誰かを思って眠れない夜よりも、洗濯物を干せない雨の日の方が憂鬱だ。愛の言葉を 囁かれないことより、夕食のメニューが決まらなくて悩んでしまう。疲れは取れたかな。ごはんは口に合ったかな。
世話焼きも職業病と併発すると一苦労だ。性分と言い聞かせて閉じ込めた。もう随分と遠ざかってしまった気持ちが、胸の奥で退屈している。

Flavor of Life

 幼い頃から、この宿に立ち寄る人々が聴かせてくれる異国の話が好きだった。それは勇敢な戦いだったり、悲しい恋だったり、とびきりの夢が叶う話 だったり様々だ。物語の主人公に出会えたような、御伽噺の中に入り込めたような不思議な気持ち。身振り手振りで話す旅人 たちに、子供ながらに何度目を輝かせただろう。人生の岐路にいるその人そのものを知るのに、これほど適した場所もない。父と 母は、そんな彼らを待っていたいと言った。いつでも帰れる止まり木があることを示したいのだと。両親から打ち明けられてしまえば、わたしが 将来この宿の経営に携わることは呼吸をするくらい当然のことだった。19歳になった今、夜間の接客と朝食作りはわたしの仕事だ。
 時計の針が午後から午前に移ろうとする時間帯。朝食の仕込みを終えて食堂の点検を済ませながら電気を消した。代わりに 足元を照らすランプには、小さな虫が明かりを求めてやってくる。あとは眠るだけ、と今日も無事に終わったことへホッと胸を下ろしながら、薄暗い 廊下をゆっくりと歩く。街から少しだけ奥まった森の手前に位置するこの宿は、夜になれば辺りは真っ暗で、木々の葉が かすり合う音さえ聞こえてくる閑静な場所だった。自宅も兼用してもう何年も住まえば、都と言うより他にない。亡くなった母もここが 大好きだった。四角窓から外を見つめる。今夜も星が輝いている。すると、不意に視線を移した庭の入口にぼんやりと人影が見えた。
 「誰だろう…?」
 首を傾げて様子を窺う。明日の予約は二件のみだし、来る時間が早まる連絡は一切受けていない。今日泊まっている四組の お客さんのうち、わたしの知らない間に街へ出た誰かが帰ってきたのだろうか?よくあることだけど、旅の疲れを癒しに来るお客さんのほとんどが 就寝時間は早い。もしかして、泥棒?人影はそのまま外灯だけを頼りに玄関口へと歩いてくる。ちょうどこれから差し掛かろうとしていた玄関の扉が、少しだけ強めにノックされた。

 「こんばんはー誰かいますか?」

 よく通る声。どうやら男の子のようだ。コンコンよりもドンドンに近いノックの音は、焦りで乱暴に叩かれたからじゃない。分厚い 木製の扉が鈍く音を吸収しているからだ。もう閉まっちゃったのかな、今日は野宿だな、そんな声も聞こえてくる。取っ手に手を かける前に、一度だけゴクリと唾を飲み込む。泥棒ならこんな風に堂々と玄関から入ってはこないだろう。でも、悪い人はいい人の フリもできるし…。そんなキリがない考えに首を振り、意を決して扉を開いた。向こう側に立っていた4人の口が「あ」の字を作る。はい?と少し警戒を示したわたしに、先頭の男の子がハッとしてこんばんはと頭を下げた。つられて頭を下げる。礼儀正しいなぁ。男の子は顔を 上げると、すっとわたしを見据えて、泊まる部屋を提供してほしいと低姿勢で頼み込む。

 「驚かせてごめんなさい。あの、宿の予約をしていなくて…」
 「オレたち旅の途中なんだけど、街の人に聞いたら宿はここだけだって」

 シュンとする黒髪の男の子の隣で、利発そうな銀髪の男の子が事情を説明してくれる。旅の途中。見た目わたしより年下に 見える。後ろの二人も彼らの言葉にうんうんと頷いてた。

 「あの、今夜は部屋が2つしか空いていないの。2人で一部屋ずつでも良ければ…」
 「本当に!?やったー!」
 「静かにしろよゴン!他にも宿泊客がいるっつってんだろ!」
 「あ、ごめん!」
 「やれやれ…」
 「つーわけで、部屋割り決めますか。じゃんけんで」

 黒髪の男の子に銀髪の男の子。呆れた様子の金髪の男の子?に、一番年上に見える背の高い青年。一見どういう仲なのかはわからないけど、それぞれ やりとりの中にも役割分担があるようだ。じゃんけんで誰と同室になるかを決める姿が懸命で思わず笑ってしまう。そんなに ムキにならなくてもいいのに。両部屋とも左右は違えど同じタイプの間取りだ。でもきっと彼らにしかわからない組み合わせのルールみたいなものがあるんだろう。結果は、黒髪の男の子と 金髪の子、銀髪の男の子と背の高い青年の組み合わせに落ち着いた。銀髪のネコ目の男の子が「げっ、またレオリオと同室かよ!イビキで寝らんねェ!」と 嫌そうな顔をした。青年も負けじと応戦する。

