プリンおいしいなぁって思う。なめらかさも口どけも、程よい甘さも色カタチも。底の部分に敷かれたカラメルを一緒に スプーンですくい取るとなおのことおいしい。口の中にしあわせが流れ込んでくるみたいで、ほころぶ頬は絶対に繕えない。 いちばんさいしょにプリン作った人天才だなーとか、わたしがあげてもいいならノーベル賞ものなのになぁとかそんなところにまで 考えが及ぶ。浅はかなわたしの考えそうなことだったけど、もちろん本当はそんな権限も何もない。 ただちょっとカラメルソースのほろ苦さが、今の自分に似ているなっていうくらいで。 「蔵馬ぁ」 「なんです?」 「も一個食べてもい?」 「……どうぞ」 「なァに今の間は」 「なんでもありません。それ以上食べると太るんじゃないかな、なんて思ってませんよ」 「……食べづら」 蔵馬の毒舌に呆れたような視線を投げると、冗談ですよとわらって温かい紅茶を淹れてくれる。本音と冗談の境目が曖昧すぎて、 本当に?と疑いたくなるのが常々。コポコポと注がれていく 紅茶を見つめながら机に突っ伏すわたしに、今度は蔵馬が呆れたような困ったような視線で笑いかけた。 「はいどうぞ」 「ありがとう」 「久しぶりだな、がオレの家に来るの」 「そうだねェ。相変わらず綺麗なお家。ママも元気?」 「おかげさまで。今はまだ買い物にでかけてるよ」 「そっかぁ…残念だな。久しぶりに挨拶したかった」 「また来ればいいだろ。…あ、来ないほうがいいのか、としては」 「むぅ…」 「冗談です」 「冗談になってないもん…」 別にわたしが蔵馬の家に遊びに来るのは悩みを抱えてるときだけじゃないもん。そう反論するわたしに蔵馬はハイハイと 曖昧な返事をしながら向かい側の椅子に腰掛けた。手本のようなカップとソーサーの持ち方で紅茶を飲む彼は、わたしの 自慢の幼なじみで。これほどまでに相談役に適した人間にわたしは未だかつて出会ったことがなかった。小学校の頃は 毎日のようにお互いの家を行き来していたけど、中学高校と学年が上がるにつれてそんな機会も少なくなって、それでも 学校や放課後に話すことはしょっちゅうだったし、何かあるたび蔵馬の家に転がり込んでは彼の適切なアドバイスが聞きたくて、 つい頼りに来てしまうのが常だった。久しぶり、そう蔵馬に言われて気付いたけれど、思えば今日までのわたしは何事もなく日々を過ごしていたんだ。 「わ…おいしい…!紅茶淹れるの上手だね蔵馬」 「そうですか?まだいくらでもあるから言ってくれれば」 「ありがとう。……うん、プリンにもよく合う」 「それはどうも」 コクンと一口紅茶を飲むと、プリンの甘みをそっと抑えるような温かさが口内に広がる。 幼なじみのわたしが言うのもあれだけど、蔵馬は本当にいろんなことを知っていて、しかもそのどれもを完璧にこなせる。 知は力なりっていうけどそのとおりだと思う。勉強も雑学も、果ては紅茶の淹れ方まで知っている彼がうらやましかった。 かく言うわたしは蔵馬のような英知も器用さも兼ね備えていないからこそ、今ここにいるんだと思う。 「蔵馬はすごいなぁ」 「別に特別なことは何も」 そういいながら目を伏せて笑う蔵馬は何も聞かないでくれる。気の利く、よく気付く彼のことだからわたしがここに来た 理由なんて充分承知のはずなのに、絶対にいつもわたしの言葉を待っていてくれる。それがとても心地よくて、辛かった。 「わたしはさ、プリンがおいしいとか紅茶が温かいとか、そういうことはわかるんだけど」 「うん」 「もっと、本質的な部分はいつもわかってないの。…だめなの」 「…」 「だから飛影も怒らせちゃったんだと思う。イライラさせちゃうの、いつも」 閉じ込めていた名前。もう何年も紡がなかった言葉みたいにわたしの口から発せられる。それだけでくちびるは 震えそうになるけれど、蔵馬のいる手前上手にわらって話し続けたかった。蔵馬の顔は見れなかったけど、おそらくわたしの 為に神妙な面持ちでいるに違いない。わたしはごまかすように二つ目のプリンのフタをぴりりと開けて、いただきますと 極力明るい声音で呟いた。蔵馬は何も言わない。