全然好きじゃないのに好きなふりをしなくちゃいけない。それは彼も重々承知で、それでも今はどうしようもない。誰にもいえないこの想い。誰にも何も悪いことをしているわけじゃないのに。 「、いい加減ここを開けなさい!」 「やだやだやだ!絶対行かないもん!そんなに会いたきゃあっちが来ればいいのよ!」 「ま、まあ!なんてことを…!蓮さまがお前を妃にと気に入って下さっているのよ!?」 「まぁまぁ、お前も落ち着きなさい。、とりあえず出てきてゆっくり話そうじゃないか」 「話すことなんかなんにもない!おじいちゃまからおばあちゃまにちゃんと言ってよ!」 「なんてわがままな…!わたしもこの人もお前を思って言っているのよ!!?」 「そんなのおばあちゃまの勝手だもの!わたしはわたしの選んだ人と一緒になりたい!」 勝ち目のないトイレ篭城作戦を決行して一時間、おじいちゃまは兎も角として、わからずやのおばあちゃまの頑固さに反論しつつ、わたしは言い分を聞いてもらえない歯がゆさに涙を流していた。目の前にあるトイレットペーパーはすでになくなりそうなほど、体のいいハンカチ代わりと化している。閉じこもっていても目に見えて浮かぶのは、青筋を立てて扉の向こうにいるおばあちゃまと呆れたようなおじいちゃま、そして何人かいるメイドさんや召使いさんたちのおろおろと見守る姿。そして― (蔵馬…) まぶたのすぐ裏に広がる銀色。その名前を呟くだけで、ぎゅっと胸が締め付けられる。蔵馬、たすけて。くちびるを噛み締めても涙を止めることができなかった。わたしだって何も誰かを困らせたくてこんなわがままを言っているわけじゃない。確かにわたしはこの家の誰よりも子供で、パパとママのいない環境で育てられて甘やかされた部分はある。それでも、お見合いとは名ばかりの政略婚になんて絶対巻き込まれたくない。わたしにだって好きな人がいる。できればずっと一緒にその人といたい。子供なりに考えはあって、それをみんなにきちんとわかってほしいだけなのに。ドンドンと叩かれるトイレの扉に寄りかかりながら、その振動を感じるたびに自分の力のなさを思い知らされる。でも絶対に、今日は一歩も譲らないんだから。 「これ!聞いているの!?」 「聞こえないもん。もうあっち行って!放っておいて!」 「やれやれ…困った孫だな……。ん?」 「申し訳ありません、遅くなりました」 おじいちゃまの嘆くような声がしたと思ったら、ふいに外が静かになるのがわかった。わたしは何事かと扉に耳を預ける。すると、おぉ!とおじいちゃまの嬉しそうな声が小さく聞こえて、まったく状況が掴めなかった。 (何よ…どんなに外の様子を気にさせたって、のぞいたりしないもん…) 頬を膨らませながら、また少しペーパーを巻いて千切る。ティッシュと違って水に溶けるせいで、わたしの目の下は細かくなったトイレットペーパーのくずが点在しているけど、そんなことどうだってよかった。ぐすんと鼻を鳴らしながら流れる涙を拭い上げる。瞬間、聞き慣れたいとおしい声がわたしの名前を呼んだ。 「」 出ておいで。沁みるような声音に思わずわたしと彼を隔てる扉をばんっと勢いよく開けた。前言撤回。いとも簡単に崩された篭城作戦。おばあちゃまの「まぁこの子は…!」という悲鳴にも似た声もそのままに、わたしは困ったように微笑んでいる大好きな人の元へ迷わず駆け寄る。 「蔵馬ぁ…っ」 「」 やさしく諭すように紡がれた名前。彼ほど自分の名前がで良かったと思わせる男の人をわたしは知らない。同時に、彼以外の誰にもその名前を呼ばれたくなんかない。その胸に思いきり飛び込んだわたしを受け止めると、蔵馬がぽんぽんとわたしの頭を撫でてくれる。白を基調とした礼服に身を包む彼は、物心ついた頃からわたしの兄のような存在で。わたしが彼以外の言うことを聞かないことがしょっちゅうで屋敷中を困らせることも多々あったのを見兼ねたおじいちゃまが、就職というカタチで彼をわたし専属の執事に抜擢してくれたのだ。