3 : 太陽の瞳に初夏は焦がされ(蔵馬) わたしたち家族にはお友達や親戚のみんながいてくれたから、今日まで不自由なく暮らしてこれたも同然なのよ。そう言ってママはキッチンに立って晩ごはんの準備をしている。その様子を横目にテレビを見ながら、手伝いもせず耳だけ傾けていた。ふーん、と。素っ気ない返事だったけど、これがわたしの聴き方であることは百も承知だから、ママは何も言わない。ママはいつもにこにこしていて裏表がない。たまに毒は吐くけれど、それは誰に対しても向けられるから、誰も嫌な思いはしない。それどころか、その物怖じしない性格が愛されやすさの一つでもあるのか、たまに携帯片手に微笑んでいるかと思えば、その電話先の相手が某有名企業の社長だったり会長だったりと、昔からお世話になっている人たちが今や一会社を担う人物ばかりで驚くことがある。 欲の無さはお釈迦様と張るのかも。 「ただいま」 「あ、パパだ!」 「おかえりなさーい」 けれど、そんな風に人を信じやすいママが傷付いてはいけないようにと、きっとそんな調子で出逢うべくして出逢ったのがパパだと思う。頭もいい。回転も早い。賢くて、狡さを際立たせない方法を熟知している。おまけに器量もセンスもいい。ママのママ、わたしのおばあちゃんが初めてパパに挨拶されたとき、どこぞの芸能人かと思ったほどだ。 そんなパパはママと比べるととても人間らしい。必要ならば敵も作るし、それに打ち勝てる勝算を常に抱いている。人間らしいというのはあくまで太陽から生まれたような純真なママと比較したときであって、パパ一人を見たときにそれは通用しないけれど。人を疑うことが多い中でママに出逢ったのだから、ママはきっと、パパにとって本当に大きな存在だったに違いない。ママの存在でパパのことを、パパの存在でママのことをとてもよく知れる。 「いい匂いだな。ビーフシチュー?」 「すごーい!パパ大正解です!」 「惚気はいいから早くごはんにしよー」 玄関で出迎えたわたしの一言に、パパから通勤カバンと上着を預かったママが「まったく、なんにもお手伝いしないで文句だけ言って!」と頬を膨らませた。あぁ、あぁ。ママってほんと年甲斐も無くよくそんな顔ができるよなぁ。自分の感情に素直というか、でもそれが似合ってしまう。母親だから呆れてしまうけど、きっと友達のママとかだったら可愛い!なんて思うのかもしれない。事実わたしの友達はみんなママを可愛いとか若いとベタ褒める。自分の親に可愛いとかそういう感情はわからないけど、はたから見ればそうなのかも知れない。 わたしはパパの血を色濃く受け継いだから、余計に。 「、ほら手伝って」 「…はーい」 一旦預かった荷物を部屋に置いたママ、わたし、ママとわたしのやりとりにくつくつと笑うパパの順に廊下からリビングへと戻る。その瞬間、随分前にママが、パパはが生まれてから変わった、と嬉しそうに話してくれたのを思い出した。元々自分には優しい人だったけれど、第三者に無関心だったから子供が出来てこんな風に笑顔の増える人だとは思わなかったとか、家族を持ってからパパにとって仕事をする意味が大きく変わったとか。それはそれは、とても、惚れ惚れするように。 「ねえパパ」 キッチンに小走りでかけていくママを見つめながら、わたしの後ろを歩くパパへと振り返る。パパは不思議そうにわたしを見つめてから「どうした」と微笑んだ。この笑顔も、ママがパパに与えた。わたしが生まれて変わった。 「ママって、パパにベタ惚れだね」 「あぁ、そんなこと」 否定してしてほしいわけじゃないけど、こうもしれっと認められてしまう親を持つとこっちが恥ずかしくなる。でもママじゃないから、パパはわたしの心なんてお見通しとでも言うように楽しそうだ。ちなみにパパの「楽しそう」は「性格が悪い」とも言う。 「にはそう見えるかも知れないけど」 「どういうこと?」 「いずれわかるさ」 いずれわかる?わたしが首を傾げると、パパはなおさら笑顔を深くした。 「質問を変えるね。パパはママとわたし、どっちがすき?」 「」 即答で、しかもママの名前を声に出す。紡ぐ唇は当然とでも言うように。別にここで「」と言わせたかったわけじゃない。パパもそんなことはわかってる。でも、パパの中のママがそれほどまでに大きいことを改めて知って驚いている。一般論、血の繋がっている子供の方が、形式上で繋がっている相手よりも愛しそうなものだけど。パパは違うんだ。 わたしが目を見開いていると、パパはすっと一息吐いてから言葉を続ける。 「はどう足掻いても、それこそ縁を切りたくなってもオレの子供だが、は…ママは他人だから。は薄情なくらいこれから誰かに愛されて生きていくけど、ママにはオレしかいない。だから、」 。そう迷いなく言われてしまっては、言葉もない。拳銃で応戦するはずが相手が戦闘機だったなら、こちらは両手を挙げて降伏するしかないだろう。キッチンからはルンルンと嬉しそうな鼻歌とお皿を取り出す音が響く。ビーフシチューのいい香りが広がっていく。 「一生守るのは二人…かな」 もう何を言われても跡付けくさいのに、それをわからないパパではないはずなのに、パパはわたしの反応を狙ったようにウインクしてみせた。こうなると、わたしは脱力して訝しげにパパを見つめる。いつだって自分のペースに誘い込もうとするパパ。ずるい。 「即答でごめんね?」 「あーハイハイ」 両親の惚気にはほとほと呆れる。でも理解できないでもないのは、きっとパパの血を色濃く引き継いでいるから。何も知らないママの「二人とも早くー」という声が、今夜も我が家に陽をかざす。 終 (2010/10/14) |