馬鹿にしてたら結構深い森だった。根を張る木の幹が太く、来る途中何度も足を取られそうになった。ほとんど山だ。町より幾分高度もあるせいか、澄んでいる代わりに酸素が薄い。の住む町まで流れているこの川も、下流では想像できないくらいの水量と音をたてて流れている。滝壺を発見したのが運の尽き、オレとゴンはただでさえ寒いこの森の中、さっきから滝修行を強いられていた。寒さに弱いオレは、提案したビスケに思いきり悪態ついてやったけど、ゴンは真面目に文句ひとつ言わずに取り組んでいる。

 「大体裸になること自体、単なるビスケの趣味だろ!巻き込むんじゃ…あでっ」
 「まーだ文句を言うかこの口は!ゴンを見習いなさいな!」
 「ぶほっ……げほっ、っ何すんだよ怪力ババァ!!」

 石と呼ぶには大き過ぎる岩を投げ付けられて、大量の水の中、立ってるのもやっとなのに沈められた。常人だったら起き上がれなくて死んでいる。ちくしょー…誰だよこんな修行方法考えついたの。心の中で舌打ちをする。見計らったかのようなタイミングでビスケが「これは異国のれっきとした修行なのよ!清めなさい!」と言った。清められるのはお前の方だ、ババア。そんなやりとりが続いて一時間経つ。

 「よし、滝修行終了!13時まで自由行動」
 「はぁ…水を浴び続けるのってすごい体力消耗するんだね」
 「この寒さでやることじゃねえよな。いでっ」
 「文句垂れてる暇があるならとっとと服を着なさい。風邪引くわよ」
 「だったら最初からこんな修行させんなっつーの!」

 岸に上がり用意されていたタオルで身体を拭く。筋肉はついても脂肪が少ないオレたちの身体は、風が吹くたびに小さく震えた。一刻も早く暖を取ろうとオレもゴンもテキパキ着替える。腰掛けるのにちょうどいい大きさの石の上にいたビスケが腕時計を一瞥すると「今から食料を探しに行ってきなさい」と言った。上着のポケットにしまっていた携帯を見ると昼の11時を回っていた。早朝訓練を始めて4時間が経過している。朝食はきちんと宿で取ったけど、それ以上に体力を消耗するからすぐに腹が減る。宿屋のおっさんに何か食い物をもらってくればよかったのに、そうしなかったのは自力で昼飯ありつかせる為だったのかと今さら理解した。の作ったパンが食いたい。辺りを見渡して、こんな冬間近の森に食い物なんかあるのかと考える。

 「もう少し下れば、川に魚がいるかも知れない」

 言いながら、ゴンは落ちていた長めの木の枝を拾い上げた。きっと竿にするんだろう。くじら島で育ったコイツにとって、この自然の中の修行は朝飯前だ。オレは頷いてゴンの後を追う。途中枝や枯葉を拾いながら、暖と魚を調理するための材料をかき集めた。時折聞こえる鳥の声。覆い茂る木々の隙間から差し込む日差しが本当に長閑だった。

 「なんか、お前さっきから嬉しそうだなゴン」

 オレの問いかけに、前を歩くゴンが嬉々として振り返る。

 「うん!くじら島を思い出しちゃって。魚釣りも久しぶりだし。いい森だよ」
 「ふーん。オレには寒いだけの森だけど。昼飯だけは楽しみかな」
 「はは!キルアって、ほんと寒いの弱いよね」

 細い蔓状の植物を見つけて枝の先に巻きつけながらゴンが言う。固く縛り付けて、さらに蔓の先に、魚が喰いつきそうな赤い木の実を吊るした。簡易な釣竿の完成だ。今の今まで森に眠っていたものばかり。狩るための道具を何一つ傷つけずに作り上げてしまうあたりさすがだなぁと思う。出来上がった竿を見つめて、ゴンも満足そうだった。川に投げる素振りをしながら、何度も強度を確認している。

 「オレの午後の頑張りは、ゴンの釣った魚の量に比例するからな」
 「プレッシャーだなぁ。そんなこと言って、ホントはさんの作ったパンが食べたいくせに」

 そんなことねえよと返そうとしたのに、タイミング良く腹が鳴ったので強く言い返せなかった。ゴンもニヤッと笑っている。気恥ずかしくて、紛らわすように後ろからゴンの首をホールドする。わぁごめんごめんとふざけるゴンに、オレはぐりぐりと肘で頬を潰す。この町に来て一ヶ月。オレとの関係を知らない奴はいなかった。修行の名目で訪れた町で、まさか女を好きになるとは自分でも思わなかった。でも、もう17歳だ。ビスケもゴンも町人だって何も言わない。だからこそ、たまにつつかれるとガキみたいな反応をしてしまう。

 「よし、このへんで釣ろう!キルアは火起こしよろしくね」
 「あぁ。ゴンこそ最低30匹は頼んだぜ」
 「…だからプレッシャーだってば」

 川べりの岩に立つと、ゴンは魚釣り、オレは薪集めと火起こしとそれぞれ役割を分担した。念が使えれば火起こしなんて雷掌一発で起こせる。でも今日の鍛錬は基礎体力の向上の為、念の使用を一切認められていない。とりあえず、火起こし用のもみぎりを作ろうと、その辺にある石と木くず、火きり棒用の枝を見つけに辺りを探索することにした。川の流れる音を背に、ゴンの釣りとオレの火起こし、どっちが早いか勝手に競うことにした。





 「もう無理!アタシだってこんなに食べきれないわさ!」
 「ゴリラモードのビスケなら余裕で食え……ぶほっ!ってーな!」
 「乙女に向かって失礼なのよバカキルア!そんなんじゃに嫌われるわよ」

