コエンマさんはわたしよりも先にいた。
後ろ姿だけでわかる。背中と首がコエンマさんはいつもまっすぐだ。雑貨屋さんの前で、ショーウィンドウの中を覗き込んでいる。わたしが声をかける前に、ショーウィンドウの硝子の中で目があった。
「おお、」
「こんにちは、コエンマさん」
コエンマさんが振り返る。今日は珍しくおしゃぶりを外していた。太陽の光がコエンマさんの髪を透かしている。眩しい。
「悪いな。わざわざ休みに出てこさせて」
「いえ…ええと、わたしで大丈夫な用事なんですか」
「なぜだ?」
「いや、だって…」
コエンマさんは首を少し傾けて、不思議そうな顔をする。風が吹いて、コエンマさんの着ているシャツの裾がめくれた。きちんと腰の位置ではいている清潔なジーンズだった。初めてみる姿なのに違和感がない。
10月になったばかりで昼間は涼しい。
「買い物に付き合ってほしい」とコエンマさんから言われたのは一週間前のことだった。コエンマさんとは普段浦飯くんを通じてしか接点がない。だけど、あの夏祭りをキッカケに一気に距離が縮まった気がする。今日のことも、コエンマさんに声をかけてもらえたのが嬉しくて、瞬殺で了承した。「日程も聞かんうちに承諾していいのか」とコエンマさんは笑っていた。
わたしのこの想いは、彼に初めて会ったときからずっと続いている。 恋をして初めて生きている世界がこんなにも輝かしいことを知って以来、どんなことも頑張れた。もっと言えば、それすらコエンマさんに認めてもらいたいだけの動機だった。
コエンマさんは、わたしたちの住む世界とは別の、霊界というところから浦飯くんと常に連絡を取り合っていて、必要があればこちらにも顔を見せてくれる。初めてそんな話を聞いたときは驚きよりも好奇心が勝って、そういう世界に足を踏み込んでいる浦飯くんもコエンマさんも、わたしにしてみればとても羨ましい存在だった。初めて会ったとき一目惚れをして、二度目には面と向かって「結婚してください!」とまで言ったわたしの気持ちを汲んでくれた浦飯くんが色々と協力してくれたおかげで、今こうして二人で話せるほどになっている。
コエンマさんを見つめることがずっとわたしの恋の活動内容だった。
そんな不純な努力実って、絶対に発展は望めないだろうこの恋に、少しずつ可能性が見えてきたのはまさに奇跡だった。元々可能性があるとしても小さすぎて、顕微鏡を使わないと見えないくらいだと思っていたほどだ。それなのに。
「いやあの、わたし、霊界のこととか詳しくないので…」
「霊界の用事ではない。私用だな…プレゼント選びだ」
「シヨウ?仕様書とかの『仕様』?」
「いや、ワタクシの方の『私用』。ワシ一人じゃ選びきれんからな」
驚いた。コエンマさんの個人的な用事だったことと、コエンマさんでも自分1人で選べないことあるということの両方だ。持っていたバックの持ち手を握りしめる。新しいコエンマさん情報をゲット。これは嬉しい。
「滅多なものを贈れんのだ」
言いながら、コエンマさんはくつくつと笑っている。何かを思い出したらしい。
「お前にはな」
少し眉を下げた笑顔になる。困った顔なのに、すごく嬉しそうだ。
それがわたしへの何かだと理解するより早く頬が色づいた。プレゼント。コエンマさんが…わたしに?脳が強めのストレートパンチを食らったかのように思考が上手く働かなくなった。真っ白、だ。
恋は花の咲く木に似ているなんて言葉を思い出して、わたしの場合、咲く前にもりもりと散り始めて…とは、いつも思っていた。でも今、満開に花開いてもおかしくはないだろう。
「よし、行くとするか」
コエンマさんが歩きだす。恥ずかしくて隣に並べない。少し後ろを歩いていたら、コエンマさんが足をとめた。
「…あ、」
