だから女は嫌いなんだ。うっとおしいし、自分勝手だし、二枚舌だし。

授業が始まる前のついさっき、「気持ちが冷めたから別れてほしい。ごめん」なんて言われたけど、僕は最初から彼女に対して気持ちが冷めていたと思う。一度だって女の子に気持ちが熱くなったりしたことがない。それに、別れようも何も付き合ってるらしいことだって何もなかった。一緒に帰ったことも、休日にデートしたことも、手を繋いだことも、キスしたことも。「真夜が勉強頑張ってるの邪魔したくない」とか何とか言ってたくせに。

別に付き合ってるらしいことをしたかったわけじゃないけど、それでも気分が重たくなる。何人目かの別れ話を聞きながら、真っ黒な泥水を飲まされてしまったような気がした。



昨日あんなことがあったんだから、今日くらい良いことがあってもよさそうなのに、わりと好きな一時間目の美術が嫌いな地理と入れ替わりになっていた。しかも、地理の授業は3階の講義室での移動教室。面倒だ。あの教室は風通りも悪いし、埃っぽいし良いことなんて一つもない。選択授業はどれも嫌いだけど、地理か日本史か世界史かどれかを選ばないといけなくて、他人の歴史を学ぶよりはまだ世界の国について学ぶ方が耐えれると思ったんだ。でもやっぱり日本の、今僕が立っている場所以外はどうでもいいから、地理も全然面白くない教科。ノートを取っていて、アメリカの都市名を書き損じてしまう。それなのに、ペンケースの中に消しゴムが入ってなかった。なんでだよ。
でもたとえ嫌いな教科だろうと、ノートは綺麗に正確に書かないと気が済まない。一番窓際、一番後ろの席の僕がこんな時に声をかけることができるのは、位置関係から言って右隣のさんだけだ。しょうがない…こういう時、赤川とかが隣だったら楽なのに。


さん。消しゴム貸してくれませんか」


バキ、と音がした。

見ると、さんがシャーペンの芯を折ってしまったらしい。顔を僕の方に向けないで、板書の姿勢のまま掠れたような声で返事をしてくる。

「…消しゴム?」
「そう。さんももしかして持ってない?」
「や、持ってる…持ってるんだけど、ちょっと黛君には貸しにくい…」

その言い草って、僕には貸したくないってことだ。なんか腹立つな。やっぱり女は嫌いだ。男と付き合いたいなんて死んでも思わないけど、女も今はそれくらい嫌いだ。

「ああそう。ならいいです」
「・・・・・・・ごめんね」

さんとは別に喧嘩もしたことないし、何か腹立つことをされた記憶はない。
朝、僕が席についたら「おはよう」って言ってくるから「おはよう」ってちゃんと返してる。テストで満点を取ったり、学年順位が張り出されて僕が上位の時には、必ず「おめでとう」とか「お疲れ様」って言ってくれるから、それにだって「ありがとう」とか「別に疲れてないですよ」とか返してた。なのに何だ。僕から話しかけたら迷惑なわけか。消しゴムも貸したくないほど嫌いって・・・・・ほんと、ムカつく話だ。


「そ、そういうつもりじゃなくって!」


ガバっと顔をこっちに向けたさん。たまたま先生が教材を取りに行ってていなかったからいいようなものの、意外と声がでかい。さんもそれを反省したのか、低めに抑えた小さな声で話を続ける。

「ごめん、黛君。ほんと、そういうつもりじゃなくって…」
「何がです?」
「え?だから、黛君に話しかけられたら迷惑とか、消しゴム貸したくないほど嫌いとか、わたし、そんなこと思ってないって……」
「何でさんが、僕の考えてたことを知ってるんですか」
「・・・・・・全部、口に出して言ってたよ」

…そうか、言ってしまっていたか。悪気はなかったつもりだけど、つい口を出ていた。でもこれが、彼女が出来ても長続きどころか全然何も起こらないうちに振られる原因だってことくらい僕が一番よく知ってる。何かさんが言いかけた時、先生が戻ってきて僕達の会話もそこで終わった。




