「死々若丸イエーイ!」
「オレは帰る」


じゃあな、バカ。死々若丸はそういうと優等生みたいな持ち方で鞄を手に取った。今日はたまたまわたしが委員会で、生徒会長の死々若丸がめずらしく生徒会委員のない日だ。いつもはわたしが教室で彼を待って一緒に帰るけど、今日はその逆。生意気を通り越して嫌味な死々若丸が自分の為に教室で待っていてくれることを考えたら、テンションも足も浮き立つに決まっている。今は使われていない空き教室での委員会を終えて廊下を歩いてるだけで、わたしの抑えられないうずうずが次第に大きくなり、教室に着くと同時についに爆発した。そうして冒頭に至る。


「ちょ!んもうノリ悪いなぁ」
「一つ、言ってもいいか」
「な、何なに!?いいこと?もしや褒めること!?なんだろうなぁ!」
「…あのなぁ」
「わたしと死々若丸の仲じゃない!ひとつと言わずに九つくらい言いなよ、ドーンと!」
「そうか?じゃ言わせてもらうが」
「うんうん?」
「まず終わるのが遅い。帰る直前に委員会があったことに気付くな。昼飯食い過ぎ。それからスカートの丈が短い。他の男の前でヘラヘラするな。来週土曜の13時は必ず空けておけ。体育でオレの教室に向かってグラウンドから大声を発するな。移動教室で投げキスを送るのはやめろ。課題は自力でやれ。以上だ」

「(ホントに九つ言いやがった!)」


捲くし立てるように言葉を続けたくせに、死々若丸はまったく息を切らしていない。さすがは生徒会長!伊達に朝礼があるたびにみんなの前でスピーチをしているわけじゃないんだ。最初は一つだけって言ったのに、わたしが受容した九つという数字にも慌てることなく即座に対応するなんて生徒会長の鑑。一方で、わたしは本当に九つも言われるなんて思っても見なかったので、数以外、3つ目以降は曖昧なんだけど…。いくつか嬉しい言葉も混ざっていた気がするのは、わたしの気のせい?もう一度言ってっていったら死々若丸怒るだろうか。…怒るだろうな、多分。人の話を聞け!とか言われて、ちょうど十箇条になっちゃうだろうな…。うぐ…でも聞きたい。


「死々若丸さん、あの」
「二度は言わない」
「(やっぱり!)ど、どうしても?」
「どうしてもだ。帰るぞ」


訝しげな視線。果たしてそれは本当に彼女に対して送る視線でしょうか若様。ふざけていうと、死々若丸は然も鬱陶しげに盛大なため息を吐いた。見せつけるようなそれに少しだけ焦りながら死々若丸の隣を歩く。教室を出るなりブラスバンド部の爽快なメロディが流れてきて、そういえばまだ彼に待っていてくれたことのお礼を告げていないことを思い出した。


「死々若丸、あの」
「お前は少し自分に疑問を持て」
「え、限りなく失礼ですよその台詞」
「ほう。そういうことは理解できるんだな?」


せっかくオレの説いてやった言葉は全部理解しなかったくせに。ニヤっと口の端を持ち上げて見下したように笑う。多分死々若丸はバカにしたような笑顔を浮かべたつもりなんだろうけど、それじゃあ向けた意味が無い。だめだよ死々若丸。わたし、その顔も大好きだから。喉まででかけて言葉を抑える。これじゃあ本当にどうしようもないヤツだと自嘲した。


「何笑ってる」
「わわ、わらってないもん!」
「バレる嘘をつくな」
「嘘じゃないってば!もう、そんなにノリが悪いと生徒会長務まらないよ?」
「別に。ノリで生徒会長なわけじゃない」


階段を下りながら死々若丸が鼻で笑う。彼が言うと言葉は何でもしっくりと当てはまるから不思議だった。加えて振舞う動作のすべても死々若丸に相応しくて、他の人間ならナルシストだなぁ、自意識過剰だなぁと思わずにはいられないんだけど、どうしてか死々若丸の言動はわたしを惹きつけて離さない。別名、惚れた弱みとも言う。昇降口に着くと、お互い自分の靴箱に手を伸ばして上履きを履き替えた。ブラスバンド部の楽器が奏でる音よりも、今度はグラウンドで活躍する運動部の声が主になる。


「要約してやろうか」
「え?」


外には雲一つない青空が広がっているようで、昇降口の中からぼんやりとその様子を見つめていた。すると、いつの間にか入り口に立っていた死々若丸がぽつりと呟く。逆光で表情が見えない分、透き通るように小さく響いた彼の声音がやけに真剣さを物語っていることに気付いた。わたしは慌てて首を縦に振ってバカみたいに頷く。死々若丸の噛み殺したような笑い声が喉の奥から漏れるのがわかった。


「見てないようで見てる。嫉妬もする。が好きだから」


説き伏せるように淡々と言葉を並べて、けれどその効力がわたしにいかに作用するか、死々若丸はわかっているのだろうか。 「が好きだから」続けて死々若丸は「気付けよ、ばか」と言った。わたしの目の前に立ち塞がるように近付いてくる頃にはすでにいつもどおりの彼に戻っていて、今度こそ二度目はないからなと視線で釘を刺される。いつもならうっと怯むその視線が、今は全然痛くない。そればかりか優しささえ感じてしまう。


「というわけで、来週土曜の13時、空けておけよ」
「う、うん!」


廊下を盗み見て人気が無いことを確認すると、死々若丸はこっそりわたしのくちびるにキスを落とした。初めてじゃないのにドキドキと高鳴る鼓動が早鐘のようで、これじゃあファーストキスのときとなんら変わらない。思えば余裕の死々若丸とは対照的に緊張で引きつっていたあの頃は酷かった。若かった。けれど、なんら変わらない気持ちを今でもくれる死々若丸が愛しくて、大好きで。わたしはわたしの足りないキャパシティの中に要約してくれた死々若丸の言葉をひとかけらもこぼさないように刻み込む。


「来週何着て行こうかなぁ」
「その前に中間テストを忘れるなよ」
「はっ…!」
「いい忘れたが、80点未満は補習だからな土曜日」
「そ、そんな…!(やっぱり!)」


言われた九つの忠告さえ覚え切れなかったのに。こんなんじゃ中間も目に見えた結果だ。隣でくつくつと笑い声を漏らす死々若丸を見つめながら、死々若丸は本当は、はじめからどれを一つわたしに伝えるつもりだったんだろうと考えていた。うーんと唸る。不気味だからやめろと彼がヤジを投げる。九つ全部思い出せたら、テストの話はなしってことでどうでしょう、若様。デートのためなら勉強よりは思い出せる自信があるんだけどな。







まぼろしの九箇条 2009/05/18