「だからわたしは来世に期待することにしたの!」
 「………へえ」

 昇降口から家までの距離を共に歩きながら蔵馬の家の玄関前でそう説いた。ガチャと音を立てて開いた扉。その後しばらくの沈黙を経て蔵馬が気の抜けた返事をする。

 「あ、バカにしてるでしょ!」
 「が何を信仰しようと構わないけど、それをオレに押し付けられるのはちょっと」
 「ひ、人を新興宗教にハマった人間みたいに…!」
 「だから、何を信仰しても構わないけど、って前置きしてるんです」

 でもうちはキリストも仏教もその他信仰はありませんから。蔵馬がほんの少し横を向いて言い放つ。視線がかち合ったと思う間もなくすぐにそれは逸らされて、わたしはぶうたれながら家の中に入る彼を追った。
 並んで帰る道すがら、わたしは蔵馬に恋愛について一方的に話を持ちかけていた。好きな人がいないことを周りにはバカにされるとか、今まで付き合った経験がないとか。何より許せないのが、恋人や好きな人がいることが当然で、いないことをおかしいとするこの国の風潮。恋愛を常にしてなくちゃいけないみたいに驚かれたり、人の顔を見るたびに「彼氏できた?」と尋ねられることが本当に嫌だった。そんなもの、無理に作らなくていいじゃないか。

 「まぁ、らしいけど」
 「そうでしょ!只今来世に期待する会、会員募集中」
 「…はぁ」
 「はぁって何よ。はぁって。ちなみにも会員です」

 わたしは今の生活に取り立てて不満はない。恋をしてみたい気持ちはあるけど、だからといって血眼になって男の人を見つけようとは思わない。最近では「今の人生は学校や仕事、家族や友達との時間を楽しむ為であって、恋愛は来世にすればいいのかもしれない」と悟りを開きつつある。蔵馬に告げると「ブッタかきみは」と言われたけど、そう思うことで気持ちが晴れ晴れしてしまったんだから仕方がないと思う。
 そうして冒頭の台詞に至ったわけだけど、蔵馬は毎度のことだと思っているのか、はたまた輪廻転生に興味がないのか、さっきからあからさまに肩を落としている。(自分は狐だったくせに!)

 「あれ、真っ暗」

 蔵馬の家はしんとして誰もいないようだった。それでも律儀にただいまと呟く彼に倣って、お邪魔しますと呟いてから脱いだ靴を揃える。幼なじみであるわたしたちがこうして互いの家を行き来することは、17歳になった今でも特段珍しいことじゃない。

 「おばさん、おつかいかな?」
 「みたいだね」

 明かりをつけて廊下からリビングを見渡す。わたしの言葉に、蔵馬がテーブルの上に置かれた一枚のメモを掴んでひらひらと振って見せた。そこには見慣れたおばさんの文字で「夕ごはんの買い物に行ってきます。途中でちゃんのお家に林檎を届けに寄ります。母より」と書いてある。

 「わぁやったー!毎年頂いてるけど、本当に美味しいんだよねあの林檎」

 わたしの一言に蔵馬は特に表情を変えなかった。でもコートを脱ぎながら彼もすごく喜んでくれているのがわかる。蔵馬の喜怒哀楽が細かくわかるのは幼なじみの特権だと思う。でも、お世辞とかじゃなくて蔵馬の親戚の人が毎年送ってくれる林檎は蜜がたっぷりで本当に美味しいのだ。父も母も、もちろんわたしだって楽しみにしている。同時に、この時期になると冬の訪れを感じた。
 上着を脱ぎ蔵馬から手渡されたハンガーにかけなおしてわたしはソファーに身を沈めた。蔵馬の家のソファーはふかふかで心地がいい。わたしの家のソファーは革張りで、見栄えはいいけどいまいち好きになれなかった。

 「何にする?紅茶か緑茶か、あ、あとココアも」
 「ココアで!」

 勢いよく答えると、蔵馬は予めわかっていたかのように微笑んでキッチンに立った。子供っぽいと思われたみたいで恥ずかしい。でも、わたしだってわたしがコーヒーが苦手なことを知っていて蔵馬が選択肢から外してくれていることに気付いてる。口には出さなかったけど、おあいこだと思う。でも飲めない理由が苦いからだなんて、やっぱりわたしはお子さまだと思われているに違いない。ソファーから立ち上がりわたしもキッチンに立った。帰り道同様、蔵馬の隣に並ぶ。

