固定された手が、熱い。


 「なぜ見逃すかだと?」
 「…蔵馬がやろうと思えばわたしくらい無理にでも抱けた筈でしょ?」

 蔵馬は一瞬だけ目を見開いたけど直ぐにまた、先程までの色に戻った。わたしはそれを見逃さなかった。
 馬乗りにされ、見上げた先にある蔵馬の顔をわたしはじっと見つめた。蔵馬はわたしを見つめ返しただけで何も言わない。だからわたしも何も言わず、ただただ、彼を見上げていた。

 彼の沈黙を破る言葉の中に、自分が欲しくて欲しくて堪らないあの一言があるのを願って。


 蔵馬はふいにわたしの上から退くとそのまま背を向けてソファに座り、ふぅ、と息を吐き出した。わたしもそれに倣って起きあがり蔵馬の横に腰掛けた。長い、蔵馬の銀色の前髪がわたしが動いた時に起こった風で少しだけ揺れた。蔵馬はわたしの方をチラ、と見やると言葉を紡ぎ出した。

 「のくせに随分と核心を突く一言だな」
 「…」
 「酷く愚かな理由であまり口を割りたくはないんだが」
 「…?」

 酷く愚かって、何が?全く想像も付かない。疑問符を浮かべた表情で蔵馬の次の言葉を待った。蔵馬は十分に間を取ってから再び口を開く。

 「に毎回抵抗されるのが腹立たしいし、無理矢理抱いてしまおうと思ってた。はじめはな」

 蔵馬はわたしを見て続ける。


 「しかし、そうすればがもう2度と手に入らないような気がした」
 「……は?」
 「何度でも無理矢理に抱く事は出来る。体だけなら幾らでも手に入る。が、オレが欲しいのはの器じゃない」

 この時に見せた蔵馬の優しい顔は、多分、ずっと忘れない。



 「オレが欲しいのはの全てだ」


 無理矢理抱かれれば確かにわたしは蔵馬と距離を置くだろう。自分の気持ちがわからない。それなのに、行動だけが進むなんて関係は酷く悲しい。けれど、そこまで蔵馬が考えていたなんて思いもよならい事だ。こんな風に言われるまで気付かなかった自分がバカだ、と思った。蔵馬がわたしを隣りに居させてくれる理由は性欲に駆られてじゃない事くらい分かっていた筈なのに。
 隣りに居させてくれる事で蔵馬の気持ちは絶対的に、わたしという一個人の小さな人間に向けられていたのに。全てが欲しいだなんて好きだと言われるよりも更に最高の告白じゃないか。

 赤面する程恥ずかしい言葉にわたしは思わず俯いて掌を握りしめた。さらりと言葉を述べた蔵馬は堂々と背筋を伸ばしてわたしを見つめ続ける。

 「顔が赤いが」
 「…や、なんか…」
 「…で?」
 「…え?」
 「なぜは無駄な抵抗を繰り返していたんだ?」
 「えっ。や、あの、わたしも理由言わなきゃいけないの?」
 「オレが口を割ってやったのに、は言わないと。そうあれる立場だと?」

 意地の悪い笑顔に戻っていた蔵馬はわたしの顔をのぞき込み、耳元でそう囁く。あぁ、いつもの蔵馬のペースだ、なんて思いながらも言う覚悟が出来ない。こだわってた一言を言って貰いたいが為に抵抗してたなんて、自分でも呆れてしまうのに。蔵馬の最高の告白に対して、酷く愚かなのはわたしなのだから余計に言い難い。言ったところできっと馬鹿にされるのは目に見えている。

 「言わないつもりか」
 「っ、え、っと…」


 覚悟を決めろ!



 蔵馬がわたしを思ってくれているという自信は持てたのだから。



 「…好きだって、言って欲しかっただけ、なんだ」



 自分が好きだと言うよりもずっと恥ずかしいその言葉に蔵馬は小さく笑った。きっと次の言葉は馬鹿じゃないの?とからしくてくだらない、とかに決まってる。
 だけど、蔵馬は。


 「そんなことか」
 「え…?」


 「好きだよ」


 あっさりと蔵馬はそう言った。わたしはそれに目を丸くして彼を見る。赤くなった顔が更に紅潮するのが分かった。

 「え!?なっ…!?そんな軽く言って良いの!?どうしたの蔵馬!」
 「お前に対する感情はそれにしか行き着かないと思ったんだが、不服か」
 「や、嬉しい、けど、そんな簡単に…」
 「欲しがったくせに」
 「……うん」

 わたしが想像していたよりも遙かに簡単にもらえたその言葉に意表を突かれ、動揺した。蔵馬は口に出さないだけだったんだ。意地張ってた自分がやっぱり馬鹿だ、と思った。
 普通の、彼氏彼女となんら変わりなく、わたしと蔵馬は隣り合っているのだから。言葉ひとつで不安になったり、嬉しくなったり、だけどお互い思う事は、行き着く先は、同じなのだから。
 欲しくて仕方なくて、ようやく貰えた言葉は何よりも深く、わたしの心の奥までを満たした。

 「で?」
 「え?」
 「が抵抗する理由はもうないよな?」
 「…はい?」

 再びソファに押し倒され、蔵馬は軽くキスをした。そしてその意地の悪い笑みのまま、上着を床に放る。


 「今度はオレの番」








(世界で一番やさしい日   2009/05/14)