授業が終わって、教室に戻る途中、タッタッタッと後ろから小走りに走ってくる音がして、振り返るとさんがいた。

「ま、黛君・・・・・さっきの話の続きを、してもいい?」
「嫌です」

そのまま教室に向かって歩き出すと、さんは僕の一歩後ろをついてきながら声をかけてくる。

「ごめん!あの…消しゴムね。別に黛君だから貸さなかったんじゃなくて誰にも貸せない状態なの。もし二つ持ってたら、ちゃんと貸した。貸したかったよ…」

さんも二枚舌か。本当に昨日から泥水ばっかり飲まされてるな、僕。何したって言うんだ、別に何もしてないはずだ。物を盗んだわけじゃなし、人を殴ったわけじゃなし。

・・・・・・なんか、本気でムカついてきた。


「だから…本当にごめんね、黛君」
「人に貸せない状態にある消しゴムって何。時限爆弾でも付けてるんですか?使った人に不幸がかかるような魔法でもかけてるとか?よくそんな嘘が言えますね。だから女は嫌いなんだよ」


振り向きざまに、思ってることを言いすぎたかもしれない。さんは目を丸くして、3秒ほど僕の顔を凝視したまま固まっていたけど、胸に抱えていた教科書とノートの間から、ペンケースを取り出した。生成り色のキャンバス地の、シンプルなそのペンケースの中から、更に取り出したのは、まさに今話題になっていた、例の消しゴムだ。MONOの、わりと普通くらいの大きさの消しゴムを手に、さんは大きく深呼吸。消しゴムのボディを包むケースを外してから僕の目の前に差し出して、僕にそれを手渡す時、軽く触れたさんの指は少し震えていた。

「古典的だし、ストーカーみたいだし、気持ち悪いおまじないだって、自分でも思うもん。だから貸せなかった。でも、だから・・・・・・わたしは、黛君に嘘なんて言ってない」
「意味がわかりません。大体、いつからさんの消しゴムが僕の消しゴムになったんだですか」
「・・・・・・黛君、このおまじない知らないの?」


質問を質問で返されるのは好きじゃない。でも、条件反射で思わず「知らない」と先に答えてしまった。さんの顔は真っ赤だ。

「あの、その、手短に説明するとね」
「ええ、手短に」
「その、新品の消しゴムに…名前を書いて全部自分一人で使い切ったら・・・・・・叶うんだって」

僕の手のひらに乗せられた消しゴムの、真っ白な側面に小さく書かれた僕の名前を見ながらちょっとの間考える。今のさんの説明は、きちんとなされているようだけど、肝心の箇所がまったく欠落してる。意図的に隠したとしか思えないような言い方ということは、大声では言えないようなこと。やっぱり女は油断ならないな。しかもこのさんがここまで僕を嫌ってるなんて知らなかった。顔をあげて、さんを睨む。


さんが嘘をついてないのはわかりました。でも、こんな呪術的な嫌い方は何のつもりです?嫌いな奴の名前を書いて、その消しゴムを使い切ったら僕が怪我か何かするような願かけでもしてるんじゃ…」
「黛君、黛君、黛君!」
「なに」
「…怪我とかじゃなくて、想いが通じるっていう願をかけてたんだけど」
「はい?嫌いな奴と想いなんか通じてどうするんですか」
「どうもならないよね。だから・・・・・書くのは嫌いな人じゃなくて、好きな人の名前」

もう一度、消しゴムを見る。


黛くん


この学年に、名前か苗字が「黛」だなんて僕しかいない。
手のひらに載せた消しゴムを挟んで、僕とさんは向かい合ったまま無言でいたら、能天気に次の授業が始まるチャイムが鳴ってしまった。






たいせつなガラクタ (2016/02/07 再執筆)