上半身だけ振り返って、コエンマさんがわたしを見る。ズボンのポケットに片手を入れたままコエンマさんは言った。
「疲れたら言うんだぞ。甘味でも馳走させてくれ」
「あ、いえ、そんな…ちゃんとお金、わたし持って来てます」
「付き合わせといて割り勘か。有り得ん話だな」
コエンマさんはそういうけれど、あくまで、用事に同行させてもらってるだけ、ということが引け目に思えて頷けなかった。あまつさえわたしへのプレゼントだと彼は言った。プライドなのかもしれない。
「おごられておけ。な?」
コエンマさんの目はまっすぐだ。なんでこんなに違うんだろう。
わたしのプライドなんて、テストの答案の裏に書いた落書きと同じだ。
「…すみません。気を遣っていただいて」
頭を下げると、コエンマさんは軽く首を横に振った。気は遣ってない、という意味みたいだ。それがすごく嬉しかった。
コエンマさんが、外見が美しいだけの横柄な人だったらよかった。鑑賞用の人だと諦めることができたのに、と思う。でもこれじゃあますます好きになって、いつかは…爆発してしまいそうで怖い。
コエンマさんが歩き出す。大通りの信号の前で立ち止まった時、コエンマさんを横目でそっと見上げてみた。全ての景色が背景になって、聴こえる音まで遠くなる。
コエンマさんのどこがわたしは一番好きだろう。何が美しいんだろう。目かな。縦にも大きいけれど、横への長さがもっとだ。眉尻へ向かって斜め上に切れていく。鋭いのに冷たい印象がないのを、いつも不思議に思う。冷たくないのに強さはある。心が容姿にあらわれてるんだ。いや、容姿が心と別の形をしていない。
わたしはいつも、この目に見つめられると弱い。
「遠慮せず疲れたらすぐ言うんだぞ、。今日は一段と人も多いし…」
「…はぁ。ありがとうございます…」
溜息ではない。ただ魂が抜けただけの返事になった。
うっとりしてしまって自分と彼の美しさの違いに、言い直す気力が持てないかった。しかしさすがに失礼すぎる。怒らせてしまったかもしれない…。申し訳ないと思った分だけ、謝る言葉も出てこなかった。髪を耳にかけなおすふりをして、わたしは下を向く。
「何をいきなり落ち込んでおる」
優しい声に顔をあげてしまう。
コエンマさんは少し呆れたような顔でわたしを見ていた。いつものコエンマさんだった。
「悩み事か?」
「いや…はい」
「落ち込む前に、ちょっと言ってみろ」
相談くらいはタダだろう。コエンマさんは軽い口調で言ってくれた。
本当に優しい。余裕の深さがわたしなんかと桁違いだ。コエンマさんに心配をかけないよう、この時間を過ごそうと思う。
「…すいません。落ち込んでないです、いや…ちょっと、出かける前に」
「あぁ」
「えっと…寝癖直してくるのを…少し忘れたなあって、思い出して」
「お、そういえば。、髪がはねてるぞ」
「嘘!」
「うそ」
信号は青になっていた。コエンマさんは安心したように笑ってくれる。わたしは寝癖もちゃんと直していた。
「……よかった」
「ほれ、信号が変わる前に走るぞ」
駆け足になる。
コエンマさんの心が目に見えるものだったら、きっと光だけを正確な角度で反射させる、割れない強い硝子だろう。
わたしにそんな自分自身を追わせてくれるようと、彼はいつもやさしい。どうして?と思わせる前に、いつも納得させてくれる答えを手に持っていた。
不意に伸びた彼の手が、ここにわたしのそれを重ねろと音も出さずに告げていた。わたしは再び頬を染めて自分の右手を彼の左手に重ねる。
「お前にはそういう顔の方が似合うな」
恥じらいもなく言ってみせた。握り締めた二人の手。涼しい風が通り過ぎていく。
終
(再執筆 2016/2/5)
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