わたしはプリンをすくう。そのほんの一瞬の静けさの間にさえ、わたしはわたしの 大好きで仕方がない彼の姿を思い描いてしまう。それでもプリンは甘いのに、どうして涙が出るのかわからなかった。 「オレはのそういう感情のほうが素直でうらやましいと思うけど」 「え?」 「何かを美味いとか温かいって感じられるって、気持ちに余裕がないと出来ない事だろうし」 「蔵馬…でも、あの、わたし…」 「同じように、飛影を好きだと素直に感じられるならそれでいいんですよ」 彼もそれを承知の上での怒りですから。沁みこむ蔵馬の言葉。まるでプリンの甘みが広がるようなやさしい声音。 喧嘩をしたといえばそれまでの、けれどわたしにとっては何よりも大きなこと。もう飛影とは二週間も会っていない。 会えていない。いつもなら絶妙なタイミングで顔を見せてくれる彼の本質をわたしが見落としてしまったから、 今回ばかりはいよいよ嫌われてしまったなと考えずにはいられなかった。 そうして訪れた最後の砦。蔵馬はいつもどおりの振る舞いでわたしを部屋に通してくれたわけだけど、やっぱり、来てみて正解だった。 いつもより長引いた原因は真に呆れられたからだと思っていたわたしが、もしもこのまま一人で悩み続けていればとんでもない 思いを抱えて間違った判断をしてしまいそうだったから。 「飛影も男ですから、守ると決めた女性をそう簡単に手離しませんよ」 「う、ん…ひ、っく…うん…。ありが、と…蔵馬…」 「いいえどういたしまして。オレは彼の代わりに本音を言ってるだけです。ね、飛影?」 「……へ…?」 気配に気付けなくてもその声を聞くだけで誰なのかわかった。 シリアスな声音だった蔵馬の表情が一変。わたしの後ろを覗き込むように微笑みかけると、それはリビングの入り口に 立っていた飛影に向けられたものだと理解する。驚いて目を見張るわたしとは反対に、目の前に座る蔵馬はどこか嬉々として 頬杖をついていた。いつの間に後ろにいたんだろう。いつからわたしの会話を聞いて…ううん、こんなぐちゃぐちゃの顔、 あんまり見られたくないのに。様々な思いが過ぎる。だけど、でも、そうじゃなくて、わたしは。 二週間ぶりのすきな人。 「飛影…」 「間抜け面。帰るぞ」 まったく、とくちびるを尖らせるような飛影に慌てて振り返る。そこに立っていたのは紛れもなく飛影本人だった。 ツンとした黒髪、誰にも染まることのない強い意志をした瞳、すっと通った鼻、わたしの名前を誰よりいとおしく呼ぶくちびる。 漆黒のコートを身に纏い、ぶっきらぼうに両手をポケットに突っ込んでいるのは、わたしが愛して止まない人。 いてもたってもいられなくなって、わたしは思いきり椅子から立ち上がると、蔵馬の目も気にせず飛影に抱き着いた。 飛影、飛影。本人を目の前にこの名前を紡ぐのはなんて久しぶりだろう。はじめは呆れた様子の 飛影も、観念したようにわたしの頭をぽんぽんと撫でてくれる。触れた部分を熱くする久しぶりの感触。プリンよりも 大好きな飛影の香りに包まれながら、わたしはその腕の中で気付かれないように涙を拭った。すると、ふいにあごを掴まれて、じっと見つめられる。 何か言いたげな、それでいて精一杯の感情を押し込めるように飛影は視線を蔵馬に戻す。 キス、されるかと思った。 「邪魔したな」 「いいえ、慣れてますから。それより飛影」 「なんだ」 「あんまり泣かせないで下さいよ。はオレの幼なじみでもあるんですから」 あとイチャつくのも禁止です。そう視線で付け加えた蔵馬にわたしが気付くはずもなかったけど、飛影はバツの悪そうな顔を 浮かべていた。どうしたの?と訊ねる間もなく飛影に腕を引っ張られながら、ひらひらと手を振る蔵馬に微笑み返すと、彼が 口をパクパクさせながら『良かったですね』とウインクしてくれる。少しだけ乱暴な飛影の腕を掴む力も、今日はどこか心地がいい。 それはまるでプリンとカラメルソースをいっぺんに食べたときみたいな贅沢さ。最高の恋人と幼なじみの間で、わたしは気の 遠くなるようなしあわせを噛み締めていた。 between. 2009/05/09 |