール袋から出して机に並べる。すると、その選択肢がよくわからねえ。なんでバナナと肉まんなんだとバナナと肉まんを横目で見て、死々若丸が溜息を吐いた。
 死々若丸が元気ないって聞いてわざわざ買ってきてあげたのに、と半分皮をむいたバナナを手に持ったままそう言うと、絶対ちがう、これはお前が食いたかったものだろ。と死々若丸が言った。


「ふつう、人を元気付けるつもりでバナナなんて買ってくるやつがいるか?」


わたしわたし!と『なにいってんの死々若丸』ていうのが彼に伝わるようにわたしが自分を指すと、はぁ、と死々若丸は大きな溜息をついた。





『今日、死々若丸がものすごく機嫌が悪いんだ…』と鈴木が溜息混じりにわたしにこぼしたのは、つい30分前のこと。なんでも彼女のちゃんと別れたらしい。しかも彼女が酎を好きになってしまって、まあはっきりいうと、死々若丸はふられたのだ。

「…うわーちゃん、酎を好きになっちゃったんだ…」

 わたしが死々若丸に心底同情しながらそう言うと、「で、ものすごく機嫌悪いから。どうにかして」と鈴木が縋るような目でわたしを見た。なんでわたしなのー勘弁してよーと『ムリムリ』と顔の前でヒラヒラ手を振る。「死々若丸をどうにかできるのはだけなんだよ。あいつが機嫌悪いと周りが気を遣うんだよ。特にオレが気を遣うんだよ。ほんと頼むよ」なんて言う鈴木は犬のような目。その困ったような表情を見てわたしは溜息をつきつつ「分かった。…死々若丸に会ってみるけど期待しないでね」と死々若丸と会う約束をしてしまった。

「ありがとう!」

鈴木の嬉しそうな(わたしに問題を丸投げしたような)声を背中に感じつつ、その足で、死々若丸と会う口実を作るために購買に向かったのだ。





「…で」
「なんだ」
「死々若丸が機嫌悪い理由はあれでしょー大好きなちゃんが酎に転んだんだって?」


 バナナを食べながらわたしがそういうと、死々若丸が飲んでいたほうじ茶(ペットボトル)をぶっと音をたててふいた。

「ちょ、お茶ふかないでよ!」
「おま、…なんで知ってんだ!」

 言葉を発したのが同時だった。
ここで『鈴木に聞きました』と言ったら、たぶん死々若丸は鈴木と1ヶ月くらい口をきかないんじゃないかと思ったので(たぶんじゃなく絶対)わたしは、「風のうわさで…」と言葉を濁した。

「オレも近いうちに別れようと思ってたんだ、別にふられたわけじゃない」
「へぇ」
「…問題は、」
「もしかして、理由が『酎の事を好きになった』だから機嫌悪いの?」

 わたしが言うと、怒りが最高潮になったかのように死々若丸の眉間が寄った。あ、また怒鳴られると思って構えたけれど、彼は大きな舌打ちだけしてまた黙った。


…図星、ですか。

 死々若丸は例のメンバーと比べられるのが大嫌いだ。それなのに寄りにもよって『酎を好きになった』なんて理由でふられたんだから堪らない。死々若丸の機嫌が悪いのは当然だ。
 加えて、死々若丸はちゃんのことがあまり好きではないんだろうなと、わたしは大分前から気付いていた。押しの強い彼女に押しに押されて、最後は逃れきれずにつきあい始めたと聞いている。(鈴木情報なので確かなはず。)さんざん振り回された挙句、よりにもよって彼女から別れ話を切り出されたんだから堪らない。死々若丸の機嫌がものすごく悪いのは、まぁ当然といえば当然だ。
 わたしは、人前ではふたりを祝福していたけれど、心の中ではふたりが早く別れればいいのにと思っていた。悪いけどちゃんと死々若丸は似合っていない。

