情けないことに授業をサボっていたのがバレて、放課後居残りで掃除をすることになった。担任に職権乱用もいいところだ!と 訴える間もなく、教室掃除頼んだぞと励まされるように肩を叩かれる。みんなが帰った、机と椅子だけが下げられた教室で、 窓の外から聞こえてくる下校途中の生徒の声をこの上なくうらやましく聞いていたとき、静かにドアが開いたことに気付いた。


?」
「わっシャル!どうしたの?」
「なんか掃除しろって言われてさ」
「…(シャルもサボったのか)」
は?忘れ物?」
「あー…ううん…。サボったのバレて…えへ」
「まったく。でもらしいけど」


きゅううん。そう苦しいくらいに胸が締め付けられるのがわかった。シャルの必殺技(いやいや殺し技!)である綺麗な 笑みを向けられて、わたしは持っていたほうきをぎゅっと握り締める。彼の言葉にそれほど深い意味なんかないはずなのに、 わたしらしいと笑いながら黒板を掃除し始めるシャルの背中がとても逞しくて、わたしは思わず一緒に掃除をするのがシャルで 良かった!そう叫びたくなった。過酷なはずの罰ゲーム会場が、シャルとシャルの一言で楽園に早替わりだ。 ほうきを傾けて一旦置いたとき、シャルがさっさと済ませて帰ろうと言った。


「そうだね。わたし机拭くね」
「うんよろしく」


事務的な会話を交わしながら、すでに担任の手によって用意されていたバケツで雑巾を濡らす。じょぼじょぼと絞るたびに 落ちていく水滴。合間合間にシャルの様子を伺うと、いつもどおり自信たっぷりの表情を浮かべている。シャルは文句一つ言わずに あっという間に黒板を元通り以上に磨き上げてみせた。わたしはそれに倣うように一列ずつ机を拭いていく。窓から入る 冬特有の突き刺すような風に手がかじかむけれど、それでも気持ちはほくほくだった。


「あ」
「え?」
指冷たくない?真っ赤だよ」


自分とまったく同じタイミングで同じことを思っていた事実に驚いた。ぱっと赤くなった顔を雑巾を絞る振りでごまかしながら 大丈夫だよと返事をする。自分の手元をシャルが見ていたんだと思うといやに力が入って、上手く雑巾が絞れない。 するとその様子を見ていたシャルがわたしの手が冷えて動かないと思ったのか、やっぱり、と言った風にため息を吐きながら わたしと一緒にしゃがみ込む。


「冷たいんだろ」
「ち、ちが…っ」
「違わないだろー?ほら、」
「シャ、ル…!」


言いながらシャルはわたしの手をぎゅっと強く握り締めた。包み込むようなシャルの手のひら。その温もりに、今度こそ 赤い顔を隠すことができないわたしは目の前にいるシャルを凝視するように見つめる。ふふんとなぜか口角を上げるシャルは なんの恥じらいもなくわたしの手を握り締めたままだ。…天然て恐ろしい。誰もいない教室で同じようにしゃがんで、手を 握り合っている。遠くでは窓の外から生徒の声が、近くでは廊下からブラスバンド部の楽器の音と、自分の心臓の音が聞こえている。


「あ、えっと、わたし、バケツの水替えてくる!」
「え?あぁそうだね。お願い。手はもう平気?」
「大丈夫!!」
「そう。ならいいけど」


そういって離れたシャルの手が少しだけ惜しい。でも、このまま茹ダコみたいな顔で掃除を続けるわけにもいかない。 わたしにしては上手い言い訳を思いついたなと一人ゴチてバケツを持ち上げると、。すれ違いざまシャルがわたしの名前を呼んだことに気付いて、わたしはドアにかけた手をぴくりと止めた。


「シャル?」
「もしも」
「?」
「もしもオレが"今日本当はサボってないんだ"って言ったらどうする?」
「え?」


シャルの言っている意味がすぐには理解できなかった。考えようとした瞬間、彼が「うそ。なんでもない」とあっけらかんと 笑ってみせるから、わたしは首を傾げながら教室を出てとりあえずバケツの水を替えようと水道へ向かう。廊下を歩きながら 踊り場の階段を下りる途中、ふいに!と呼ばれて下を見ると、職権乱用よろしく掃除を押し付けた担任が階段を上ってきた。


「先生」
「ちゃーんとやってるかと思ってな。監視」
「うわぁ、失礼しちゃう!ちゃんとやってますよ、わたしも、シャルも」
「シャル?シャルナークか?」
「そうですけど」


先生自分で頼んだくせに忘れちゃったんですか。そうからかうように笑うと、先生はおかしいなと呟く。 バケツの水を捨てながら新しく給水しているわたしに、担任は唸るような声を上げてゆっくりと言葉を紡いだ。


「あいつに掃除を頼んだ覚えはないんだがな…」


蛇口を捻って水を止めた瞬間、何を言われたのかわからなかった。今日はシャルも先生も変なことばかり言うなぁ。そう思ったくらいで。


「シャルもわたしと同じようにサボってたんでしょう?」
「いや?あいつはずっと授業受けてたはずだぞ」
「え?そんなわけないですよ。だってシャル先生に掃除頼まれたって…」
「そう言われても、今日あいつと挨拶程度しか言葉は交わしてないからなぁ」


他の先生からサボってたようなことも聞いてないし。担任の話を聞きながら、わたしはふいにシャルの先程の言葉を思い出していた。 もしもオレが"今日本当はサボってないんだ"って言ったらどうする?そう言っていた。………もしかして、それって。


「まぁ、何にせよ有り難いじゃねえかよ。感謝しろよ、あいつに」


言い残して去った担任の声はもう聞こえていなかった。バケツに張った水を見つめながら、わたしは、さっきまで 握られていた自分の指を見つめる。シャルは最初から、先生に頼まれてなんて言ってなかった。わたしみたいにサボったとも言っていない。 わたしが勝手にそう思い込んでいただけで、シャルは。


「ど、どうしよう…」


高鳴る鼓動を抑えきれない。どんな顔で教室に戻ろう。頭のいい彼のなりの言い回しや優しさに今更気付くなんて、シャルはきっと 今頃呆れているんだろう。もしかしたららしいとさっきみたいに笑っているかも知れない。ひとまずありがとうとお礼を言って、一緒に帰ろうと誘ってみようと思う。 足取りが嬉々としているのはきっと気のせいなんかじゃない。









同じ冬 20090425