はじめは、いつも6人で仲がいいなぁって思っていた。友達の話によると彼は生徒会メンバーなんだそうで、言われてみれば確かに朝礼でも前方壁側に並んでいるのをよく見かける。オレンジ色の髪はとてもよく目立つので、後ろのほうからでも彼を見つけるのは容易かった。会長でもなければ副会長でも書記でもない。そういった役名はないけど、それでも彼が生徒会役員の一人であることに違いはなくて、高校3年で同じクラスになってから初めて間近で彼の声を聞いた。瞬間、わたしは彼に恋をしていたことに気付いたのだ。 「ねえねえ知ってる!?」 「中庭で坂池たちが暴れてんの!!」 「山村くんが標的にされてるらしいよ」 「ねね、見に行こうよみんなで!」 「超ウケんだけど!おもしろそー!」 各クラスでそんな会話が交わされていることを知るはずもなく、わたしは話題の現場にたまたま通りかかったところだった。午後の授業で使う教材を思わず落としそうになったのは昼休み。1階の渡り廊下のすぐ隣にある中庭で、男の子たちが何かを囲むようにして笑い声を上げていた。長い廊下を少しだけ歩いて角度を変えてみると、数人の男の子たちの間から校舎に寄りかかるようにして一人の男の子の姿が見えた。呻くような声が聞こえる。すでにギャラリーは揃っていて、2階の廊下や教室、わたしの横やすぐ後ろも野次馬でいっぱいだった。 「よぉ、山村ァ、おまえオレの財布から金盗んだだろ」 「山村くん?坂池くんめっちゃ怒ってんよ?早いとこ自供しろって」 「そーそー!でなきゃボコボコにされちゃうよ〜?」 「ぬ、盗んでない!きみの財布なんか僕は知らない!」 「嘘つくんじゃねえよ山村くぅーん?目撃証言もあるんだよーん?」 「ギャハハハ!オレらも見たし。なぁ?」 「見た見た!マジあれ坂池の財布から5万は盗んでたんじゃん?」 「いい加減にしてくれ!!僕は盗んでなんかなっ……ぐぅっ…げほっ」 「言い訳すんじゃねえ」 「オイオイ汚ねえな、唾吐くんじゃねえよゲス村がよぉ」 アハハハハ!と聞くに堪えない罵声と笑い声に、わたしは唖然とした。天気相応に良かったはずの気分は一変。今日は食堂で陣くんやみんなに会えて幸せいっぱいだったはずなのに、なんて幼稚な男の集まりに遭遇してしまったんだ。いや、それよりも今は先生か、誰か助けを呼ぶのが先決だ。ここぞとばかりに男子生徒は見て見ぬ不利を決め込んで、まるで頼れそうにない。女の子たちは悪気がないにしろ、写メを撮ったりくすくす笑い合ったりしている。それじゃあ坂池に加担してる側と大して変わらない。 …わたしは、自分と限界ギリギリのところで戦っていた。誰かを呼ぶより、わたしが声をかけた方がいいんじゃないだろうか。恐怖はあるけど、放っておくなんて到底できそうにない。でも、いつだったか陣くんや死々若丸くんたちに言われた猪突猛進な自分を省みない性格をどうにかしろって言われたことがあった。それは決してけなされたわけじゃなくて、自分を思えっていう意味での言葉だったと思う。もしも今、わたしがここで彼らに立ち向かっても、事が広がり誰かに迷惑をかけるだけだろうか。あぁ、もう、でも、だって。 「山村くん、盗んだ5万返してちょーだい♪」 「げほっ、ぐ…っ、ぼ、ぼくじゃ、な…ぅえ…っ」 「盗んだか盗んでないかなんてどうでもいいんだよ」 「5万よこせっつってんの、最初から。かつあげよコレ」 だめだ。我慢の限界。わたしは次の授業で使う世界史の世界地図をとなりにいた見知らぬ生徒に「ちょっと持ってて下さい」と言って手渡した。多分一つしたの男の子(上履きの色で学年が判別できる)は、「え!?あ、はぁ…」と間の抜けた声を上げている。野次馬根性はあるくせにわたしのとなりで助けにも行かない彼にさえ腹が立って、わたしの頭の中には陣くんや死々若丸くんからの言葉はすっかり消え失せていた。…ううん、本当は消え失せていたわけじゃない。でも、ここにいるみんなと一緒になりたくなくて、許せないことを許せないと言える自分でいたいと思っていた。 山村くんのことは1年のとき同じクラスになったくらいで詳しい人間性まで知らないけど。でも絶対に人からお金を盗むような人間じゃない。少なくとも坂池側じゃあない。すると、おもむろに前に出て、ちょっと待って!と大きな声を上げようとしたまさにそのときだった。わたしの頭に、ぽんと誰かの手が置かれる。 「……陣、くん…」 紡いだ名前。見慣れすぎた人物。眩しいくらいに白いYシャツとオレンジ色の髪がたっぷりと風に揺れて、呼ばれた名前に少しだけ笑った。悲しみと怒り、わたしに対する賛辞の意味を込めた笑顔。