泣かれることが好きだった。

 「蔵馬なんか女狐に鼻でもつままれちゃえ!」

 言い捨てて走り出したの背中を見つめる。呆然よりはもっと冷めた感情で。見下す。そう、見下すのも嫌いじゃない。特にその対象がになるとなおさらだった。オレにそんな台詞を投げたところで、心の一部どころか身一つ傷付かない男であるということをあいつは知っているはずなのに。それでもこうして絡んでくる馬鹿さ加減と純粋さに哀れみと敬意を表して「またか」と呟いた。覆い茂る森の中にの姿が消えた頃、黄泉や黒鵺が口角を上げる。他のメンバーは既に出来上がって寝転げている。焚き火の明かりだけが頼りの夜だった。

 「おもしれえ。欲求不満か?」
 「蔵馬、おまえ犯してこいよ」
 「奇遇だな。オレもそうしようか考えていたところだ」

 真顔のまま返事をしたオレに嬉々とする二人。下衆な会話。でもこいつらにはこのレベルでいい。ぬるい夜風に髪が流れた。火を囲うように座り込むと、「行かなくていいのか?」と黒鵺の視線が刺さった。

 「オレが行かずともそのうち戻ってくる」
 「へえ…ヤる気が失せたなら代わりにオレが行ってやろうか」

 野蛮さも度が過ぎると滑稽だ。身を持って教示してくれる黄泉を一瞥する。ピンと張り詰めた空気に気付き黒鵺が「黄泉」とだけ一喝すると、黄泉は舌打ちをして座り直した。火の粉がパチリと弾ける。黄泉に比べれば、黒鵺はある程度オレの好みをわかっているから助かっている。時間と手間を考えれば、言葉の通じない生き物とは極力二人きりになりたくない。
 皿代わりに敷かれた葉の上から薄い肉をつまんだ。二人も盗んだ酒に手を伸ばす。一瞬止まった時間が再び動き出した。その時だった。


 「うわぁーんっ、助けて蔵馬ー!!」

 森に消えたはずのの声が夜の魔界に木霊する。同時に、飲みかけた酒を黄泉と黒鵺が吐き出した。オレが「気が合うな」と肩を震わせると「…お前の言ったとおりだな」と黒鵺が言った。黄泉と気が合うことへの肯定ではない。を追いかけなくていいと切り捨てたオレの言葉にだ。
 ここまで行動が読めると、の人生はオレが転がしているような快感がある。同じ盗賊の一味として置いてはいるが、生活のほとんどをオレの後ろについて回るだけだ。他の女狐にうつつを抜かせるのならとっくにそうしている。させないのはあいつ自身のはずなのに、そんなことも忘れて己の考えに突っ走れるが羨ましい。もちろん褒め言葉ではないが。
 先程と全く同じ方向からが駆け出して途中で転び、喘ぎにも似た嗚咽を必死で堪えながらまた起き上がる。黄泉は呆れているだろう。黒鵺は唖然としている。オレはそっと立ち上がりに歩み寄った。あぁ、啼かせたい。衝動が消えてなくならない。

 「くら、まっ…は……っうぅ…」
 「なんだ」
 「森のなか、まっくらだよう…」

 あまりの馬鹿さに脳内で言葉を処理することに若干戸惑った。何を言ってるのか。森に限らず辺りは最初から夜だったはずだ。そんなことに今更気付いて…いや、オレにあんな台詞を吐き捨てて自分から走り去ったというのに。たかが暗闇に恐怖を感じ踵を返して戻ってくるなんてつくづく馬鹿なやつだ。どんなに名宝の在り処を知れるとしても、地位が降って湧こうとも、オレならそんな芸当プライドが焼け焦げたってできない。

 「お前がバカ過ぎて頭痛がする…」

 そう告げると、泣きじゃくるが小さな声で「だって蔵馬が…」と言葉を紡いだ。

 「オレがなんだ?」
 「お、追いかけて…ひっく…くれなかったも…」
 「生憎オレは忙しいんだ。女狐に鼻をつままれに行く準備でな」
 「!そ、そんな…うっ、くらまっ、いっちゃいや…!」