渋々の了承かと思いきや、蔵馬はほんの少しだけ微笑んでその話を受け止めてくれた。 あの日から5年。 「うっ、くら、まっ…わたし、行きたくないよう…」 「よしよし」 「、いい加減に…」 「すみません。部屋に戻ってきちんと言い聞かせます」 「でも、先方は待ちくたびれて…!」 「まぁいいじゃないか。蔵馬くん、後は任せたよ」 「あなた!?」 「にも言い分があるじゃろう。蔵馬くんにならも素直になるんだから」 「先方には私から責任を持って連絡を入れておきますので」 「いやいや、そこまで気を使わんでいい。ワシから言っておくよ」 「いえ、お任せ下さい。、お前は先に部屋へ戻ってろ」 「……蔵馬、は?」 「オレは後で行くから」 「う、うん…」 「いい子だ」 撫でられるのが気持ちいい。目を瞑ると、溜まっていた残りの涙もはらはらと零れ落ちた。蔵馬はわたしと同じ視線になるように屈みながら、そっと流れる涙を拭ってくれた。親兄弟のいないわたしの兄として、いつだってわたしの気持ちを宥められるのは彼の言動だけだ。最後にもう一度だけ頭を撫でると、蔵馬に促されて自分の部屋へと戻る。階段を上がりながら不安そうに振り返ると、蔵馬が受話器を耳に宛てがう後姿が目に入った。 ◇ 「蔵馬?」 コンコンと律儀なノックの音が響くと、わたしは急いでベッドから起き上がり軽い足取りで扉の前に向かった。案の定扉を開けたのは蔵馬で、けれど、いつもと違う彼の姿にわたしは目を丸くする。さっきまで着ていたはずの礼服を着ていない。動きやすそうなラフな格好で目の前に立つ蔵馬は、きょろきょろと廊下を気にしながらわたしの部屋へと入った。 「蔵馬、どうしたの?」 「行くぞ」 「え?」 「この家を出る。支度しろ」 「出るって…どこへ行くの?」 「誰にも邪魔されないどこかに」 「く、らま…」 「二人きりで、いつまでもいられる場所に」 怖いか?そう訊ねる蔵馬。わたしの頭は彼の言葉を理解するのにほんの少し時間がかかった。二人きりで、いられる場所?蔵馬とずっと?普段突拍子もないことを言うのはわたしの役目なのに。彼の放つ言葉がまるで夢の中の台詞みたいだった。本当にそんな場所があるなら喜んで行ってみたい。だけど、でも。 「先方さんは…ううん、おじいちゃまやおばあちゃまには?」 「なんだ、見合いはしないんだろ?」 「したくないよ!でも、この家を出るなんて…」 「…先方には断った。さっきの電話でな」 「電話って…あっ!」 わたしが気付いたように声を上げると、蔵馬はにやりと口角を上げた。だからさっき、蔵馬はおじいちゃんを押し切って自分が電話するって言ったんだ…!信頼されて、頭の切れる彼のことだから、きっと相手には負の気持ちを与えない断り方をしたはずだ。誰にも見られないところでそんなことをしていたなんて、つくづく計算高いと思う。でも、それもすべてわたしのため。 「あの二人を説得するにはいい薬だろ」 そういった蔵馬の胸に飛び込むと、わたしは大きく頷いた。まさか蔵馬がこんな作戦を考えていたなんて、それほどまでにわたしのことを想っていてくれたなんて、わたしは嬉しさとこれから起こり得るであろう状況に鼓動を抑えることができなかった。蔵馬はわかっているんだろう。この行動を行うことのメリットもデメリットも。そして、失敗したときのリスクもすべて背負って、それでもなお、こんな風にわたしを連れ出したいと願う彼の想いの大きさ。 「オレと行こう、」 具体的にそれがどこかなんてそんなことはどうでもいい。わたしが力強く頷くと、蔵馬は一瞬虚を突かれたような顔をして、それからすぐに微笑んだ。重なるくちびるは始まりの誓い。何を敵にしたって構わない。蔵馬と二人いられる場所へ。永遠を探しに。 2009/05/10 きみと永遠探し |