だれのこえ
(僕はきみを知っている)


遠い昔、誰かが声を上げるとその声音がぴたりと耳に納まって妙だった。一度も耳にしたことはないはずが懐かしさを感じさせ、普段は断末魔を聞いたところで一寸も動じない全身に鳥肌が立ったほどだ。小気味よいそれを辿ろうにも聴こえてくるのは決まって夢の中だけで、俺は俺の意思に反して予め決められたようなそれに苛立ちを覚えるのだけど、それでもその声が聴こえてくるとすべての概念が消え去って、静かに耳に納まるのだ。おかしなこともあるものだと、これから先の何かに備えて柔軟な頭を持ってして対応しようと思う。するとその声音はゆっくりと聴こえなくなって、俺を現実へ追いやろうとする。いくつの策を練ろうにも、概念が消え、欲も本能も消え失せるのだから性質が悪い。状況判断をしようにも、なんの収集もさせずに覚める一方的な白昼夢はなんとも腹立たしいものだ。汗ばむこともせずに神妙な思いで目を覚ますと、いつの間にか俺はどこかの屋敷のただ広い廊下に突っ立っていた。見たこともない景色。目当ての宝があるとでもいうのだろうか。(だとしたら確かに、魔として生きるものならばこれくらい当たり前に起きることかも知れない)

「…夢、か」

体温に似た何かを感じると、遠退きそうなほど昔の思いを夢の中で感じていたことに気付いて、ゆっくりとクリアになっていく視界を実感する。俺は今の今まで現実ではないところで気持ちを思い返し懐かしんでいたようで、その証拠にとなりで寝息を立てるの存在が、俺をずっとここにいたことを示していた。過去や思いに囚われることはあまり柄じゃない。けれどどこか逃げ切れない内容を自分の意思とは無関係の場所で見せられてしまえば、それも仕方のないことだ。

「…ん、…蔵馬?」
「どうした」

目を覚ました俺の気配に気付いたのだろうか、が俺の名を呼び、まだ眠そうなその目をこする。呆れたような視線のままその手を引き剥がすと、 な、に、といまいち状況の掴めていないが寝ぼけ眼で俺を見つめた。わかりやすいほど眠いとき特有な舌足らずな声。か細いその腕を放してやると、はにこりと笑みを浮かべて俺の胸に顔をくっつけた。こいつは何をそんなに喜んでいるんだろう。月明かりが眩しい真夜中のことだった。

「くら、ま…あったかい」
「お前が冷えてるだけだ」

言いながら抱き締めてやると、露出して冷えた部分と密着する。ひんやりしたそれは何故だか心地よくて、細いくせにどこか丸みを帯びたの身体が、俺には程よく納まるのだった。それはまるであの歌声のように静かに、ゆっくりと。相違点があるとするなら、一方的なものではないことくらいか。自嘲しながらの背中を撫でてやる。シルクみたいだ。さっきまであれほど汗ばんでしっとりしていた身体は、すでにさらさらと手を滑らせている。上下を何度も行き来する手にくすぐったいと身を捩じらせると、今度はが俺の尾に手をかけてもてあそんできた。

「もふもふ…ふふ、きもちいい」
「触るな」
「だってきもちんだもん」
「ならもっと気持ちよくしてやるよ」
「ひゃぁっ、エッチだね蔵馬」

安っぽい言葉で俺を称して、まるで餓鬼みたいだ。首筋に触れた指先で、行動が伴うってことを教えてやろうかとも思ったけど、むきになる自分は最も餓鬼だとその手を止める。まだどこか視点の定まっていないの瞳がゆらゆらと俺を見つめている。元々夜目は利く方だから何事だろうとただ黙って見つめ返した。

「蔵馬かっこいい」
「阿呆」

間の抜けた一言に頭が痛くなりそうだった。こいつはいつもそんなことばかり並べて、思えば出逢ったばかりの頃からずっと変わらない気がする。(良いか悪いかは別として)それなのに鵜呑みにしたくなるようなちっぽけな言葉ばかりを俺に投げかけるから不思議だった。甘んじているつもりなどないのに、にだけは永遠にそう想っていてほしいと願う。本来の俺には有り得ないことだと飛影にも呆れられたが、どこか懐かしさと心地よさを求めているのは自分の方だと、といるようになって頭を柔軟にすることばかりが増えた。自身の為にと身に付けたはずの術だったのに、ここ最近を受け止めることだけに長けてしまったように思う。(そしてそれさえ俺の一部になりつつあった)

「蔵馬、眠れないの?」
「…おまえは眠たそうだな」
「うん…でも蔵馬が眠れないとわたしも眠れない」
「愛らしいことも言えるんだな」
「むぅ…いつだって愛らしいですよわたしは!」
「どこが」

ふくれっつらになったの頬を指で押すと、ぶふっと変な声を出した。愛らしいと自負しているらしいのになんて不細工な顔だ。

「夢を見た」

そういった俺の言葉を繰り返すように、夢?と首を傾げる。そういうところは愛らしいのに、と内心悪態をつく。俺の胸にそっと添えるように置いてある指を握ると、ぎゅっと握り返してくる。

「怖い夢みたの?」

まるで自分ごとのように困ったような顔をしてのぞきこんでくる。これくらいじゃ理性は失わなくなったと思っていたけど、まだ危ういな。ふいと視線を逸らしながらあぁとだけ答えると、視界の隅に映るの眉根が、まるで捨てられた子犬のようにたれていていとおしい。そんな顔、もしも他の奴に見られでもしたら、と論点のズレたところで憤りを感じて、自分勝手な想像に呆れるばかりだった。(でも、本当に)

「いいから寝…」
「子守唄を歌ってあげるよ」

そう言いながら俺の手を引くと、は寝転がるように催促する。自分の唇が尖るのがわかったけど、はおかしそうに微笑みながら俺の前髪を上げた。

「わたしも小さいとき、お母さんに歌ってもらったの」

怖い夢をみると、と付け足して。なぜだか、そういったから目が離せなくなって為すがままになる。頭を抱えるように力強く抱きすくめられると、ゆっくりと瞼を瞑る以外はできないほどの安心感が襲う。盗賊の身で、いつ狙われるやも知れない命は死と隣り合わせで。こんな感覚はいつぶりだろうと懐かしむことで精一杯だった。そのうち耳に聴こえてくる歌声が、お世辞にも上手いと言えたわけじゃない。ただ、こいつの心音は耳に納まり、それはまるであの夢の中で聞いた声に似ていた。自然と襲う眠気の中、俺は飛影の、仕方なしに教えるような呆けた言葉を思い出していた。















「愛しいと感じる人間は、その心臓の音にさえ温もりがあるそうだ」