 にはそんなこと言わねえよ。ぐっと言葉を飲み込む。ゴンが小声で「キルアは一言余計なんだよ」と苦笑している。修行より、ビスケに負わされてる怪我の方が多い気がした。叩かれた頭を押さえながら、本日32本目の魚の丸焼きに手を伸ばす。あの後、ゴンは結局100匹近く魚を釣り上げた。火起こしを終えて焚き火の完成を告げに行くと、岩の上はそれはそれは大量の魚で埋め尽くされていた。えへへと自分でもやりすぎたことを自覚している笑顔を向けられて、とりあえずオレたちは昼飯にありついたわけだったが。

 「食べきれないほど釣ってくるな!」
 「ご、ごめんなさい…」

 昼休憩からなかなか戻らないオレたちを心配したビスケにそう説教されて項垂れるゴン。いくらオレのやる気が釣った魚と比例すると言ったって、さすがに100匹は釣り過ぎだろう。もう誰一人口に運べなくなっている。

 「キャッチアンドリリースで良かったんじゃないか?」
 「これでもした方なんだけど…」
 「お前どんだけ釣ってんだよ!」
 「だって、久しぶりに魚がかかる感覚が嬉しかったんだもん…」

 しゅんとするゴンにビスケと二人やれやれと首を振った。森の中じゃ焼いて塩を振る以外調理方法もない。味にも飽きた頃、少しずつ夕暮れが近づいていることに気付いた。携帯を見ると15時を過ぎている。そういえば、さっきより気温も下がったように思う。結局午後はいかにして釣った魚を無駄にしないかだけで終わってしまった。オレと全く同じことを考えていたらしいビスケも、とりあえず森を出て町に戻ろうと提案した。

 「森や山は日が暮れるとあっという間に闇に包まれるわ」
 「そういえばこの森、夜は結構不気味だってダンさんが…」

 ちょうど鳥の甲高い鳴き声と羽音が響いて、三人の動きがピタリと止まる。そろそろここを出た方が良さそうだ。夜の森は人間を歓迎したがらない。この森を住処とする動物たちも、冬眠前で殺気立ってる種もいくつかいるはずだ。
 焚き火を完全に消化して立ち上がると、ゴン、ビスケ、オレの順に帰路に着く。魚は持って帰って、宿屋のおっさんに渡すことにした。宿屋の調理設備なら、ただ焼くだけの森の中より美味いものにありつけるだろう。



******



 「おお、おかえり。どうだった?」
 「…おっさんにお土産」

 元々はそんなつもりじゃなかったけど。いかにもそのつもりで釣ったかのように、宿屋のおっさんに魚を手渡す。帰るなり大量の魚を渡されたおっさんは、驚きながらも豪快に微笑んでありがとうと礼を言う。少しだけ罪悪感はあったけど、ゴンもビスケも貼り付けたような愛想笑いを浮かべるだけで何も言わなかった。そんなオレたちの胸の内を知る由もないおっさんが今夜はムニエルにしようか、それともマリネにしようかと口に出して悩むので、オレはムニエルがいいと返事をした。

 「昼はちゃんのパンだったから、夜はリゾットとムニエルにしよう」
 「のパン?」
 「あぁ。さすがに昼もパンで夜もパンじゃ飽きるだろう」
 「オレたち昼は魚しか食ってないよ」

 引っかかって、聞き返した。はじめは何を言ってるんだと思った。おっさんも相変わらずにこにこしたままだ。

 「ちゃん、キミたちの元にパンを届けただろ?」
 「オレたちに?」
 「そうとも。ヨシュアの森で訓練してるから、昼頃デリバリーを…」

 頼んだんだけど。語尾がどんどん小さくなる。ビスケが首を振ると、しんと沈黙が訪れた。オレもおっさんも同じ不安が過ぎり、おそらくそれは的中したんだろう。おっさんの顔がみるみる青褪めていく。なんてことだ、とおっさんが頭を抱えてしまった。
 恐らくオレたちはと行き違った。オレたちにパンを届けようとした。後ろで話を聞いていたゴンとビスケも、ただならぬ雰囲気を察知しておっさんに尋ねた。

 「それは何時頃?は確かに森へ行くと言ったのね?」
 「10時過ぎ…11時手前かな。キミたちの修行場所を告げて、ぜひ届けてやってほしいと」
 「その時間ならオレたちは滝にいたよね。あの場所まではさんの足で一時間以上はかかるはず」
 「アタシたちが森にいる間に余裕で着くわね」

 ゴンとビスケの推測にオレはさっきまでいたあの森を思い出していた。朝と昼こそ長閑な森だった。でも、きっと今は暗闇に包まれている。もしもが店にも戻っていないとするなら、十中八九、森の中で遭難しているだろう。迷ったか、怪我でもして身動きが取れなくなったか。どちらにしろ状況は最悪だ。
 オレたちが森から戻る途中で、すでに辺りは暗かった。空のオレンジはあっという間に夕闇に飲み込まれていった。夜の森の寒さと静寂が一層引き立てる孤独感というものをオレも昔経験したことがある。四方を覆う闇に、どこからか誰かに見られているような気がしてくる。失った方向感覚のせいで身動きが取れない。もしかしたらこのまま誰にも見つからず、誰も見つけられないんじゃないかとさえ思う。あれは電流に耐えるのとはまた別の、には絶対体感させたくない恐怖だ。せめて怪我だけはしてなければいい。そう思うより早く、オレは宿屋を飛び出していた。

 「あっ、キルア!?」

 ゴンたちの声が聞こえたけど振り返っている暇はない。遠くに沈んでいく太陽を見つめながら、一刻も早くを見つける為に、オレは再びあの森へと戻った。








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