雷禅さんがドンドンとわたしの部屋の扉を叩いて「起きろ寝ぼすけ」なんて言うから、わたしはてっきりわたしがあの雷禅さんよりも寝過ごしてしまったのかと思ってかるくパニック状態になってしまった。ところが時間は夜の11時、日付すら変わっていない。
 雷禅さんに腕を掴まれて無理やり連れて行かれたリビングには、丸いホールケーキが待っていた。白い生クリームに赤いいちごが飾ってあって、ろうそくが灯っていて、チョコレートの板に"ちゃんおめでとう"って書いてあって、砂糖菓子の天使が乗ったやつ。


「…何で"ちゃんおめでとう"って書いてあるの?」
「別に誰がおめでとうでもよかったんだがな」
「ふうん……」


 もっといろいろ聞きたいことはあったけど、さっきまで寝ていたわたしはそこまで頭が回らなくて、ただぼんやりと「わたしって今日誕生日だっけ…」などと考えていた。
 雷禅さんに促されるままに席につく。そしてフォークを握らされる。


「食え」


ぶっきらぼうにそう言うと、雷禅さんはわたしのお皿にホールケーキの四分の一ほどの大きさのケーキを取り分けてくれた。こんなに食えるか、と思う気持ちとそういえばケーキなんて食べるの久しぶりかも、と言う気持ちがない交ぜになってぐちゃぐちゃになる。でもって結局フォークでケーキを突き刺して食べる。


「甘い」
「そうだろうな」


ケーキだしね。


「どうしたの、急に」


白いクリームのいっぱい乗ったところを頬張る。子供じみた気持ちになった。


「甘ぇもんが食いたくなって買ってきたんだよ。さっきまで忘れてたけど」


 ああ、それで。生ものだしね。早めに食べなきゃね。わたしはもうすでに頭のてっぺんから指の先までケーキを食べるという使命感にムダに満たされていたし、雷禅さんもそれ以上何も言いそうに無かったので、黙々とケーキを食べることにした。ホールケーキなんて最後に食べたのいつだろう。
 いちごの乗ったところをフォークに乗せようとして失敗する。そう、いちごは大きいから。転げ落ちちゃうから。フォークで突き刺して食べなきゃ。ホールケーキをはさんで向こう側に座っている雷禅さんを見る。雷禅さんは自分が食べたいと思って買ってきたといっていたくせに、お皿もフォークも用意すらしていない。


「食べないの?」
「気分じゃなくなったんだよ」
「ふーん…」


変なひと。いまさらだけど。


「わたしね」
「ん」
「昔、ずっと小さい頃ね、ここ食べるのがすごい好きだった」


 ここ、と言って生クリームのついたフォークでケーキの真ん中のほうを指す。砂糖菓子の天使と"ちゃんおめでとう"っていうチョコレート細工。


「ある程度の年になるとさー、まあ両親もそうだったんだけど、興味薄れるんだけどね。ずっと昔はここを食べるのがね、何か、すごい良いことみたいに思ってた」
「…ふーん、そうかよ。」


 想像しているのか、いちごを頬張りながら上目で見た雷禅さんの顔はめずらしく穏やかだった。


「なに笑ってんだ」


 ほら、そういう口調と裏腹に表情は優しい。


「ちょっとね」


 そういえば、わたしは誰もとらないっていうのに「これはわたしが食べるんだからね」って主張してた気がする。最後の一口までを、自分でも予想外にぺろりと平らげて、お皿についたクリームをフォークでかき集めながらそう思う。


「でも今は昔の気分だよ」
「つーかマズくねえか、この天使」


 雷禅さんはそう言って中央にたたずむ天使を指でつまんだ。今はもう輝きを失ってしまった天使。砂糖でできた甘いやつ。


「うん」
「…食うか?」
「一連の会話のあとに言われてもあんまり食べる気しないよ」


 雷禅さんは少し笑って、そりゃそうだと天使の身体を首と胴の二つに割ってそのまま口に放り込んだ。じゃりじゃりと、奥歯が天使を噛み砕く音がここまで聞こえる。


「う…っわあ、そういう食べ方しないでよすごい後味悪いな…」
「まじい…」
 
 眉間に深い皺を寄せて、雷禅さんはうげえと言って手づかみでケーキの端を切り崩して食べた。その野生丸出しな行動にわたしは呆れてしまう。


「言えばわたしが何口でもあげたのに。ほら、文明の利器」


 フォークを持ち上げて見せると雷禅さんは「まだるっこしい」と言ってまたこれ見よがしにケーキを掴む。何考えてんだ。


「その板のチョコはわたしが食べたい」


 雷禅さんの手がチョコレートに伸びたので、止めた。


「これか」
「うん、わたしの名前が書いてあるし」


 何を考えてたんだか知らないけれど、雷禅さんがわたしの名前をわざわざ書かせた、ということがなんとなく重要に思えて、わたしは彼からそれを受け取る。
 大しておいしくないと知っているけれど、わたしはそのチョコレートをとても大切なもののように口に入れた。  雷禅さんはそうとは知らずに、わたしの欲しいものを何でも与えてくれる。薄っぺらでぱりぱりの"ちゃんおめでとう"と書かれたチョコレートを噛み砕きながら、わたしはとてもうれしい気持ちになる。このひとを好きになれてよかったと思った。
 わたしは無意識にあまりにもうれしそうな顔をしていたのか、雷禅さんは残っているいちごだけをつまんで次々に食べながらにやりとした。


「オレが天使食ったから欲しくなったか?」


でも考えていることは相当見当違いだ。


「別にそういうわけじゃないけど、」


 だけど、本当の理由をいちいち口で説明するのも気恥ずかしかったので、


「そういうことにしといてあげる」


 わたしはそう答えた。
 雷禅さんはわたしが理由を濁したのが気に食わないのか、それとも食べたいちごが酸っぱかったのか、ものすごく嫌そうな顔をした。





ホワイト・ストロベリー  20091125