 「こっちの台詞だキルア!オメーこそ夜中にボリボリ菓子なんか食ってんじゃねえ!」
 「自分で買ったお菓子をいつ食おうとレオリオに関係なくない?」
 「くーっ!お前ってホント生意気!だいたいなぁ」
 「あーもう二人ともわかったから!とにかく部屋に入れてもらおう!」
 「夜分に済まないな…部屋を案内してくれないか?」
 「は、はい!どうぞ上がって下さい」

 はぁとため息を吐いた金髪の子を先頭に、他の三人も室内へと足を踏み入れた。じゃんけんで同室になった銀髪の男の子と 青年は相変わらずいがみ合っている。微笑ましいなと彼らを見つめていると、黒髪の子がいつものことだから、と苦笑していた。
 部屋に上がり、ランプを片手に足元を照らしながら階段を上る。客室は全て二階だ。一部屋に二人、床に布団を敷けば3人寝れる8畳程の部屋が6つある。一番奥の 二部屋を彼らに案内すると、黒髪の男の子がありがとうと微笑んだ。屈託のない笑顔。好きに使ってと微笑み返し、もう一度 ベットメイクの準備に下の階へ戻ろうとしたその時、黒髪の男の子のお腹がぐうと豪快に鳴った。それはもう見事なまでに。

 「お腹空いてるの?」
 「あ、あははは!…そうみたい?」
 「ゴン!オメーってやつは…」

 すると、背の高い青年のお腹も盛大に音を鳴らす。タイミング良く鳴ったその音にわたしと他のみんなも大笑いだ。でも今が 夜だということに気づいてすぐに口元を抑える。他のお客さんたちを起こしてはまずい。青年は顔を赤くして反論したけど、すぐに 他の二人に突っ込みを入れられてしまう。

 「お夕飯まだでしたか?簡単なものなら幾つか作れるけど…」

 わたしの一言に、お腹を鳴らした二人がパァッと目を輝かせて飛びついた。思わず後ずさりながら頷く。

 「本当!?いいの!?オレ、さっきからずっとお腹減ってて」
 「やりぃ!ようやく飯にありつけるぜ」
 「良かったら二人も、スープくらいならどうですか?」
 「あー…オレはいいや。チョコロボくん買ってあるし」
 「私も今夜は休みたい。浴室を借りたいんだが…」
 「わかりました。ベット用意しておきますね。お風呂もご案内します」

 とりあえず、4人を浴室まで案内する為に、わたしは再びランプで足元を照らす。彼らが旅の疲れを癒してるうちに、急いで 人数分のベットメイクと夜食を用意しなくちゃ。



 ***



 「へえ。じゃあ再会してまた4人で旅をしてるのね」
 「うんそうだよ」

 ゴンくんが大きな咀嚼を繰り返しながら頷いた。さっきまでツンツンだった髪の毛が今は重力に逆らわず下ろされている。肩に かけられたタオルにぽたぽたと水滴が落ちていた。ゆっくり乾かしてくれて良かったのに。対面式のキッチンに立ちながら口には出さずに考える。でも もしかしたら、そんなことに構えないほどお腹を空かせていたのかもしれない。隣に座るレオリオさんも、めいっぱいパンとスープを口へとかけこんでいる。二人とも 美味しそうに食べてくれるその姿が嬉しい。思わず頬を緩ませたわたしに、今度はゴンくんが「さんは?」と尋ねた。

 「ずっとここに?」
 「うん。元々この宿は両親が経営してたんだけど、二人とも亡くなって、今は一人で」
 「そうなんだ…じゃあここが故郷なんだね。一人で切り盛りするの大変だね」
 「うん…あ、でも、こうやってゴンくんたちみたいに旅人と出会えるから楽しいの。朝は早いけどね」
 「あ!そっか、ごめん!もうこんな時間なんだよね。沢山用意してもらちゃって…」
 「ホントだぜゴン。喋ってばっかいねェで飯を食え。が片付けらんねーだろ」
 「あーいいのいいの!もう明日の仕込みは終わってるし、二人ともゆっくり食べて」