生徒会役員は昼休み、生徒会室で会議があったはずなのに。彼はそれを抜け出してまでここへ来たんだろうか。それとも誰かが生徒会に報告したんだろうか。どちらにせよこの騒ぎじゃ気付くのも無理はない。何かを我慢するような、今すぐにでも思うままにしてやりたい衝動を抑え込むような表情のまま、陣くんはわたしのとなりをすり抜けて、男たちの背後に声をかけた。 「まだやんの」 その一声で辺りが凍り付くのがわかった。もう何十人と集まったギャラリーの後ろで、未だ状況を飲み込めていない生徒たちだけがざわざわと騒いでいる。落ち着いた背中からはまるで恐怖を感じているような気配がなくて、普段は絶対に出さない、相手が尻込みするような声音を上げている。本当に、彼は、わたしの知っている陣くんだろうか。そんな思いが過ぎると同時に、彼の手が触れた頭は熱を持つ。わたしがこんな風になるのはいつだって彼だけだ。 「やべーよ陣だぜ…」 「坂池悪ぃ、オレ用事思い出した」 「オーレも」 「あっ、オイ置いてくなよオメーら!」 ただならぬ雰囲気に気付いたのか、坂池グループはすぐにその場を退散する。すると、後から来た死々若丸くんや鈴駒くん、凍矢くんたちの「帰った帰った」という生徒会の声で野次馬で来ていた他の生徒たちも拍子抜けしたような顔でぞろぞろとクラスに戻って行った。わたしの荷物を持たされていた後輩くんも「あの…」と弱気な声でわたしを呼ぶなり、荷物を渡して友達と戻っていく。その背中を見つめていると、後輩くんとすれ違いざまこちらに歩いてきたのは酎くんと鈴木くんだった。よぉじゃねぇかよ!威勢のいい酎くんの声に手を振ってから視線を陣くんにずらすと、彼は、すでにいつもどおりの表情を浮かべながら山村くんに手を貸していた。自然と集まった生徒会メンバーとわたしで陣くんの元に駆け寄る。 「あ、ありがとう…」 「気にすんな。それより怪我が悪化する前に保健室だな」 「坂池の野郎、酷いことしやがるぜ。歩けるか山村」 「あぁ、足は蹴られなかったから…」 「保健室開いてるかな?一緒に行こう山村くん」 「…だ、大丈夫さ。さん、教材運ばなくちゃ」 「山村はオレと鈴木で保健室へ連れて行く。他は教室へ戻れ。授業が始まるぞ」 「おっ!さすが生徒会長だな死々若丸!酎、凍矢!オレらも戻ろうぜ」 「そうだな。と陣も早いとこ戻ったほうがいい」 「おーよ。行くぜ」 「う、うん!山村くん、お大事にね」 陣くんに名前を呼ばれながらみんなと別れて教室までの道のりを歩いた。陣くんはわたしの手元を見るなり何も言わずに教材を片手で持って運んでくれる。けれど、ありがとうと呟くわたしを気にすることなく、陣くんはどんどん歩いていってしまう。ぽかんとその背中を見つめていると、ついてこないわたしに気付いた陣くんがふいに振り返ってわたしをじっと見つめる。その顔は少しだけ怒っているような、困っているような、それでも射抜くような陣くんの瞳から目が離せないでいた。 「陣く…」 「」 「え?」 「おまえ、さっき坂池たちに立ち向かおうとしただろ」 丸めてある世界地図を片脇に挟んで、両手をポケットにしまいながら陣くんが言った。少しだけ腰よりも低めに穿いた制服のズボンとYシャツの組み合わせが絶妙だなぁなんて場違いなことが頭を過ぎる。オレは知ってるんだぞと有無を言わせない彼の声音がやっぱり怒りを含んでいて、けれどそれが脅しや喧嘩腰ではなく、心配以外の何物でもないことをわたしは知っていた。心の中だけで笑うはずの表情が繕えていないことに自分でもわかって、陣くんはそんなわたしに盛大なため息を吐く。 「おまえなぁ…」 「ごめんなさい。反省してます」 「顔が笑ってる」 「うく…だ、だって…」 「女の子が怪我したらどうすんだよ、バカ」 「バカじゃないもん。間違ったことが許せなかっただけだよ」 「間違ってんのはお前だ」 「間違ってない!ぜーったいに!」 きつい口調とは反対に、差し出された手はこの上なく優しい。口を真一文字に結びながら拗ねたような声を出す陣くんがいとしかった。重なる手は大きくて温かい。もしもわたしが飛び込んでいったら、きっと陣くんが尽かさず手を貸してくれるでしょう?そういって微笑むと、陣くんがバツの悪そうな顔で「まぁ…そりゃそうだけど」と言った。そう、間違ってなんかない。大事な会議を抜け出して、人目を気にせず他人を思いやる。その為になら自らを呈する陣くんを好きになったことは、絶対に間違ってなんかないんだ。 わたしのすきなひと(陣くんリクエスト多数!ちょこっと時をかける少女風味…ありがとうございます! 2009/04/25) |