「昨日さ、ようやくわかったんだよね」
「何が」
「刃霧くんに似てる人」

いや、刃霧くんが似てるのか?首を傾げながらが鞄を置いた。この話は朝の挨拶よりも大切なんだろうかと考えたが、は大抵こんな調子なので敢えて触れないでおく。一年の時からクラスメートのよしみで割と話すほうだったけど、二年になって席が隣になってからは今まで以上に話すようになった。これまでに知ったオレの中のといえば、いつも何かに懸命だ。それがたとえ他人から見てくだらないと感じることでも、自身は気にならない様子で向き合っている。人見知りなのかと思っていた最初の頃が懐かしいくらい、誰とでも気兼ねなく話せるのも長所だろう。意外に抜けてて、でも本人は至って真面目だったりする。飾るでもなく、見栄を張るでもない。そういうところが他の女子とは違って気に入っている。そんなが、昨日オレに似てる何かを見つけたらしい。純粋に他人から見られる自分というものが気になったので、これまた純粋にに尋ねた。


「誰に似てる?」
「あのね、昨日スラムダンク読み返してたの」
「あぁ…また唐突だな」


二年目の発見。でも少年漫画なんか読むのか。突然名作のタイトルを言われて内心驚いた。でも興奮冷めやらぬというより、見つけて納得し終えて、今は落ち着いているといった風だ。構うことなくが言葉を続ける。


「で、気付いたの!流川!似てない!?流川って言われない!?」
「………」
「あ、刃霧くんスラダン読んだことある!?」


何がそんなに嬉しいのか。気付いた瞬間を再現しているかのような笑顔でオレを見つめる。少しずつ熱を思い出して、頭の中はきっと読み直したスラムダンクでいっぱいなんだ。男からも女からも言われたことは勿論無い。が初めてだ。オレはその人物における、この場に最も適切な台詞で応戦する。


「…どあほう」


呆れたような視線も忘れない。するとがわかりやすく目を輝かせて、それからすぐにきゃっきゃと笑い始めた。「やっぱり似てるー!やばいー!」なんて言ってのける。そんなに盛り上がられると結構気まずい。別に肯定の意味で言ったわけじゃない。オレはあんなどこぞのバスケ部エースではない。ただ、あの不朽の名作を未読の男なんか、子供でもない限り極稀だろう。オレだって全巻持ってるし、根強いファンじゃなくとも台詞くらい幾つか覚えてる。でも、流川を思い出してみても黒髪と非社交的な所くらいしか共通点はないように思う。運動は嫌いじゃないが生憎オレは帰宅部だし、上背も筋肉も流川ほどないだろう。ほとんどの高校生ならそんなものだ。


「似てない」
「えー、似てるよ!流川だよ刃霧くんは」
「たとえばどこだよ」
「例えば?うーんとね」


人差し指を顎に当てて、は言葉を紡いでいく。


「まず、誰かに何かを言われなくても努力するとこでしょー。それから見てないようで見ててくれるところに、あ!あと他人の意見に流されないとこ!女の子にモテるところもそっくりだし、でもあんまり気に留めてないよね?秘めた闘志があるのも似てる。綺麗なんだけど性格は男らしいとこも!外見も似てるけど中身がもっと似てる!」


恥ずかしげも無くニンマリと答えた。新体操の百点満点の着地みたいな爽快感。今日の一時間目は体育だ。は大きめの手提げ袋からジャージを取り出して堂々と着替え始める。堂々といっても、決して油断や隙があるわけじゃない。制服からジャージに着替える時の、女子のこの華麗な早着替えはどういう仕組みなんだろう。流川ならそんなこと考えもしないだろうが、オレは流川じゃない。それなのに。の中のオレがとんでもないことになってやいないだろうか。同じ空間で女子に着替えられることより、目の前で音になって出された言葉の方が何倍もパンチ力がある。笑っているけど、はすごいことを言った気がする。オレは反応に困ってしまう。


「んなこと言って、授業中寝てても起こすなよ」
「え?」
「”何人たりとも、オレの眠りを妨げるヤツは…”」


精一杯の平静さを装いながら、再びあの男の台詞を引用する。それでもは懲りずに大きく笑って一瞬だけ着替える手を休めた。相当ツボに入っているようだ。クラスの何人かが振り返ったが、気にせずにオレは体育館用の室内履きを手に、は何も持たずに互いに教室を出た。偶然にも次の体育は男子はバスケだ。運動は嫌いじゃないが、流川ほど…って、さっきから意識し過ぎじゃないか、オレ。でもそれくらいからの言葉はオレにとって影響力がある。あくまでこれは完全な私情だ。


「わたしもああやって頼られる存在になりたかったなー」


全部を自分のことのように解釈してしまう都合のいいこの耳が恨めしい。隣を歩くは、これでもかと流川談義に忙しかった。何巻のあの場面が好きだとか、高校でファンクラブがあるなんてとか、やっぱり最後のハイタッチのために読み返すんだとか。楽しげに話すたび、ツインテールが揺れる。廊下には何人もの生徒が各々に語り合って、朝の特別な時間を過ごしていた。上手く交わしながら階段に差し掛かったとき、ふと、気になったことを尋ねた。


「ああいうやつがすきなの?」
「ああいう?」
「流川みたいな」
「…すきって言ったらどうする?」


右に行けば体育館、左に行けば昇降口というところでからまさかの質問返しを喰らう。これだから質問を質問で返されるのは嫌いなんだ。最終的な運命を委ねられるのが自分になるから。別に落語家や政治家じゃないわけだ、上手い返しなんて必要ない。でも、できればあの31巻分の教科書から、目の前の彼女を引き込ませるような答えが欲しい。ぐるぐると思い返してみる。でも人間、ここぞというときに気の利いた台詞なんか出ないものだ。


「とりあえず、今日のバスケ頑張る」


精一杯の返しがそんなだなんて頭が痛い。でもその答えには目を見開いて立ち止まっていた。オレは振り返らずに体育館へ向かう。疑問はまだまだ山のようにあったけど、及第点。そういうことにしておこう。






2012/05/26