その輝きは、明日の蒼が目に浮かぶ。

23時のプラネタリウム


いつもの通学路が違う景色に見えた。
急いで向かっているのはバイト先でも家でもない。学校だ。

今夜は特別授業が行われる。
そのせいで一度帰宅した後に再び制服に袖を通す羽目になった。
吐く息の白さが余計に寒さを引き立てる。それなのに何も考えずにお風呂に入ってしまったわたしは、湯冷めを恐れてマフラーを深く巻き直した。
乾かした髪の毛も冬の寒空の下ではしんと冷えていく一方だ。
タイツも120デニールの分厚いものを穿いたのに、それでも足元から風が吹き抜けていく。

「寒いなぁ…」

どうしてこんなときでも制服じゃなくちゃいけないんだろう。
コートだけでは足りなくて保温性のあるニットのカーディガンも着込んだ。
震えながらポケットからホッカイロを出して、両手で拝むように温める。鼻の頭が痛い。
三日月が綺麗な夜だった。


『ピークの22時から、屋上を開放して流星群を見ます』


午前中、理科の授業の終盤に先生が言った。
えー!とかスゲー!なんて賛否両論の声が上がる中、わたしは思わず身を乗り出しそうになる。
夜の学校は怖いけど、普段は立入禁止の屋上に上って星を観測するなんて、と多分クラスの誰より喜んでいた。
台風の日の早引けやテスト週間の午前授業然り、いつもと違う日常が顔を出す瞬間が好きだ。
先生は「運動部に所属している者は朝練を考慮して自由参加。他は親御さんの許可をもらえる限り参加して下さい」と続けた。
運動部に所属する何人かはよしっとガッツポーズをしてる子もいた。

授業が終わると、親しい友人たちはみんな口々に「行かないよね?」と話し合っていた。
わたしが行くことを伝えると、驚きの視線が突き刺さる。
こういう機会でもない限り、流星群をまじまじと見れることは少ないのに。
そう心の中だけで言葉を留める。

そうして、学校までの道を歩いているわけだけど…。
この寒さだけは慣れることが出来ない。
行かないことを決めた友人たちの判断はあながち間違ってはいないと思った。



「うわぁ…真っ暗…」

正門の前に着くと、一旦校舎の上にある屋上を見つめる。
ここからではどれくらいクラスメイトが来ているかはわからない。
もしかしたらわたしと先生以外は誰も…なんて展開もあるかもしれない。
夜の校舎を沿い歩く。昇降口に立つと、屋上から少しだけ人の声が聞こえて安堵した。

「よかった…ちょっとは来てるみたい」
さん?」
「!み、南野くん!」

昇降口に入り、静かに底冷えする校内に唇を噛み締める。
下駄箱で自分の内履きに履き替えようとした瞬間、突然名前を呼ばれて思わず身を竦めた。
振り返ると、そこにクラスメイトの南野くんが立っていた。

「こ、こんばんは!」

つられるように南野くんが驚いたような顔をしたけど、すぐに落ち着かせるような声音と表情でこんばんはと言った。

「驚かせてごめん」
「う、ううん!南野くんも来てたんだね」
さんは一人で?」
「そうなの。友達はみんな来るの面倒くさがっちゃって…」
「成程。寒いし、気持ちはわからないでもないけどね」
「うん。でも、もしもわたしと先生しか来なかったらどうしようかと思ったよ」
「それで"よかった"って安心してたんだ」

南野くんは納得するとふっと小さく笑みを漏らす。聞かれていたひとりごとに恥ずかしくなったけど、この暗さじゃ顔が赤くなってもわからなくて少しだけホッとした。

「でも、女の子一人じゃ夜道は危ないよ」

問いかけるように首を少しだけ傾げる南野くんに、ますます頬に熱が帯びていく。
下級生からも同級生からも人気の的である南野くん。
そんな彼が今、わたしの隣を歩いている事実に頬をつねりたくなった。
でも、もしも痛くなかったら悲しいのでやめておく。
薄暗い中にある三日月の頼りない光に照らされる南野くんは、いつも教室で見かける彼と同じはずなのにどこか大人びて見えた。

昇降口を通り過ぎ、階段を上る頃にはようやく視界も慣れ始めてきたけど、南野くんはわざわざ前を歩いて先導してくれた。
3階分の踊り場ごとに振り返っては最後の一段に手を差し出してくれる。
重なる指先に神経が集中しすぎて大変だ。
変に意識しないように平常心を心がけるけど、さっきまで冷たかったはずの指までもじんわりと温かい。
その分、南野くんの手が冷えていることに気付いた。