 わたしの制止の声を気にかけることなく、ゴンくんもレオリオさんもガツガツと豪快に夜食を頬張る。一応4人分作ったスープの お鍋もあっという間に空になった。バスケットに入れた手のひらサイズのトーストも、底に敷いたギンガムチェックの敷物が見えている。よっぽど お腹が空いていたんだなぁ。空っぽになったそれらを洗いながら、そっと彼らを見つめる。部屋に残った二人もゆっくり休めているだろうか。就寝前の ハーブティーを二人に持って行ったとき、金髪の子がすんなり受け入れてくれたのとは対照的に、銀髪の男の子は「うわっ…ごめんオレ苦手かも…」と 言っていたのを思い出す。その時の口に合わなかった顔が素直な表現でおかしかった。代わりのプラムの炭酸割りは喜んでくれたから良かったけど。
 会ってまだ数時間のわたしがこんな憶測は失礼かもしれないけど、本当に4人が4人、個性的だと思う。役が被らないと 言うのだろうか、今までのお客さんにはいない組み合わせだ。そもそもが一人旅が多い中、4人で旅をできるのも素敵だと思う反面、大変なことも 多いだろう。でも、彼らを見ているとなんとなく旅先での笑顔の多さが想像できた。

 「ごちそうさま!」
 「ごっつぁんでした!いやー、美味かった」
 「あ、ゴン、レオリオ。食い終わった?」

 カウンター側からお皿を差し出してくれるゴンくんとレオリオさん。一旦水道の水を止めて、前掛けで手を拭いた。ありがとうと彼らの 手から下げる食器を受け取って再び洗い物に取りかかろうとしたその時、不意に 食堂の扉が開いた。二階で先に休んでいたはずの銀髪の男の子と金髪の子だった。呼びかけられて、ゴンくんたちが驚いたように振り返る。

 「キルア!クラピカまで…どうしたの?」
 「いや、キルアにトランプをしないかと叩き起こされて…」

 金髪の子が眠そうに目を擦った。どうやら本当に眠っている途中で起こされたらしい。でも、律儀に起きてあげるあたり優しいと思う。そんな 金髪の子に対して、銀髪の…キルアくん?はとても不服そうだ。

 「なんだよ、やったら一番負けず嫌いなのクラピカだろ!」
 「…それは、勝負なら当然だろう」
 「よーし!じゃあ負けたやつ、明日の昼食ゴチな!」
 「レオリオいいの?言い出しっぺのレオリオが負ける法則発動しちゃうよ」
 「んだとゴン!?」
 「うむ。賭けを投げかけた時のレオリオは今のところ28連敗中だからな」
 「今夜も楽勝かー。つまんないゲームになりそうだな」
 「お、おめェらなぁ、言わせておきゃいい気になりやがって…!」

 レオリオさんへの総突っ込みに、気付けば声を出して笑っていた。一斉に4人の視線が向けられてハッとする。洗い終わった 食器を水切り台へと乗せるわたしに、レオリオさんが「まで笑うこたぁねえだろ!」と言った。わたしもごめんごめんと謝りながら目の端を拭く。涙が出るほど笑うのはいつぶりだろう。一緒にいると 時間を忘れて笑ってばかりだ。それもこれも全ては4人の仲睦まじさのおかげだ。最初彼らがこの宿を訪ねてきた時、泥棒かも なんて思ったことを謝りたい。いつまでこの街にいてくれるんだろう。今はそんな風にさえ思ってしまう。
 ふと、キルアくんが「お姉さんも一緒にやんない?」とトランプをちらつかせた。するとレオリオさんも「そうだぜ、オレを笑った からにはにももちろん参戦してもらう!」と息巻く。ゴンくんが朝の早さと、まだ少し片付けが残るわたしを察したのか「夜遅くにトランプなんかやって 大丈夫?」と首を傾げる。わたしは大きく頷いて、彼らの仲間に入れてもらうことにした。元々朝の早さは苦手じゃないし、身体が 慣れている。急いで片付けるからと彼らに告げると、気遣ってまずは食堂の一角のテーブルで勝負だとみんなが言い始めた。

 「負けてもあんまりうるさくすんなよレオリオ」
 「ふっふっふ。そういうキルアこそ、負けたからって寝てる間に仕返しとかすんなよ」
 「クラピカ大丈夫?眠かったら先に寝てても…」
 「大丈夫だゴン。この目で29連敗を見るまでは眠れない」
 「うん、そうね。わたしも眠れない!」
 「なっ、…なんだよまで…。ゼッテー負けねェからな!!!!」

 レオリオさんの叫びと同時に、慣れた手つきでカードが切られ配られていく。旅の途中の休息としてトランプは持って来いの ゲームなんだろう。わたしも早く片付けて参加しよう。シンクに敷いたタオルの上にお鍋を置いて、水回りを綺麗にする。一方で、本日 二度目のじゃんけんで先発の順番決めをする4人。すでに白熱しそうな雰囲気だ。さっきまで水気を含んでいたゴンくんの髪も もう重力を忘れている。わたしは五つ分のグラスを用意して飲み物を準備した。トレーに乗せて彼らのテーブルに持っていく。さぁ、真夜中のトランプ大会の始まりだ。