「ねえあんたたち、こたつ買ってきたんだけどいらない?」


玄関を開くなり、母が開口一番そう言った。
おかしな会話だ。でも、僕も姉もそんなことには慣れている。
最寄り駅でばったり一緒になった姉と、顔を見合わせてから頷いた。

「「いらない」」

二人の声がぴたりと重なる。母は望まない返事に落胆するけど、根負けせずに食いついてきた。

「あらもう…あんたたちったら冷たい…」
「わたしはいらないよ。フローリングにこたつは合わないし」
「そもそも、リビング用に買ってきたんじゃ?」

そういえば今朝、僕が学校へ行く前に今日はこたつを買うのよと母が浮き足立っていたのを思い出す。
CMで流れていたお値段以上の商品とサービスを提供してくれるホームセンターがこたつを特売するらしい。朝刊のチラシにも入っていた。
真冬日が続いた去年からこたつが欲しいと言っていた母。ホームセンターとの利害や思惑が一致したようだ。
それなのに、僕の一言に母は困ったように眉根を寄せた。


「…サイズが合わなかったのよ。リビングにはちょっと小さ過ぎ」


それによく考えたら、こたつなんか置いちゃうとお父さんが動かなくなっちゃうのよね…。
そう続けた母に、僕は心底呆れてしまう。どうしてもっと早く気付かないんだこの人は。
CMを見たとき、チラシを見たとき、ホームセンターで実物を見たとき、どこかしらでリビングに合う合わないは気付けたはずだ。
父が出不精なことに関しては僕たちよりも知っているはずなのに。

何も言わずに靴を脱ぎ、玄関マットに足を置いた。
わざとらしい溜め息を吐く母の隣を横切ろうとしたとき、不意に姉が口を開いた。


「真夜の部屋に置いたら」


無責任。そんな文字が過ぎる。
姉の一言と、母の待ってましたと言わんばかりの目の輝きに今度は僕が肩を落とした。
僕は要らない、と絶対二人にも聞こえるはずの声のトーンと音量で告げたはずだ。
さっきまで味方だったはずの姉がまさかこういう裏切りをするとは思わなかった。
そんな僕の心境を汲んだ姉が、譲歩を提案する。


「とりあえず真夜の部屋に置いてみてさ、ね?いらなかったら捨てるなり売るなりしよう」
「…姉さんが僕の部屋にますます入り浸るのが目に浮かびます」
「そ、そんなことないよ!こたつがあってもなくても変わらないって!」
「それはそれで困るんだけど」


何故かはわからないけど、姉はよく僕の部屋に入り浸る。
何か借りるでもなく、何か用事があるわけでもないのに僕の部屋に長いこと居座ってテレビを見たり本を読んだりする。
煩わしいことがあまり好きではない僕にとって、部屋の中で騒ぐわけじゃない姉に
鬱陶しさを感じることはなかったけど、その行動にいつも疑問符が浮かぶ。
酷いときは僕のベットで僕よりも先に眠っていたりするから、僕は渋々絨毯の上に枕を置いて眠る羽目になるのだ。
ただでさえそんな状況なのに、こたつなんて置かれたらたまったもんじゃない。

姉と弟である前に、男と女でもある。
お風呂上りのシャンプーの香りを纏われてベットに入られては、僕も男として何かと不都合が多い。
わかってほしいけど、姉にそのことを伝えるのは困難だった。
最近では伝えなくてもいいかとさえ思ってしまう。
そんな僕の気も知らないで、姉が僕を説得しようと試みていた。


「だからとりあえず置いてみよう。母さんも可哀想だし」
「接続詞が何の役割も満たしてない。第一、可哀想なのは母さんではなくて…」


僕。そういいかけるよりも早く、母さんの「真夜ー、真ん中に置けばいいー?」という声が聞こえてきた。
いつの間にこたつごと2階に上がったのだろう。
こういうとき、主婦の無駄なフットワークの軽さに脱帽する。

「あ、ほらいいじゃない。真夜の部屋は絨毯も敷いてあるし」
「姉さんの部屋にも敷けばいい」
「わ、わたしはダメだよ!洋服とか放りっぱなしだし、火事になったら大変!」
「そうそう。その点、真夜はしっかりものだから母さんも安心だわ」
「……はぁ」

きっと僕が100対0の正論を向けたって、聞き入れられる確率は皆無に等しい。
ため息を承諾と受け捉えたのか、母と姉のほっとしたような表情を僕は見逃さなかった。



***


「うはー、温かぁい…」
「姉さん。動くのが面倒だからって手の届く範囲に物を集約するのはやめて下さい」
「冬の間だけだから我慢してください。あ、アイス食べたいね」
「そのまま寝転がったら風邪を引きます。脱水症状を起こしますよ」
「そのときはかわいい弟が起こしてくれるから大丈夫です。ビールもいいなぁ」
「高校生の部屋でアルコールとかやめて下さい。母さんに泣かれます」
「わたしに、部屋で一人でお酒を飲めだなんて…真夜のいけず」
「自分の部屋があるなら、そっちでいいでしょう、と言ってるだけです」
「だってこたつあったかいんだもん」
「じゃあ、部屋に持って行きますか?なんなら運びますけど」
「んーん。いらない。真夜の部屋にあるから使うの。わたしの部屋にはいらない」


そんな無謀なやりとりを続けて一時間。
ついには母がみかんとお茶を差し入れて、冬の定番そのものが僕の部屋に揃ってしまった。

「自分の部屋に戻るが面倒だからって、これじゃあますます部屋を占拠される…」
「そのときはわたしがこたつで眠れば問題ないよ」
「言ったでしょう。風邪を引くし、脱水症状を起こすって」
「あ、じゃあさ!一緒のベットで眠ればいいじゃない!もしくはこたつで!」

本当に。どうしてそんな明るい表情で拷問みたいなことが言えるんだろう。
彼女は今、心から自分が良い提案をしたとでも思っているに違いない。
みかんの皮を剥きながらじっと横目で姉を見つめた。

「まっぴらです」
「どうして?一人でえっちなことできないから?」
「わかってるんなら出てってもらえますか」

僕の返事に、姉は恥ずかしげもなく笑った。
そういうことをストレートに言ってしまう女性はどうかと思う。
でも、今はそんなことより、僕の部屋に毎冬こたつが定着しそうで怖い。






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