 「どうした?」
 「え?」
 「さっきの話の続き?」

 隣に立ったわたしに気付くと、蔵馬が横目にわたしを見つめる。電気ケトルが数秒でお湯を沸かせてみせた。その横にあるガスコンロではお鍋の中のココア用のミルクが膜を張り始めている。紅茶を淹れる傍ら、蔵馬がマグカップにココアの粉末をすくい足した。

 「…何話してたっけ?」
 「来世に期待するとかなんとか…」
 「あ、ああそうそう!!あ、でも…」
 「でも?」
 「もういいの。蔵馬バカにするんだもん!」

 わたしが拗ねたようにふざけて見せる。蔵馬はふって笑った。それから電気ケトルのお湯を少量マグカップに入れると、そのお湯でココアの粉末をかき混ぜる。蔵馬曰く、ミルクを入れる前にお湯で粉末を溶かすとココアがより一層美味しくなるそうだ。学年で一番モテるといっても過言ではない幼なじみにこんな手間をかけてもらえるわたしは、やっぱり、恋愛は来世でいいと思う。今が幸せだし、これ以上の何かを手に入れたいなんて贅沢だ。
 最後にミルクを注がれたマグカップを手渡される。蔵馬の指とほんの少し触れ合って、わたしはありがとうとお礼を言った。リビングに戻ればいいのに、二人ともキッチンの前で立ち話を始める。

 「わたし、蔵馬が幼なじみだから好きな人ができないのかも」
 「オレ?」
 「うん。だってこんなに完璧な幼なじみを17年間隣で見てきたんだよ?そりゃハードル高くなるよ」

 うん、絶対そうに違いない。言い足して受け取ったココアを一口口に含む。程よい甘み、飲みやすい温かさ。ココアの淹れ方ひとつとってもこんなにパーフェクトな幼なじみ。絶対蔵馬のせいだ。

 「ついには責任転嫁か…」
 「いやそういうんじゃないってば!」

 蔵馬の訝しげな視線に慌てて訂正する。そういう意味じゃないのに。言い返しても蔵馬はティーカップに口をつけてはぐらかすだけだ。ソーサーを置いてキッチンの脇に置かれたダンボールから届いたばかりの林檎を手に取る。彼の髪よりも赤い林檎は大玉で、片手でそれを掴んでしまう蔵馬はもう男の人なんだと思った。シンク下を開けて包丁を取り出すと、蔵馬が球体に沿って皮を剥きはじめる。手首、指の長さ、包丁の持ち方、皮の剥き方まで絵になるなぁ。そんなことを思いながらまた一口ココアを含んだ。

 「答えはほとんど出てるんじゃないか、それ」
 「え?」
 「来世に期待しなくてもいい方法だよ」
 「来世に?」
 「そう」

 林檎の皮をむきながら蔵馬が言った。するすると途中で切れることなく伸びていく赤い皮。わたしはその様子を見つめながらなんだろうと首を傾げる。だってそんなの、来世に期待しなくてもいいならそれに越したことはない。降参の意味を込めて「どうするの?」と尋ねた。蔵馬は林檎から視線も外さずに言った。

 「の言う、その完璧な幼なじみと現世で生きればいい」

 言葉が聴覚から脳に伝わるまでのプロセスをからかわれた様な気分だ。いっそ攻撃的にも感じる。完璧な幼なじみと、現世で。完璧な、幼なじみ。生きる。現世。それって、つまり…。蔵馬の一言を二重、三重と復唱する。通達が意味を知らせるまでにこんなにも時間がかかったのは、おそらく後にも先にもこのときだけだろう。ココアの味はそこで途絶えた。固まったわたしに蔵馬が顔だけをこちらに向ける。


「試してみる?」


 してやったりと言いたそうな目に見つめられた瞬間、彼の手元からぼとりと音を立てて林檎の皮が落ちた。わたしはシンクに落ちた皮を一瞥して思う。長く続いた赤い道がたった今終わりを告げたのだ、と。それはまるで今日までの、そしてこれからのわたしたちのように。







咽かえる林檎