「あ、ありがとう南野くん」
「どういたしまして」
「あの、よかったらこれ…」

そういってコートのポケットに入れていたホッカイロを差し出す。
南野くんは目を凝らしてからホッカイロを確認すると、賢明だねと笑った。

「ありがとう。でもさんのが…」
「い、いいのいいの!わたし、なんだかぽかぽかして来たし!」

見え透いた子供の言い訳みたいに必死に伝えると、南野くんは「それじゃあお言葉に甘えて」とホッカイロを着ていたジャケットのポケットにしまってくれた。
さっきまでわたしが握り締めていたホッカイロを南野くんに使ってもらえることが気恥ずかしい。
3階から屋上まで行くには、また少し廊下を歩いて棟の一番端にある別階段を上る。
きっと一人だったらたどり着くのも大変だったはずの屋上までの道のりも、南野くんと歩いていたらあっという間に感じた。
それを残念に思ってしまうのはわたしだけの秘密にしておこう。

「立入禁止」と書かれた掛け札を横切り、屋上へと続く扉を開く。
ひらけた視界にはネイビーブルーの夜空が広がっていてわたしは思わず息を呑んだ。


「わぁ…」


空気の澄んだ冬の星空。
弧を張る三日月と、そこから広がるように点々と存在する星たち。
輝き続けたり、煌いたりとそれぞれが自己主張している。
小さい頃、お父さんに連れて行ってもらったプラネタリウムを思い出した。
人工の光がなければ、本来夜空にはこんなにも星が輝いているのだと教わった。

「綺麗……すごい…」
「観測日和ですね。天気予報なんて見なくても、この圧倒的な星を見れば明白」
「うん…圧倒される。でも抑えつけるような不快な力じゃなくて…」

言葉では表現しきれない。でも、伝えたい。
わたしの様子に南野くんがふっと笑った気がした。
けれど、確認する間もなく、開かれた屋上の扉に反応するように振り返ったクラスメイトの男の子たち数人が「あ、南野ー」と彼を呼んだ。

「ちょっといってきます」
「あ、うん!屋上までエスコートありがとう」

お礼を言うと、南野くんは小さく手を上げて呼ばれた方へと行ってしまった。
氷のような寒さの中でも、南野くんの揺れる髪は美しい薔薇色をしている。
わたしは今一度空を見上げて静かに息を吸ってみる。
夏の日のカキ氷のように、寒さで鼻がツンと痛んだ。
きっと空気とわたしの間に隔たりが何もないんだろう。

「きれい…本当にいいお天気」

南野くんの言うとおりだ。天気予報を確認しなくても明日の青空が想像に容易い。
一番見つけやすいオリオン座を基準に次々星を眺めていると、不意に誰かが「流れ星!」と声を上げた。
その声にみんなが一層空へと関心を寄せる。
視界いっぱいに星を映して、その瞬間を待ちわびている。


流星観測にはクラスの半分くらいが参加していた。
入り口の横にある給水等の裏側では先生や女の子たちの声もする。
グループで見ている子もいればカメラを握り締めてシャッターチャンスを待つ子もいた。
いいなぁ。わたしも早く流れ星をお目にかかりたい。
星空を見上げては、寒さに耐えかねて両手に息を吹きかけた。
すると、わたしの隣に誰かが立つ。

さん、手」
「え?」

おもむろにわたしの手を掴むと、するりと指が繋がれる。
次の瞬間には、わたしの手が南野くんの手と一緒に彼の上着のポケットに入っていた。

「みみみみ…!」
「あ、流れ星」
「えっ!ど、どこ!」

南野くんの一言に、わたしは慌てて視線を空に戻した。
けれど、一瞬で流れる星に間に合うはずもない。

「残念…見えなかった」
「一点ばかりじゃなくて、全体を見てると見つけやすいですよ」
「うん、やってみる」

南野くんのアドバイスに頷きながら星空を見渡す。
全体、全体…そう呟いた。つい輝きの強い星ばかりを見がちになってしまうけど、それでは流れ星を見つけることは出来ない。
ぎゅっと手を握ろうとしたその時、ようやくそこで繋がれた手の温もりを思い出した。
流れ星どころの話じゃなかったことに気付き直す。

「……み、南野くん…」
「はい?」
「……あの、…えっと…」

もごもごと口ごもるわたしに南野くんは空から視線を外さない。
端正な造りの横顔。その瞳には、星よりも綺麗な輝きが宿っていた。

さんが星を見つけるまで」

それだけ言うと、南野くんが視線だけでわたしを見つめる。
込められた指の力にくらくらしてしまう。
わたしが星を見つけるまで、この手を離さないと言うのなら。

「じゃ、じゃあ、」
「?」
「み、見つからなくっていい…このままがいい」

マフラーに顔を埋めた。
後半は南野くんに聞き取ってもらえなかったかもしれない。
屋上の他の場所からは流星群の観測を告げる声が相次いでいる。
ちょっとした喧騒の中でも、わたしの耳には自分の心音だけが鳴り止まなかった。

「前言撤回します」
「前言撤回?」
「はい」

南野くんの一言に胸の奥が騒ぎ出す。
この手を離したくないと、わたしの全身が拒否している。不安で彼を見つめると、わたしより高い位置にある視線に掴まった。
南野くんはふっと小さく笑って、繋がれていないもう片方の手でわたしの頬を包んだ。


さんを家に送るまで」


この手を離さない。





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