My spring.


木漏れ日の中、隣に腰掛けた飛影がとても気持ち良さそうに目を瞑っている。
眠る寸前といったところか、うとうとと風の音を聞いている様子だ。読んでいた本から顔を上げて彼を見つめ続けた。珍しくわたしの視線には気付いていないようで、飛影は自分の髪をそっとかき上げてから、わたしの方へと倒れこんでくる。
飛影?と自分でもやけに不思議そうな声を上げたとわかるくらいの声音で彼の名を呼ぶと、驚いた拍子にピンと伸びたわたしの両腕の間から飛影は静かに目を開けて、何も言わずに再びゆっくり目を閉じた。

「寒くない?」
「…あぁ」

飛影はわたしに会う時間、必ず武器の一切を外す。わたしはその無防備さを晒してくれる彼が嬉しい。
けれど、白のタンクトップ調の上着、下には腰巻を穿く飛影の格好は春間近といえ少し肌寒さを感じさせる。寒くはないかと自分を当てはめてみたが、飛影はこれといって気にならないらしかった。
膝を枕代わりに居眠る彼を起こさないよう、緩い動作で腕を戻し読書の続きを始める。「ただならぬ音に辺りは騒然となった」と書かれた小説の一文を心の中で読み上げながら、再び本の世界へ引き込まれそうになった瞬間、ふいに本の裏側、冊子の部分に重たい感触が触れて、それは見事にわたしから小説を引き剥がした。
飛影の手だ。


「飛影」
「何か話せ」
「話せって、…本が読めないよ」
「本はいい」


乱暴に奪うのかと思った飛影の手は掴んだ本をやさしく地面に置いた。まだ栞を挟んでいなかったのにと思うより、わたしの頭の中は飛影の言葉に敏感に反応していた。何か話せ、と。彼がそう言った。
いつもわたしの話を聞いているのかいないのかわからないくらい相槌もしない飛影が、人に話をせがむだなんて。余程のことがあったのか飛影は本を置いて空いた片手で覆うように目を隠す。その表情が今、どんな風なのかはわからなかった。くちびるは強く結ばれて、有無を言わせない澄んだ声がいつもより弱っていることくらいしかわからない。それなのに、それだけで充分過ぎるくらいだと感じたわたしは飛影の髪をゆっくりと撫でる。ツンと天を仰ぐ髪は硬そうに見えて、実は柔らかい猫っ毛だ。


「飛影がいない間にね、白木蓮が花をつけたよ」
「…」
「みんなは春になると金木犀の香りがすきっていうんだけど、わたしは白木蓮の方がすき」
「…」
「あ、飛影はまだ花自体は見てないんだったね。冬に一度花のついてないやつを見たじゃない?あれが白木蓮の木だよ」
「…覚えてる」
「本当?!そうそうあれだよ!花はふわふわしててお菓子みたいでね、見てるだけで幸せになれるの」


花が咲いたら見に行こうね。呟いたわたしの膝の上で寝返りを打つと、飛影は背を向けるようにして小さくあぁと言った。
飛影の更に向こう側に置いてある、さっきまでわたしが読んでいた小説をいたずらに捲ったかと思えば、すぐに飽きてまたこちらに寝返りを打つ。膝から太ももにかけてを寝転がられてなんだかこそばゆかった。一連の動作が言葉にならない飛影の気持ちそのものみたいだ。思わず彼の身体に触れてみる。一瞬ビクリと反応を示した飛影と目が合って、あぁやっぱり今回も辛い戦いを強いられたんだろうと思った。飛影はひとり、抱え込むように何かをやり遂げたのだろう。

こんなときでも、わたしに出来ることなんて限られているから。
けれどそれを嘆くより、向き合って出来ることを精一杯やれたらいいと思う。飛影が望むんだから、わたしは彼のために言葉を紡ごうと思うのだ。


「もうすぐ春だね、飛影」


それがどんなに下らなくても、頼まれた内容じゃなくても。話しているうちに少しでも自分が飛影のために在れることが嬉しくなって、わたしの独り言のように彼に向けられる会話は段々と話すのが楽しくなってくる。 これじゃあどっちが癒されているのかわかったもんじゃない。じっとわたしを見つめたままの飛影の瞳に吸い込まれそうになりながら、わたしは延々と最近の出来事や思ったことを口にした。

「―ってこともあったし、あっ!あとね、おもしろかったのが」


突然名前を呼ばれたと思ったら、膝枕から起き上がった飛影に強く抱き締められた。まだ幼さも残した外見とは裏腹に密着した飛影の身体は男の人そのものだ。抱き締める腕も、細身なのにしっかりと筋肉が付いていて、まるでわたしを刻むようにぐっと力が込められている。
返事をするかわりに飛影の背中に自分の腕をまわす。きつくきつく。ようやく欲しい物を手に入れた子供みたいに。腕の力が少しだけ緩んで、飛影の肩に埋めるようにして置いた顔を離す瞬間、彼のくちびるがとても近くにあることに気付いた。


「飛影…」


どちらからともなく重なるくちびるがやさしい。触れた温度は春と似ていた。






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