 …わたしの方がよっぽど死々若丸と合ってるって。本当に。



「酔っ払いのどこがいいんだよ。オレと比べるな、腹立つ…」


そう言いながらテーブルの上の肉まんを勢いよく手にとった。


「あ、それ特撰肉まんだから。すごく高いから」
「知るか」

 死々若丸はべリベリ音がするんじゃないかと思うくらいがさつに肉まんの裏紙をはがした。彼にしては珍しい。

「肉まんに怒りをぶつけないでよ。肉まんに罪はない」
「お前にぶつければいいか?」
「……どうぞ肉まんにぶつけてやってください」

 死々若丸が『バナナはお前が食えよ』とあと2本残っているバナナを指差しながらわたしを睨んだ。いちいちうるさいやつだ。



 死々若丸は昔から恋愛方面に鈍感だ。
いつもは無駄に鋭いくせに、肝心なところでとことん鈍感で。いつもは無駄に偉そうなくせに、肝心なところでとことん詰めが甘くて。
 わたしの気持ちには微塵も気付いてなくて。もう最悪。なんでこんな男を好きになっちゃったんだろう。わざと彼に見える位置に置いてあるピンクの袋にも全然気付いていなくて。ほんと最悪。なんでこんな鈍感な男を好きになっちゃったんだろう。




「帰るか」 

 ピンクの紙袋に気付かないまま、肉まんを食べ終えた死々若丸が椅子から立ち上がった。

「少しは機嫌良くなった?」
「よけい悪くなった」

 わたしをジロリと見下ろして死々若丸がそう言った。でもその目は、さっきまでのまるで林檎を片手で握りつぶしてしまいそうなあんな恐ろしい目ではなく、いつもわたしと話すときの目に戻っていた。
 教室を出るともう外は暗かった。思った以上に肌寒い。いまあの肉まんがあればよかったのに。「さむい」とひとりごとを言うと、死々若丸が「あたりまえだろ」と言った。うるさい。いちいち腹立たしいやつめ。

「特撰肉まん美味しかった?」
「まあまあ」
「さいあく、その言い方」


 わたしが言うとそれを聞いて死々若丸が笑った。今日はじめての死々若丸の笑顔だ。それを見てやっと『死々若丸に会いにきて良かった』と胸を撫で下ろした。さっきまでの彼のあまりの不機嫌ぶりに、内心ではここに来たことを後悔していたのだ。
 グラウンド脇の並木道を、死々若丸と歩く。もう人影はまばらだった。

「今度はわたしに特撰おごってよね。食べたかったんだから」
「気が向いたら」
「ほんとひどいよね。わたしに対する態度」

話すたびに白い息が漏れる。冬が来る。

「お前は知らないと思うけど」
「え?」
「今日オレの誕生日だから。特撰はおまえからのプレゼントってことで」


 真正面を見ながら死々若丸が言った。その言葉といっしょに、やっぱり白い息。…バカ。肉まんを誕生日プレゼントになんかするな。そろそろ気づけ。わたしが胸に抱えているピンクの紙袋の存在に。


「誕生日なのに最悪だったけど、…まぁ、ありがとな、


 いきなり感謝の言葉を言うな。…感動して、ガラにもなく顔が赤くなってしまうではないですか。


 あと少し。あの校門前でわたしたちは右と左に分かれるけど。
 そのときこのピンクの紙袋の正体に気付くがいい、死々若丸。さっきコンビニで肉まんとバナナと共に急遽買ってきたこの安い誕生日プレゼントと共に、愛の告白などしてあげるよ。それに驚くがいい。今まで鬱々としていたわたしのこの溢れんばかりの深い愛を受け止めるがいいさ。さぁ受け止めてみろ。やっと彼女と別れたんだから!
 それまで「誕生日おめでとう」なんて言ってあげない。


「誕生日おめでとうも無しか」
「うるさいな」
「最悪、その言い方」


さっきのわたしの言葉を真似て死々若丸が低い声でそう言った。



校門まであと少し。
それまで、わたしの気持ちを知らないのなら、それでいい。





まだ知らないだけ  2009/08/24