貴方はいつも自分を省みない人だから、とても心配です。そう感じるほどまだ彼を知らなかった頃、大通り沿いにある喫茶店の窓ガラスに浦飯くんとその人の姿を見かけた。わたしが手を振るなり大きく手招きをする浦飯くんに従って、帰宅途中の制服のまま喫茶店のドアを開けた。


「いらっしゃいませ。何名様でございますか?」
「あ、っと、連れがいて…」
「お連れ様でございますね。ではお水とおしぼりをお持ちします」
「お願いします」


カランコロンとわりと低めの鈴が鳴る。迎えてくれた店員さんのずっと後ろの方で浦飯くんが手を振っていた。話しかけられた店員さんにお辞儀をしながらその席へと向かうと、浦飯くんの前には久しぶりに会うコエンマさんの姿があった。


「こんにちは」
「おぉ、久しぶりじゃな」
「ちょうど良かったぜ!オレ今から用事があってよ、後は頼んだ」
「え、ちょ、…!もう行っちゃうの?」
「詳しいことはそいつに聞いてくれ。じゃあな!」
「ちょっとー!」


慌ただしくお店を出て行く浦飯くんの背中に声をかけたけど届いていたのだろうか。入れ替わるようにして席に着くわたしにコエンマさんが本当に忙しないヤツだと呆れたように呟く。同感です、と心の中で賛同の声を上げながら微笑むと、改まってコエンマさんがわたしを見つめた。


「久しぶりじゃな
「はい!お久しぶりです。お元気にしてましたか?」
「あぁ。寝込めれば楽なんだがな。相変わらずピンピンしとる」
「あはは!元気が一番ですよ!わたしにはそれしかないんですけど」
「何よりだ。それよりも、よかったら何か頼め」
「い、いいんですか?!」
「もちろんだ。ツケは幽助だがな」
「やったー!!嬉しいです!ありがとうございます!」
「沢山食え。お前は少し痩せてるからな」


もう少し太っても罰は当たらん。そういってコエンマさんはテーブルの端に立て掛けられているメニューを無駄のない動きでわたしに手渡してくれる。浦飯くんのツケだなんて冗談に聞こえない冗談にくすくすとわらいながら、ありがとうと呟いてメニューを受け取るその瞬間、彼の手と自分の手が触れた。コエンマさんは何事もなかったように窓の外を見つめていて、わたし一人顔が赤くなってないかと心配していて馬鹿みたいだと思う。渡されたメニューで顔を隠しながら懸命に触れた指先のことを考えないようにしていたら、さっきわたしに話しかけてきた店員さんがちょうどお水とおしぼりを持ってきてくれたところだった。


「お決まりですか?」
「はい、あの…紅茶とチーズケーキを」
「かしこまりました。紅茶はアイスかホットがございますが」
「ホットで」
「ホットですね。ミルクやレモンはお付けいたしますか?」
「じゃあミルクをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」


黒髪のショートボブのお姉さんは静かに目を伏せてカウンターの奥へと消える。わたしと店員さんのやりとりを黙って聞いていたコエンマさんの視線を一身に浴びて思わず背筋が伸びた。久しぶりに会うコエンマさんは少しだけ休息を求めるようなそんな顔つきだ。眉目美麗の整った顔立ちに見惚れてしまって、その視線に気付いたコエンマさんが困ったようにわらった。


「あまり見つめるな」
「す、すみません…久しぶりだなぁって、つい」


言いながらお水の入ったグラスに口を付けると、汗をかいていたグラスの水滴がテーブルの上で水たまりを作っていた。コエンマさんと会うのはこれが4度目で、前に会ったといっても前回は浦飯くんの持つ不思議なコンパクトのような手鏡で会話をしたくらいだ。足を組み、片手をポケットに入れたままコーヒーカップに口を付けるコエンマさんは、わたしがいつも会えないときに考える想像上の彼の100倍はかっこいい。絵になる彼がわたしに笑いかけると、ちょうど店員さんに運ばれて、注文した紅茶とチーズケーキがテーブルに並べられた。


「わぁ…!おいしそう!」
「ゆっくり食べるといい」
「はい!いただきます!………んー!美味しい!」
「よかったな」
「はい!…あ、コエンマさんも一口食べますか?!」
「いや、ワシは遠慮しておく」
「そ、そうですか…。おいしいのに…」


しゅんとしたわたしにコエンマさんが飲みかけのコーヒーを噴出しそうになる。わたしはそんなに笑わなくてもいいのにー!と悲鳴にも似た恥ずかしさでいっぱいの声を上げると、眉根を寄せながら悪かったと彼が呟いた。


の姿を見れるだけで腹いっぱいだよ」


そっと伏せた瞼から伸びる睫毛が影を作る。ポケットにしまっていたもう片方の手がソーサーを持って、カップを置く瞬間小さくかしゃんと音を鳴らした。憧れて大好きで止まない人にそんなことを言われて、赤くなるなと言う方が無理だろう。わたしはありがとうございますとフォークを咥えるようにして俯くと、コエンマさんの顔が見れなかった。しれっとこういうことを言ってのける彼も大すきだ。


「―で、。最近はどうだ。いいやつは見つかったのか」
「い!?いいやつ、ですか?そ、そうですね…見つかればいいんですけどなかなか…」
「そうか」


あれは忘れもしない2度目の出会い。彼に初めて会ったとき、一目惚れもいいところで浦飯くんにからかわれた。次に会ったらどさくさに紛れて告白でもしちまえよ、と冗談交じりに言った彼の言葉を鵜呑みにして、わたしは2度目にしてコエンマさんに面と向かってお嫁さんにしてください!と言ったことがある。当然ながら浦飯くんは呆気に取られていて、わたしはそのとき完全にタイミングを間違えたこと気付いた。はずだった。


『お前に行く当てがなくなったらいつでも来い』


コエンマさんがそう言わなければ。嘘でした、冗談でしたでごまかすつもりだったのに。以来浦飯くんにも気を使われるほどだ。…思い出すだけで恥ずかしい。それなのに、何度もあのときを繰り返し考えてしまうのはどうしてだろう。温かい湯気の出る紅茶を口につけながら、コエンマさんほど素敵な人に早々出会えるわけがないのにと思う。肘をついて手の上に頬を乗せるコエンマさんが嬉しそうにわらったことに気付くはずもなく、わたしは再びフォークを手に取り食べやすいサイズにケーキを切った。今はまだ、この関係でもいい。ほのかなチーズの甘みが口の中で蕩けそうだ。







とろけるチーズ 2009/03/29