 背を向けたオレを引き止めようとの華奢な腕が伸びる。抱き着かれたところをあの二人に見られるわけには当然いかない。非情にかわすとが驚いたように目を見開いた。まずい、喚く。啼かせたいだけであって喚かれるのは御免だ。オレはの腕を引っ張り、すぐそばの茂みに放った。尻餅をつくよりも、あの二人に会話が届かない距離を確保できたことに安堵した。

 「く、らま…?」

 不安そうに見つめる瞳が大きく揺れて涙を溜める。引き寄せて、くいと顎を持ち上げる。口付ける直前で寸止めすると驚いたが肩を竦めるのがわかった。目の前にあるオレの顔に見開いたままの視線。みるみる顔が赤くなって、衝動は大きくなる一方だった。
 あぁ啼かせたい。行くなと云わせたい。

 「じゃあな、
 「だ、だめくらま…っ!おねがいっ行かないで!」

 懇願するの目に溜まる水量が増えた気がした。背中にゾクリと欲望が伝う。掴んだ腕を解き踵を返すと、つんと服を引っ張られた。小さなその手で懸命にオレを引き止めようとは必死だった。滑稽な姿にそそられる。

 「離せ」
 「ゃ…だっ……」

 俯きがちにふるふると首を振る。頬を伝ってはぽたりと落ちて茂みの草と同化していく。涙の後さえ残らないなんて、なんて可哀想なヤツだろう。けれど、それがオレにとって何よりの特効薬だった。惚れ薬よりも心底惚れさせる。
 自分自身がそんな考えの標的になっているとも知らないに次々と言葉をかけてみた。

 「まさか泣いてないよな?」
 「!」

 オレの言葉にびくりと肩を震わせるとは必死に零れてくる涙を服の袖で拭った。

 「泣いて、な…っ」
 「そうか。ならオレは行くぞ」
 「ゃっ、…行っちゃダメっ…!」

 先程よりも強く引っ張るの腕。握れば折れそうなほどか細い。泣いていないと言いながらその表情は涙に濡れて色がある。普段は乳飲み子のような幼さしか見えないはずが、こうも女を兼ね備えているなんて。伏し目がちのその睫毛から垣間見えるのは、馬鹿で愚かなあのが作り出す美しさである事実に、オレもそろそろ限界が近い。

 「泣く奴に構う時間はない」
 「泣か、な…、からぁ……っ…」

 言いながらぽろぽろと涙を流すがいよいよ愛しくて仕方なかった。オレの為に泣き、啼く。こんなにも男として喜びを感じる事はない。もっと、啼いて、啼かせて、オレがいなければどうしようもなくしたい。
 泣きじゃくる声の合間に聞こえる嗚咽が、段々と息苦しそうになっていた。さすがにやり過ぎただろうかと歯止めの利かない行動に少しばかりの理性を働かせる。「」と一つ名前を呼んで、一度強く抱き締めて胸元に顔を埋めさせる。苦しそうに小さく声をあげながらはホッとしたようにオレの腰に腕を回した。

 「くら…ま…っ、どこにも、行かな、で……」

 本当は、が泣けば行かないつもりだった。というより行き先などなかったのだ、初めから。女となんてしばらく寝ていない。こんな餓鬼がいればついてくる女もいないだろう。考えればわかりそうなものを馬鹿で愚かで愛しいには言葉にしないと伝わらない。面倒くさい。でもオレはその手間だけは嫌ではない。

 「自分から言い出したくせに、馬鹿だな」
 「……ごめ、な…っさい…」

 今まで啼かせていたのはオレだが…そう自問しながら特権だから仕方がないと自答した。こんな身勝手な男に振り回されて涙を流すのは魔界中探してもきっとしかいないだろう。
 他人の一喜一憂を握り締めながら、今夜もオレは背徳に口角を上げた。







昏い森の微熱